第5話 リアマーチは忘れていない

 毎日を一日置きに、一日置きを三日に、そうしていく内に一週間が過ぎた時、茅乃はとうとう、冷静さを欠いた行動に出てしまっていた。

 悪い事をしている、という自覚はあったけれども、それでも、これで彼の思い通りにしてしまえば、今まで築いてきた細い繋がりが無かった事になってしまうのではないか、そう考えた時には携帯電話を握り締め、ただひたすらに彼が折れるまでの根気比べをしていたのである。


「だからって、人の家の前で待ち伏せして、大声で俺に弄ばれたって言いふらす、って言い出すのはどうかと思う」


 そういうの、脅迫って言うんだぞ。

 言いながら、幸喜はうんざりした顔で欠伸を一つ零している。

 今現在二人が並んで歩いている、幸喜達の住む最寄り駅からは数駅先にあるこの駅は、複数の路線が乗り入れているターミナル駅だけあり、駅に直結している商業施設も多い。

 家電量販店も複数あり、舞台が行われている小さな劇場や大型の映画館、美術館なども駅周辺に密集している為か、比較的若い年代の者が多く、その中の一部でしかない二人は然程目立った様子には見えないだろう。

 肩を竦めて覗き見た幸喜は、ここ一週間、意図的に茅乃との連絡を経ち、音信不通の上に自然消滅を狙っていた。らしい。

 忙しい時は忙しいと言ってくれていたのに、突然何の連絡もなくなったとなれば、事故か事件にでも巻き込まれたか、と当初は心配をしていたけれど、そんな気持ちも、いつもより少し時間をずらして訪れたバス停から、呑気に洗濯物を干している彼の姿が見えた時にはすっかりと消え失せてしまった。

 意図的に連絡を絶とうとしているのが理解出来た以上、茅乃は何としてもそれを阻止しなければならなかった。

 そのせいで、脅迫まがいのメッセージを送りつけていたとしても、だ。


「違います。幸喜さんがいけないんです。あれだけ私が念を押してこれが最後にならないようにって言っていたのに、一週間も放置するなんて。私はただ健気に待っていたのに」


 頰に手を当てながら、さも悲しい様子で茅乃が言うと、彼は眉間に皺を寄せて頭を振った。


「事実無根の人間を脅しておいて、よく健気って言えたな」

「だって、そうでもしないと幸喜さん連絡途絶えるじゃないですか」

「そうしたいんだけどな」


 そうは言いながらも、結局の所、茅乃を拒絶しないのは、彼の人の良さからだろう。

 斜め後ろから見上げる彼の顔は、週末のせいか、少しくたびれて見える。


「私、幸喜さんが優しくて押しに弱くて突き放すのが下手で面倒見がいいこと、ちゃんと知ってますから」


 彼の人の良さにつけ込んで、にっこりと笑った茅乃がそう言えば、幸喜は渋面を浮かべて頭の後ろをがしがしと掻いている。

 貶されているのだか誉められているのだかわからない言葉に、きっと戸惑っているのだろう。

 年上の男性がそうしている姿は物珍しく、茅乃が顔を覗き込むと、「ああもう、うるさいうるさい」と彼は片手を振って距離を離そうとしている。

 別段からかっているわけでもないのだけれど、大人である彼が幼い子供のようになっているのがおかしくて、茅乃はくすくすと吐息混じりに笑みを溢した。

 駅構内には飲食店や書店、ドラッグストアや小さなスーパーまでもあり、改札の外には人の波が途切れる事なく流れている。

 改札を出た先には直結の商業施設が左右に並び、先に続くロータリーの向こう側にも沢山の人が見えた。

 これ程大きな駅ならば、幸喜と茅乃が並んで歩いていようと、然程気に留める者もいないだろう。

 同じ場所で会う事に、幸喜が難色を示しているのは茅乃も理解していた。

 何をするにも親の同意が必要な年齢である茅乃が何と言おうと、親や周囲の人間が彼を犯罪者とでも言ってしまえば、そう見られてしまうのだろう事も。

 結局、人は自分の信じたいものしか信じないいきものだから、と考えて、茅乃は密かに息を吐き出した。


「そもそも、忙しかったのは本当だから」


 昨日も残業だったし、と仕事について思うところがあるのか、忌々しげに唇を噛んで言う幸喜は携帯電話を睨むように眺めると、目的の場所を確認しているらしい。

 折角大きな駅に出るのなら、実際に洗濯に使える便利な道具を見てみよう、と事前に計画を立てていたのだ。

 面倒そうにしてはいるけれど、そうした所は律儀なようで、茅乃は小さく笑みを浮かべながらも、口先を尖らせる。


「それでも、一週間以上放置されるのは酷いです。それに、一言でも送ってくれれば私もあんな事はしません」


 拒絶される、意地悪をされる、というのなら、茅乃も対応が変わっていただろうが、そのどちらでもないと言うのなら、話は別だ。

 容赦ない仕打ちも致し方ない事と受け止めて貰う他はない、と不満げに言うと、彼は呆れた様子で、ともかく目的のものを見に行こう、と言いかけて、全ての動作をぴたりと止めてしまう。

 まるで、時間が止まったかのように。


「どうしたんですか?」


 不自然に一箇所に視線を止めたままま動かない幸喜を不審に思い、その視線の先を追ってみると、見知らぬ人物が彼の前までゆっくりと歩いてくる。

 ふんわりとしたボブカット、淡い色合いのワンピースと白いカーディガン、目立たないけれどきちんとした印象を持たせるアクセサリー。

 少し垂れ気味の優しげな目が印象的な女性だ。


「……、志穂しほ、さん」


 志穂、と呼ばれたその人は、嬉しそうに手を振って彼の名前を呼んだ。


「やっぱり。幸喜くん」


 親しげな様子ではあるけれど、何故だか二人の間には温度差があるように感じられた。

 女性は笑みを零しているけれど、幸喜の表情は硬く強張っていて、ぎこちないのだ。

 年齢は幸喜と同じ程に見えるけれど、彼の様子を見るに、少し年上だろうか。

 そう考える茅乃は、幸喜の少し後ろに下がり、見えにくい角度に移動するけれど、女性は少女のような無邪気さで茅乃を覗き込み、笑顔で見つめている。


「そっちの子は、お友達?」

「あ、ええと……」


 口ごもり、視線をさまよわせている幸喜を見て、茅乃は誰にも気づかれないよう、小さく息を吐き出した。

 笑顔を作るのは簡単だ。

 頰を持ち上げて、口端を上げて、目元を和らげて。

 その人に合わせた自分を演じてみせるだけ。


「初めまして」


 そう言って、茅乃は幸喜の前に出た。

 幸喜と一緒にいたのが子供だった事に驚いたのか、女性は目を丸くしたけれど、瞬き一つの間には、再び優しそうな笑顔を浮かべている。


「初めまして。私は、瀬尾志穂せおしほです。幸喜くんの姉で……、といっても、義理の、だけれど」


 義理の姉、と言う割には身内ならではの親密さを感じられないので、親の再婚相手の連れ子、もしくは、兄弟姉妹の配偶者だろうか。

 笑顔を保ったままそう考える、茅乃は両手を合わせて子供のように頷いてみせた。


「そうだったんですね。私は羽中茅乃です」


 そう言うと、側にいる幸喜が引き攣ったような気配がしたけれど、茅乃は平然とした顔で更に言葉を続ける。


「先日駅で倒れていた所を助けて貰って。今日はそのお礼をさせて頂こうと思って瀬尾さんをお呼びしたんです」

「まあ、そうなの」

「はい!」


 息を吸うように無邪気な笑顔で嘘を塗り固めていく茅乃に対し、幸喜の顔色は悪くなっていく一方だが、どうにか話題を切り替えたいのだろう、慌てて二人の間に入り、額を押さえながら懸命に話題を探している。


「あー……、ええと、志穂さんは、買い物とか?」

「久しぶりに会う友達と食事でも行こうって約束しているの」

「そ、そっか」


 ぎこちなく笑みを浮かべた幸喜は、その先の言葉が紡ぐ事が出来ずに、唇を緩く噛み、俯いている。

 周囲は煩いのに、会話が続かない事で沈黙がやけに長く感じられていて、居た堪れなくなった茅乃が幸喜を見つめていると、志穂がぽつりと呟いていて。


「……でも、良かった、元気そうで。心配したのよ、ずっと顔を見ていなかったから。仕事で忙しいのかもしれないけど、また顔を見せて頂戴ね」


 あの人も心配していたから、と彼女が言えば、幸喜は頷く事なく視線を逸らしている。

 その明らかな拒絶の態度に、茅乃は思わず息を吸い込んだ。

 ひゅう、と喉の奥に入り込む空気が、内側から一気に身体を凍らせていくようで、不快で堪らない。

 気がついた時には幸喜の服の裾を掴み、引っ張っていた。

 生地が痛んでしまうだとか、子供染みた仕草だとか、いつもなら気にする事も、今の茅乃には考える事も出来なかった。


「お話中にすみません。お気に入りのカフェが混んでしまうので、そろそろ失礼しても大丈夫ですか?」


 茅乃が急かすようにそう言って視線を向けると、幸喜は安堵の表情を浮かべて、ほ、と息を吐き出し、慌てて合わせるように頷いた。

 引き攣った笑みを浮かべているが、茅乃がいつも以上にはしゃいで服の裾を引っ張ったりその場で軽く飛び跳ねたりしているので、呆れているように見えるだろうか。

 志穂は嘘に気づいているのかいないのか、わからないけれども、「ごめんなさいね、引き止めちゃって」と微笑ましそうな笑顔を浮かべている。

 忙しない茅乃にせっつかれるように、幸喜は軽く片手を上げて、力無くひらひらと振っていて。


「志穂さん。じゃあ、これで」

「ええ。二人共、楽しんできてね」


 手を振る彼の横顔は、酷く乾いた笑みを浮かべていた。

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