第9話 鍵~しょうちゃんのストーリー

 「君のように上手に演じられない」というのはキラーワードだったらしい。完全に地雷を踏みぬいた。

 

 断じて泣かせるつもりではなかった。何なら、ひどい!とでも言われて二の腕をぶん殴ってくれた方がよっぽど良かった。車を停めて話せばよかった。いや、そもそもあんなことを言うべきではなかった。心底後悔しても時すでに遅し。


 暗くてもわかる。詩織ちゃんは確実に泣いてる。俺にはわかる。


 普段は頭の固いおじさん、なんなら爺さんと言っても過言ではない相手に営業して注文をもらう仕事。怒られたり嫌味を言われるなんて日常茶飯事。「はいはい、またか」と心の中で毒づきたくなるけど、それをやってしまうと結局いろんなところでボロが出る。相手を色眼鏡で見ないための日々の勉強とプロ意識、そして客観性で緻密に商談を組み立てるのが俺のスタイル。


 そういうスキルを身に付けてきたはずなのに、惚れた女の前ではだらしないもんだ。完全に、売り言葉に買い言葉。仕事だったら失客で大目玉を食らい、始末書書いてお詫び行脚、その後ひっそり異動コースだ。


 綺麗な外見だけ見て惚れるほど、俺は薄い男じゃない。そう伝えたいんだけど、この子の前では何も組み立てられない。


 たまたま取引先のオッサンの付き合いで呼んだデリヘル。ただの暇つぶし、あわよくばちょっと気持ちよくなってもいいかなくらいに思ってた。ハズレだった話を聞く方が多くて最初から期待なんてしてなかったのに、いきなりドストライクが来るんだもんな。小さくて細くて色白で、顔は佐藤江梨子にちょっと似てる。だから、詩織ちゃんの言うことは、悔しいけれどあながち間違いでもない。一方俺は185センチ体重95キロ。ずっとやってた柔道を辞めてからはメタボまっしぐら。恐れ多くて逆に手が出せなかった。勢いでテンパって、ベッドの中で寝技をかけてしまいそうだと思ったから何もしなかった。これは口が裂けても言えないけれど。


 でも逆にこれが良かったのか、話しながらくるくる変わる表情を堪能できたし音楽の趣味が合うこともわかった。まさか、ディジー・ミズ・リジーを熱く語れる女の子に出会えると思わなかった。地震に便乗して「俺が守る」ってさらっとカッコつけてみたのに肝心なところで勃たないという大失態も乗り越えて、やっとやっと、デートに漕ぎつけた。


 それなのに、このザマはなんなんだ。


 今日は帰したくないと思ってなかったわけじゃないが、こんな形は想定してなかった。


 シャワーを浴びている音を聞きながら「落ち着け、俺」と繰り返す。「そのまま押し倒せ」と息巻く悪魔と、「時間をかけて話してわかってもらいましょう」と囁く天使が壮絶な戦いを繰り広げている。頭の中では筋肉少女帯の「踊るダメ人間」がリフレインしている。まさに修羅場。まさにカオス。


 今まで経験したどんな「難所」よりもきつかった。


 けれど、詩織ちゃん自身が救いの女神になってくれた。彼女が抱きついてきたことで天使も悪魔も追い払ってくれた。それは何故か。


 小さな身体で力いっぱい俺にしがみつく詩織ちゃんそのものの存在の愛しさが、俺の中の善も悪も凌駕するものだったから。


 営業マンになって一年目に、尊敬する先輩に叩き込まれたことがある。それは「自分の軸、ポリシー、正義がしっかりしてないと本質も見抜けないし根本も探れない」ということ。


 多分、いや確実に色んなことを抱えている詩織ちゃん。演じるというキーワードに対する反応が過剰なのは、自分を演じている自覚があり尚且つ、それを一生懸命やってきたってことなんだろう。俺の不用意な一言がプライドに触ったと考えると、あの涙との辻褄が合うような気がする。


 俺が惚れた詩織ちゃんが本当はどんな子なのか、まだわからない。本当の名前すら知らない。だけどひとつわかることは、「詩織」という仮面を外すことを異様に怖がっていること。


 仮面なんて、誰もが被っているものだ。職場でも、相手が同僚か先輩か取引先か。プライベートでも親か友達か。それは相手によって変えるものだ。どれが本当の自分かと問われたら「どれも本当の自分だ」と答えるだろう。何かに例えるとするならそれは、その辺に生えてる竹のようなもので、別々な個体に見えても、根は全て繋がっている。その根を絶やせば、竹は枯れる。人間だって同じようなもんだ。


 だからこそ戸惑った。


 君は何を恐れている?君をそこまで苦しめているものは、一体なんなんだ?


 パンドラの箱を開ける勇気が欲しい。その一心でがむしゃらに抱いてしまった。彼女もそれに応えてくれたような気がする。ベッドの中の彼女は、俺が今まで見てきた彼女じゃなかった。いつもの気立ての良い子じゃなくて、抱っこをせがんで駄々をこねる子どものようだった。


 思わず「愛してる」と口からこぼれた時に、多分俺はパンドラの箱の鍵を開けた。 


 愛情なのか、使命感なのか、罪悪感なのか勢いか、それともその全部なのか。この感情の正解はない。丁寧にフィードバックを繰り返してアウトプットの精度を上げていくのが恐らく最適解、っていうかそれしか道はないんだろう。正解なんて後付けでいい。


 箱の中身は、モンスターか金銀財宝か。それはわからないけど、どのみち叩き壊してしまわないと。彼女が背負い続けるには、重すぎる荷物なのだろうから。


 俺は、そんなことを考えていた。



 


 

 


 


 




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