聖女洗脳編9 魔族の領域

「ここ、お城の角と側面のここと、ここ、ここ、あとここに防御塔が建ってるの。塔の間はこうやって城壁があって、ここと、こらへんは魔砲避けのカーテンウォールがあるわね。これは堀よ。こういうふうに掘って聖水で満たしてあるの。それからこのしるしが祈りの宝玉。いまは8基あるわ」

「2基も増やしたんですね」

「まだまだ増やすわよっ。夏には10基になるわ。目標は24基! まぁ、祈り巫女が足りないからしばらくかかるかしら」


 俺、ソフィア、アリアがテーブルに広げた地図を前にして並び立ち、防衛体制について説明を受けているところだ。


 まったく興味がない俺は、2人の邪魔をせず、ボーッと聞き流してた。……朝飯食い過ぎたなぁ。


「宝玉が8基、祈り巫女も倍増。そのせいかは知らないけど、あのクソ魔族ども、雪はもうとけたのに一度も攻めてきてないの。冬眠でもしてるのかしら。毎日まいにち斥候はくるけどね。ちゃんとあたしたちが血祭りにしてるわ」


ジャラン


 前線の聖女、ソフィアが鎖を鳴らしてナヂムの方を見やるその目に、愛着の色はない。飼い犬まで行かなくても、愛用の銃くらいの感情は持ってもおかしくないと思うんだが、完全に道具扱いである。


 繋がれた勇者、ナヂムの顔に表情は浮かばない。瞳の奥に何もない。完全なる虚無。俺に匹敵するほどの超魔力もまったく波うっていない。魔力と感情の変化は、ソフィアからの方がまだ感じられるくらいだ。


「こんな平和な春はひさしぶりね」

「民も兵も、失われずにすむということは良いことじゃないですか」

「アリアはあいかわらずねえ。それは敵兵も温存されているということよ。魔族が冬の間に作ってる攻城兵器も矢も、丸々残ってるんだから。こっちが宝玉に溜めておける祈りに限りがあるっていうのに。兵を磨り潰しあってでも、そろそろ残弾の吐き出し合いができないと……、ヤバいかも。次の戦闘はきっと地獄ね」


 ソフィアが儚げに呟き、アリアは気遣うように肩に手を置いた。


 うん。まったく話がわからん。


 だが、前線の聖女様はなかなか過酷な状況で頑張っているらしい。そこだけは伝わったよ。うん。


 昨日、勇者は使い捨て的なことを言われたが、この分だと兵や物資、聖女まで使い捨てる勢いだ。戦争は人の心を酷く蝕むんだなーって、実例を目の当たりにして思った。


(アリア。あとで宝玉について教えてくれ)

(いまでもいいですよ?)


 魔力のパスで伝えたら、アリアがこちらに視線を向けてきた。つられてソフィアまで俺を見る。ふたりして不思議そうな顔。どうしてあとなんですか、とかアリアはそんなことを考えてるなこれは。


 ……いま聞いたら、ソフィアと話さなきゃならないだろ。


 だが、吐いた唾は飲み込めない。そっとため息をついてから、嫌々ながらも質問した。


「祈りの宝玉ってなんなのか教えてくれるか、ソフィア様?」

「ん? ソフィアでいいわよ。祈りの宝玉っていうのは城砦に設置してある魔導兵器よ。んー。見せたほうが早いわね。ちょっと付いてきて」


 気さくな対応。

 意外。困惑。

 想定と違う。


 ソフィアはさっと地図を丸めるとドアに向かって、もう部屋を出るところだ。


「なにしてるの? アリアも、エミも! ほらっ!」


 ソフィアのスピード感について行けずに、俺とアリアは思わず顔を見合わせた。


「えっ。私も?」


 狼の子も遊んでいたエミも戸惑ってる。


✳︎


 ソフィアの俺やエミに対するアレな態度は、昨日とうってかわって親しげなものになった。アリアと同格の扱いだ。晩飯食う時は明らかに差があったぞ。居室のランクも。


 夜中に居室はランクアップされた。朝飯はアリアと並んで同じものへと変わった。アリアが金でも積んだんだろうかね?


 東の城壁に向かう道すがら、アリアに話しかける。パスではなく生の声で。ソフィアをちらりと見て、聞こえるように。


「なんか魔法でも使ったのか? 俺の扱いが犬のそれから貴族様になったぞ」

「ふふっ。お話ししただけですよ、勇者様がこれから成し遂げることを」

「なんだそれ」


 俺もできないものはできない。アリアの洗脳だってすこし行きづまってる。俺やエミの洗脳も解除しようとしているが、洗脳魔法の残滓の感知さえできないでいた。


 俺に魔法の才能がないのかな。もしくは洗脳中は無理だとか。現地人じゃないしなあ。高度な魔法に必要な臓器か器官を持ってない可能性もある。絶やさないよう制御していた怒りがちょっと萎える。嫌な想像をした。


 俺の嫌味にもソフィアの反応はない。ソフィアとて貴族だ。ウラハ家とリニー家が揉める必要はない。成人もとっくにしているしな。気は晴れた。これ以上は無意味。ここからは魔力ラインで会話する。


(そういや、ソフィアもナヂムと魔力供給のパスを結んでるのかな?)

(結んでないと思います)

(えっ。絶対あったほうが便利だろ。なぜやらないんだ)

(勇者様はすこし特殊なんです)


 特殊。

 どういう意味だ。

 アリアの真意が読めない。


 召喚の目的。洗脳の方法。魂の融合。

 ナヂムとの違いを探ればわかるだろうか。


 疑問は伝えなかったが、魔力ラインの間から思考を読んだのか。弁解じみた説明をされる。


(勇者様ならきっと修練を重ねれば、あらゆる魔法を行使できますよ。私を超えると思います。勇者様の才能は特別ですから)

(才能なんて。特にないけどな)


 別にいじけてるわけじゃないんだが、アリアはそう思ったらしい。魔力ラインの速度が上がり饒舌になった。


(ナヂムさんなどの他の勇者は、その圧倒的な魔力で強化底上げされた身体能力で直接戦います。魔力を奪ってしまうと耐性や防御が完全ではなくなります。攻撃もよわくなりますし。聖女はあくまで後ろからの援護なので。バランスが悪くなります)

(意志を奪って使い捨てのコマにするのに、魔力まで奪ったら暴れさせられなくて意味ねえか)

(いやその、あれです。前衛として戦ってほしいですから、私たち後衛が魔力をいただいてしまうと困るということです)

(モノは言いようだな)


 アリアがすこしへこんだのがわかった。

 言い過ぎたしあとでフォローしなければ。


✳︎


「これが祈りの宝玉よ」


 俺たちが案内されたのは城砦に建てられた塔。その屋上のど真ん中に、漆黒の球体が鎮座していた。たぶん直径3メートルはある。


「デカいな」


 表面は規則正しくボコボコ凹んでいるから巨大なゴルフボールみたいな印象だ。膝丈くらいの台の上に固定されて、周りにおそらく祈り巫女とかいうのが無言で祈りとやらを込めている。魔力が流れているな。なんらかの魔法を行使しているらしい。


「そして黒い。光を反射さえしないのか」

「ええ。光の魔法を溜め込んでいるんです」

「光か。すごいな」


 兵器に関する情報だ。軍事機密。トップシークレットだろう。説明された以上のことをソフィアの前で探るのはあまり好ましくない。アリアにこっそり聞いてみた。


(原理がわからん。制御されたブラックホールかな)


 星の話はアリアの大好物だ。すでにブラックホールとか、ホワイトホールのような与太話までよくしている。


(その表現はすこし遠いですね。これは時の結界で覆われた光の結晶です)

(……時間が、とまっているのか)

(もとは巨大な水晶なんです。リニー家に仕える魔法使いたちが時を止める結界魔法をかけていて、解放した時だけ光り輝くんです)

(その光で魔族を焼き払えるわけだ)

(ええ。祈り巫女と呼ばれる光魔法を込め続ける魔法使いたちが、何十日もかけて一度だけ。この街を守れているのは祈りの宝玉のおかげだと思います)

(魔族からしたら相当うざいだろうな)


「これが8基もか。あそこに見えるのは大石弓バリスタとか投石器か? リニーの街の守りは凄まじいな」

「でしょう?」

「春になったのに魔族が攻めあぐねるのもわかるよ。これは墜とせない。俺が相手なら、諦めて魔王を連れてくるぜ」

「まさか。それはないわ」

「ん? なんか動けない理由でもあるのか?」

「魔王が動いたためしがないもの。理由は知らないけどね」

「ふうん。魔王城から動かないか。動けないか。人間奴隷の洗脳を解きたくないのか」

「まあ、魔王が動いたらこの街は終わりね」


 ソフィアはすこし投げやりに言った。


✳︎


「で。俺らだけで魔族を攻めに行くわけだ」

「はい」

「おかしいと思ったんだよな、ソフィアの態度が180度変わったの。ホント現金なヤツ」

「ふふふっ」

「できれば一番強力な個体を再起不能にしてきてっ。そしたらなんでもしてあげるから!」


 ……何でもするとか気軽に言うな。


「いいけどな。もともとそのつもりだし。そいつに勝てなきゃ魔王も無理だろ。ダメでも暴れてくるから、多少は兵を削って今年の初戦を軽くしてやるよ」

「ありがとっ」

「うおっ」


 右手を掴まれブンブン握手される。瞳を覗く。俺を思い通り操る意図。ないな。天然か。不意のボディータッチとか淑女としてどうなのか。6回振ってはなされたから話を続ける。


「蟻とかのザコ以外と、初めての全開戦闘になる。いろいろ試したい。エミはいい子で待っていてくれ。その子たちとな」

「うんっ。気をつけてよ?」

「余裕だって」


 ダメなら逃げる。それだけだ。


✳︎


 魔族どものアジト。教えられたなかで一番近い洞窟に向かっている。言葉を解さぬモンスターとの戦闘が続く。


「この辺。視界を遮るものがねえ。遮蔽物が何もねえと、ザコばっか寄ってくる。ダルいな」


 話しながらワームを5匹斬ってる。

 互いに魔力ラインを飛ばす気力がない。


 アリアの返事はない。聞変えてはいるようだが目がうつろだ。常に走り回っているせいで、息が乱れ、辛く喘いでいる。当然か。名状し難い形状のモンスターどもを、この2時間殺し続けている。


 ブタ顔の猿。鱗で覆われた六つ脚のウマ。蚊柱の竜巻。地面から突如染み出して現れる粘性の池。死体を動かすミミズ。岩に擬態し転がってくるナマケモノ。斬れば爆発するネズミ。宿主が死ぬと腹から飛び出してくる寄生虫。歩く大木。それに巣食い操るクモ。斬り口が新たな顔に再生する両端顔の大蛇。地に潜み一斉に毒針を飛ばす毛虫。炎を纏うワニ。それを餌にする金属の大トカゲ。


 すべて斬り捨て、また声をかける。


「あそこだな」


 アリアの目に気力が満ちる。あの洞窟。巨大な魔力を感じられた。その領域。近づくほどにモンスターと遭わない。


 安全地帯、のはずがない。更なる地獄。わかってて、見つめ合い、足を踏み入れた。



──背筋を這い回り、内臓を侵す毒虫。



 幻視だ。

 魔力差によって脳に植える幻覚。


 こいつ。俺の魔力の2.5倍はある。なるほど。魔力感知は格下が得意なんだな。


「アリア」


 様子がおかしい。恐慌。アリアが体を震わせている。真冬に裸でいるような青い顔だ。


 優しく抱きしめて、アリアの頭をぐいと俺の胸に押しつけてやる。


「"落ち着け。俺の声にだけ集中しろ。俺に全てを委ねるんだ"」


 魔族の魔力に心を侵されかけている。俺の魔力で包んでやる。そして背中を優しく撫でてやる。震えが止まらない。


「"俺の言うことに従え。お前の心を魔族に奪われるな。俺にだけ捧げろ。お前の喚んだ勇者なんだぞ?"」


 アリアの魔力。全然残ってない。


「"お前のことは俺が守るから。俺の背中はお前が守ってくれ。2人で魔族を倒そう。愛し合ってる俺たちなら、きっとできるから"」


 頭を撫でてやる。


「"遠慮したな。パスを通したのに。前衛の魔力を奪うのは邪道か? 俺には気を使うな。小心者のアリア。俺の節約して残した魔力もお前にはタダでやるから。俺の魔力を奪え!"」


 ぞっとする寒気。

 残りの魔力が2割はアリアに吸われた。

 魔族の領域の圧迫感が強まる。


「勇者様、ありがとうございます」


 精気の戻った顔。いつもの余裕さえ感じられる。


「いま。私の心になんかしましたね」


「さあな」


 とぼける。アリアが頬をすこし膨らませてジト目を向けてくる。そういうふざけた仕草は新鮮だ。


 可愛いな。

 素直にそう思った。魔族の領域の中で。

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