第31話 血

◆ファストマン公爵領

北部の町カナン

その近くの鉱山付近の森


「誰か、誰か、返事をしてください。助けに来ました。誰か!」


倒れているのは、三十人余り。

それと、数十頭の馬だ。

いずれも急性のヒ素中毒。やはり、坑道から直接流れ出ている排水、含有ヒ素は高濃度だ。町の井戸に比ぶべくもない。

静まり返る森の中、ボクはただ、ただ、無力感に苛まれていた。


「誰か、誰かぁ、返事を……」


いくら叫んでも返事がない。それでも叫ばずにはいられない。

一人でも生存者がいれば、と願い、ボクは叫び続ける。


「誰か、誰かぁっ、ごほ、ごほ、ごほ」


ガッ

「レブ、諦めろ!生存者はいない。君はよくやった。これ以上は、君の身体に障る!」


ハルさんが肩を掴み、ボクを制止する。


ああ、分かってる。

此れだけ、叫んで応答がない。

馬が死ぬ程の濃度、人が生きている訳がない。

ボクはガックシと、地面に膝をつく。


「レブ、君の助けたいと思う気持ちは分かる。だが……手遅れだ。君のせいではない」


ハルさんが拳を握り、うつむきながら言った。


でもね、ハルさん。

やっぱりボクの怠慢だよ。

こんな事態の可能性を、ボクは二年も前から予測出来た筈なんだ。


ボクは地中からのヒ素物質、その誤採掘ごさいくつの危険性を、とある鉱山で確証を得ていた。にも関わらず皇城の行政に対して、伝達する事を後回しにしていた。


その理由は、ヒ素に対する中和剤の開発を優先し、その開発資金の為に、エレノア様から新薬の開発依頼を受けてしまい、その開発に忙殺され、皇城への注意喚起を忘れてしまったんだ。



『うっ……』、『あ……』


「ま、待って!?今、確かに人の声が!」

「レブ!?」


背後から確かに人の声がした!

ボクは振り返り、声が聞こえた茂みに駆け出した。


ガサガサッ


「あ!?」


「う、ああ」、「っ………」


な、何で、この二人が此処にいるんだ!?


其処に居たのは、ケスラー▪フォン▪ファストマン公爵令息。

そして、ハーベル▪フォン▪ブライト侯爵令息、その二人が虫の息で倒れていた。


ガサッ


「レブ!急に走りだして、一体どうし……」


「ハルさん、生存者だ!まだ、生きてる!でも、おう吐のような消化器系の症状痕、発熱、意識障害、けいれん、といった神経系の症状、不整脈といった循環器系の症状が見える。明らかに急性ヒ素中毒だ!直ぐに中和剤を、あと、胃を洗浄する為の安全な水を!!それで、それで……ハルさん?」


ボクは二人の容態を見て、ハルさんを見上げて言った。

だけどハルさんは、苦しそうな顔でボクを見つめるだけだ。何で、何で、そんな顔をしてるんだ、ハルさん!?


「レブ、中和剤も、安全な水も、ここには無い。助ける手段が無いんだ」

「あ……?!」


そうだった。


ボクは、置いてきてしまった。


カナンの町に中和剤も、解熱剤も、胃腸薬も、洗浄の為の飲料水も、全て。


すがるように見上げたボクに、ハルさんは首を振った。

ああ、また、ボクの判断が人の命を奪っていく。あの時と同じように。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


(あなたは悪くない……ありがとう。レブン………)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「駄目だ!駄目だ!駄目だ!させない。もう、誰も死なせない!!」


ボクはローブを脱ぎ捨てると、薬草を切る為の調剤用ナイフを取り出した。


「レブ!?何を!」


ザンッ

目を見開くハルさんの前で、ボクは左腕にキズを付ける。

血が流れ、そのまま滴り落ちていく。


「レブ、一体何をしている!?直ぐに止血を!!」

「ハルさん、黙って見ていて!」


「!??」


ハルさんを制止したボクは、滴る血を二人の口に落とす。どうか、飲んで!



ポタッ、ポタポタッ



「かはっ、はあ、はあ、はあ」

「うっ、ごほ、ごほ、ごほ、はあ」


ああ、良かった。

二人とも、これで大丈夫だ。


「な、息を吹き返した!?レブ、これは?」


「ハルさん、ごめん。今は詳しく言えない。後でちゃんと話すよ」




ヒヒーンッ

『ハーベル……さま!』、『ケスラー様!……!』



「レブ、人が来る!?おそらく、この者達の捜索隊だ。見つかると面倒だぞ!」

「ああ、ん、分かった。直ぐに離れよう」


「その前に、手を」

「だ、大丈夫だよ、もう、血は流れないし」


「駄目だ、そのままでは止血出来てない」

「……ハルさん」


ハルさんは、ボクの手を引き込むと、ナイフ傷に布を巻いていく。


ハルさんの視線が痛い。


秘匿していた、この血の秘密を、結果としてハルさんに晒してしまった。

でも、他に、あの二人を助ける方法はなかった。だから、これがボクに出来る最善。


ざわざわざわっ


だいぶ、人の気配が近い。

もう、時間がない。


ボク達は馬車に乗り込むと、山道の方へ向かい、人里から離れる事にした。



ガラガラガラッ

カッポ、カッポ、カッポ、カッポ



馬車は森を抜け、大回りで皇国の端を進み、ザナドウ国境の森を目指す。


「…………………」

「………………」


うう、気まずい。


あれからずっと、ハルさんに見られている気がする。



困ったなあ。

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