【再掲&分割】08 迷える子羊達
◇
迷える子羊だった少年の日の俺は、クソッタレな導きに抗う術もなく、ただ怯え、運命さえをも呪った。
だが、それでも諦めず、危険を顧みずに行動したその先で見て知った、外の世界を、その果てしない広さにワクワクしたものだ。
この仕事を選んだ理由は他にない、解放を求めもがき足掻いた果てに、自らの手で運命を切り開ける可能性を見出だした、ただそれだけのことだ。
例え、他にいくつかの選択肢もあったかもしれないが、身寄りの無い迷える子羊をワクワクさせる、そんなものは他に何もなかった。
その結果、ぶかぶかの迷彩服を纏い、自動小銃を携えて海の向こうへと渡ったのだ。
いつ、いつか訪れる最期に怯える少年兵として、精一杯抗い、時には敵味方問わず、戦地で人を殺める事があった。
最初は罪悪を感じていたものの、考えている暇などあるはずもなく、感覚は次第に麻痺して忘れ、まるで生まれ変わったかのように殻を破った俺は、すっかり慣れてしまった事でもう後戻りなんて出来なくなった。
しかし、広い外の世界を知ったからには、元の惨めな生活に戻るつもりなど無く、ただ我武者羅に前へと進む以外に興味が湧かず、例え死と隣り合わせであっても次第に、大して気にも留めなくなった。
いつ天に召されるか、地獄に落ちるかわからない二つの運命の中で転がされ、仲間、同僚達が次々と倒れ行く中で同じく、足を捕られて転ぶ事もあったものの、野良犬のように野垂れ死ぬ事なく、その度に立ち上がり、幸運なことに今もなお生き長らえている。
単に死にそびれただけかもしれないが、幸運な少年兵も今ではいい大人となって人の上に立つ人間だ。
もっとも、武運拙く倒れた者達の上に立っている……と言った方が正しいか、否かのそんな正義は犬も食わないだろう。
「俺は負け犬なんかになりたくなかったんだ。だから、その手に武器を持って、自らの運命を切り開いて来たんだ」
俺の生き方、生き様を知るものの殆どは向こう岸、現世で知りえる人はごくわずか……今日は久々のご新規一名様をご案内だ。
そのご新規様はと言うと、立場的に俺からすれば雲の上に立っているはずが、目の前でグラスを交わした地上に舞い降りた天使、または女神のような美人さんだ。
彼女は今の俺のボスであり、仕事終わりはいつものように食事や飲みへと誘われる。そんな最高の上司との平穏な日常を送る至福の一時。
生きていて良かった。そう思える日が来る事を、少年の日の俺が知る由も無いけれど、褒めてあげたいね。
「……生きているだけで丸儲けや、あんたは負け犬とちゃうんや……そんなん言うたら、大尉は怒る?」
グラスを傾けた彼女のチャーミングなジト目と目線がかち合い、鼓動が高まり踊る。
少し彼女を困らせてしまう話題だったかもしれない。
けれど、負け犬ではない何かは生きているだけで褒められるなんてね。嬉しくてついついグラスの氷がからりと音を立てるものだ。
おかわりが来るまで手持ちぶさたの合間合間で、俺の尊厳を大切にしてくれる、そんな彼女の美しい顔を眺めていれば、困ったような表情から自然と笑顔の花を咲かせるのだ。
本当、彼女との間を隔てるテーブルが邪魔で仕方ない。
「いいや、怒るもなにも……ボスにそう言って貰えてさ、俺は救われているよ」
本来なら何も感じないはずなんだけどね。何もわかっていない他の誰かの言葉と違い、どういう訳か嬉しく、それでいて何だか懐かしい不思議な感覚だ。
「そっか……うん、よかった……うちみたいに平穏な世界で生きとったもんにな、綺麗事言われて嫌やったんやないかって……心配やったんや……」
「ボス、気にしなくて良い。本当の俺を知って蔑む平和ボケの要介護、アレルギー患者のアナフィラキシーショックが多いだけにな、あなたのように理解ある人からそう言われてさ、とっても嬉しいよ?」
何も知らず、知らない故の恐怖に右へ左へと踊らされる人々が多い中、彼女のように理解ある人がいて、同僚達とも打ち解けられるよう尽力してくれた最高のボスだ。
今ではすっかり彼女の飼い犬のようなものだが、あまりに心地よくて野生に還りたくなくなってしまったよ。HAHAHA!
「ふふっ、いつになくブラックユーモアが過ぎるんとちゃうか?……大尉、おかわりが来よったで? さっきからうちの顔ばっか見てどないしたんや?……こそばゆくてかなわんわ」
「あなたが笑顔になる良い方法を試しているのさ」
「さいでっか、うちは大尉に試されとるんやな……知らんけど」
「「HAHAHA!」」
「ボス、あんたは既に俺を試した事をお忘れで?」
「アホ! あれはちゃうんや、なんちゅうか……あれはお酒の魔法、魔法にかかったんや……」
「いわゆるお酒の失敗?」
「せやせや……いや、ちゃんねん。あれな、あの時の話やけど……ああもう! あかん、その話題はもうええやろ!」
「「HAHAHA!」」
「あの夜の事はさ、失敗なんて思ってないよ。おかげでこうして階級なんて関係なく砕けて話せるだろ?」
「せやな、お陰様でな、うちとしても気が楽で助かるな。ほんま、魔法様々や……うん、メッチャキモチヨカッタシ……」
もっとも、その魔法に続きがあれば良いんだけどね。
砕けたおかげで下心はあるものの、ありのまま誠実に接する彼女に対し、俺の心はくるくると踊り、自然と言葉が湧き出てくる程に救われている。
だからか、機密を除けば彼女に何でも話してしまうのだ。
「お酒の魔法と話が違うけどな、俺は幾多の失敗をしている……幸か、不幸か生き残っている、生かされている……それだけに過ぎないからな?」
「生きているだけでええんやで? せやから辛いかもしれへん、苦しいかもしれへんけど生きてればな、人間は誰だって失敗するもんなんや……せやけど、あんたの場合は……ごめんなさい……余計なこと、言うてもうたわ」
「ボス、良いんだ……人の痛みに寄り添い、理解しようと尽くす、そんなあなたの事が大好きだからな。俺はあなたの部下になれて幸せなんだ」
「ありがとう……せやけど大尉、ナチュラルに口説かんといてな?……ソラナ、メッチャウレシインヤケドナ……」
「それは俺の本心と言うことで」
「アホ!……そんなんうちがいくらでも聞いたるわ! あんたが話す度にな、少しずつ表情が柔らかくなっとんねん……うちで良ければもっと話してくれへんか?」
うーむ、うまくあしらわれたような、中々ガードが堅いのか、ツンデレなのかはさて置いておこう。
ただ、不思議と彼女に過去の話が出来るほど心を許していることに違いなく、まるで閉ざしていた心を締め付ける鎖から解放されていくかのように、晴れやかな気持ちへと導いてくれる天使か、女神か……。
さて、それでは続きと行こうか。
「……過去、俺のミスで仲間を殺したも同然だ……それも何人、何十人とな……そうだな、そのうちの一人、ジェニファー=S・サマーフィールド上等兵……彼女が伍長へと名誉昇進した話でもしようか」───。
◇
「あいつは融通が利かないくらいに真面目だったよ。若さもあるけど、貧困家庭出身もあってか、母親への仕送りをしながら衣食住に事欠かない軍隊に志願したんだ。進学すら諦めてね……元々それなりに身体能力が高くて勉強を苦にもしない文武両道の秀才だけあってか、そりゃ模範的で士官になるべき才能だったけど、兵として戦地に置くとなると危なっかしくてね」
「ふふっ、大尉がうちを口説こうとする時ぐらいに饒舌やな? お気に入りやったんか?」
「まぁな、あいつはさ、空いた時間をどう過ごしているかと思ったら、仲間の輪から離れて勉強しているんだぜ? 自身の境遇もあってか、退役したら聖職者になるためなんだって……それでさ、まさかよりにもよってレザーネックを選ぶとはね?」
「ええ子やな、せやけどなんでレザーネックやとあかんのや?」
「あぁ、有事の際には尖兵として真っ先に最前線行きだぞ? それであいつはなんて答えたと思う?」
「せやな……そら家族の為、国の為に戦う名誉もあるんやろうけど、退役後の職と国からの保障、あとはあれや、万が一の時の遺族年金ってとこやろな」
「その通り。ただ生きるため、生き残るため己の手で運命を切り開こうとあがいていた俺とは違う。それもあってか最初は大変だったが、訳ありの集まるレザーネックだけあってな……似たような境遇の奴が多くてね。そのうち仲間とも打ち解けて、俺もあいつとお互いの事を知るうち、うまくやれるようになったのさ」
「……大尉、戦地での事やけど、子供に躊躇なく発砲したあんたを見たらな、うちも上等兵と同いな反応するやろな……せやけど、あんたが咄嗟に動いて隊を救ったたんやろ? そらすぐ割り切る事なんて出来る訳なんてあらへん。せやけどな、誰も間違ってへんし、おかげさまであんたとこうして酒が飲めるんや……誰かが赦さない言うてもな、うちはあんたの事を赦したるわ」
「それはどうも。酒がまずくなるような話を入れて悪かった」
「ええんやで。避けては通れん話なんやろ?」
「まぁな」
「……大尉、話してくれてありがとう……あんた、憑き物が落ちたんとちゃいますか? さっきよりあれや、めっちゃええ表情になってきよったで?」
「おっ、そうか? ボス、俺にますます惚れちゃったか?」
「うっさいわ!」
「「HAHAHA!」」
つまみで腹を満たされれば、酒の肴となる話題は俺の過去の出来事。
ほんのりと薄紅色に染まったほろ酔い状態のボスに話すその度、身を乗り出す勢いで傾聴する姿はまるで子犬のようで、職場では見られない姿に程よいタイミングで相槌を打って続きを促してくるものだからか、すっかり時間の国の迷子となった。
「ほらあんた、手ぇ付けるの忘れとったんやから、もう薄まっとるんとちゃいますか?」
途中から全く手を付けず、忘れ去られたグラスの氷が溶け、からりと音が鳴ってようやく気付くぐらい夢中に話していた。
すっかり薄まってしまった水のようにマイルドな口当たりのお酒で唇を潤し、今は強いアルコールよりもこれぐらいがいい塩梅か。
「もうこんな時間なんやな……うちら、置いていかれたとちゃうか?」
「大丈夫、伝票は俺らの分だけだ」
「「HAHAHA!」」
「続きはまた今度……やな?」
宴たけなわか、それまで賑わっていた知らない飲み客たちに置いて行かれ、すっかり貸し切り状態となった中での二人ぼっちを気遣ってくれたスタッフに詫びと礼をそれぞれ一つ。
釣りは不要、無用だろう。
この話の続きはまた今度、会計を済ませて外に出れば……さて、珍しくというか、あの時のようにへべれけとなったボスをどうしたものか。
「ほらぁ、大尉ぃ~! ここにシンデレラおるでぇ? はよ介抱しぃ?」
「うわっ……面倒くさっ」
「うっさいわボケ~! 面倒くさってなんや~? あんたもなぁ~、明日はぁ休みやろ~?……ちょっとぐらいなぁ~、うちに付き合わんかぁ~!」
お互いに明日の事を気にしなくていい、お気楽なオフがお待ちかねだからか、うっかり閉店時間を大いに跨いでしまった。
「ほら、鬼さぁ~ん! こっちやでぇ~……つかまえてみぃ~?」
「おいおい、子供か?……全く、かわいいお姉さんだぜ」
「そらなぁ~、うちはかわええからなぁ~……」
とりあえず、ボスをちゃんと無事に帰さなければな。
赤ずきんちゃんよろしく、どこからともなくやって来た、狼に食べられてしまうかもしれないのはいただけない。
「大尉ぃ~! こっちこっちぃ~!」
そんな事を考えて放っていると、千鳥足のまま右へ左へ、危なっかしいったらありゃしない。
「捕まってもうたぁ~…、狼になった大尉になぁ~、うち、食べられてまうでぇ~?」
隙を見て手を取って繋げば、じんわりと伝わる温度、柔らかい感触の余韻と間を楽しめるかと思えば、ふいに揺らいで全体重を預けるようにもたれかかってきた。
危うくバランスを崩して格好の悪いところを見せるところだったが、ある意味でこれは俺の戦闘能力を評価、信頼している証かもしれないのだからしっかりと抱きとめた。
「全く、危なっかしいったらありゃしないよ」
握った手はそのまま、強く握り返す薄紅色に染まった彼女の微笑は天使か、女神か。
「ふふっ……大尉ぃ、もう一軒いこかぁ?」
こんなへべれけで?……全く、冗談じゃない、彼女のささやきはスルーしよう。
「もう帰るのがなぁ~、うちにはしんどいんやぁ……せやからなぁ~、大尉ぃ~、もう一軒いこか?」
「おいっ、酔っぱらい……まずは水飲んで落ち着こうか?」
「もう一軒…うちからのお願いや、ちょびっとぐらいなぁ~、きいてくれてもええんとちゃうかぁ~?」
繰り返される実質一択、天使か女神のような悪魔のささやきかもしれない。
「さぁてタクシーはどこだ?……」
「タクシーならここにおるでぇ~? うちがあんたを乗せたるわぁ~……ほな、はよ行くでぇ?」
千鳥足の酔っ払いがふわふわとしながらも力強く手を引き、俺は地蔵になった柴犬のように引きずられる訳にもいかず、荷馬車のようについていく他になさそうだ。
「おいっ、酔っぱらいの馬車馬……整備不良も大概にしな? いったいどこへ行くんだい?」
「うちに任しときぃ~? 水なんか飲み放題やしぃ~、うちなぁ~、シャワーも浴びたいんやぁ~……おっきなベッドでなぁ~、ぬくぬくやでぇ~?」
気持ちはわかるが……まさか、ね?
しばらく飲酒による整備不良の馬車馬に曳かれ歩き続ければ、あるところでぴたりと止まり、二軒目はいったいどこなのかと思えば……。
「ここやで……」
薄紅色がより深く赤色増した彼女の顔色は、その目線の先に示したネオン輝くノンシュヴァンシュタインには程遠いピンクな建物のせいだろう。
少しは酔いも覚めたのか、それとも酸いも甘いもか…。
「……今からうちは赤ずきんちゃんやな……狼さんに食べられてまうで?」
「嘘つけ、あんたも狼……だろ?」
「「HAHAHA!」」
「……ほな、行きましょか?」
すっかり酔いも覚めたのか、ここからは夢見の時間か……さ、迷える子羊達よ、さらばだ……皮を脱ぎ捨てる準備はいい?
繋いだ手の導く先で……狼達は眠らないことだろう───。
◇
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