にじむ境界(2)

 かたんかたん。電車の振動が、体に伝わっていく。

 移り変わる景色。目まぐるしく変化する光景。遠出もロクにしない正次の身としては、バイトで電車に延々と乗るという時点で不思議な物を感じる。


「あの、結局職場ってのは――」

「ああ。見えましたよ」


 気軽に席をくるっと振り返り、窓を指さすのにつられて正次も顔を向ける。と――

 その先には、カーブした線路と、そして――

 それは、例えるのならばダムの壁に似ていた。無機質で巨大。コンクリート一色に染められた湾曲した質量の塊。それが景色を分断するほどの壁として――見慣れたハズの街をすっぽりと包んでいる。圧迫感のあるその壁の中にちょこんと小さな門が――いや、周囲の物体などの比率から考えるに十mは優にあるだろう門が、電車のとまる駅らしきポイントの目の前にあった。


「……は?」

 いや。それは。

(あんな……あんなもの、あったっけ?)

 というか。どう考えてもおかしいだろう。あんな巨大な壁。

 電車がそうこうしている内に止まる。田黒に手を引かれ、あたかも親からほらこっちよ電車が出ちゃうじゃないとせっつかれるスローリーな子供のように、正次は降りた。

 のろのろと――床と簡素な階段だけがある、田舎の無人駅にも似た空間へと降り立つと同時に、ドアが閉まり電車が出ていく。振り向くと、まばらに居た電車内の乗客たちは何事も無かったかのように本を読んだり、友達と喋っているままだ。

 ごく普通の駅に止まっただけか――はたまた、何一つ今起こっていることを認識できていないかのようだった。


「正直壁を目前としても、自分でもあまり変だと思えない。でもそんな順応した感覚にこそ戸惑うって感じですね」

「……察し、良いすね」

 まるで手慣れたようだった。

 ぽんと、手で門へと触れると田黒は頷いて答える。

「まあ、私も似たようなものでしたから」

 半円の門が滑らかに開く。中は白い照明灯が広々と照らす道――トンネル。それも長大で、最低でも数百mはあるだろう。この場合は長さが即ち壁の厚みに相当するとなれば――


「どんだけ分厚いんだ、この壁……」

「八百歩ほどだそうですよ」

「歩?」

「こちらでのグローバルな表現です」

「はぁ……」


 車が行き来してもおかしくないトンネルの中を、二人が歩く。

 だが少しすると、先導する形の田黒が歩みを止めた。流れるように、壁へと指を向けてなぞる。

 と、継目のない壁が組みかわるように開き、狭い部屋が現れた。

「エレベータです。ここから本部へと入ります」

 通路の中にある通路。

 上か下か――はたまたどこに行っているのかも予測できない方向へと向かっていく。

 やがて、ありふれたチャイムの音が到着を告げた。


「ここまで来たらもうご理解頂けているでしょうが――今まで貴方が居た世界は嘘です。いえ、嘘というのは語弊がありますかね」

 壁一面にあるモニターと、それを監視する人員たち。映っているのは――得体の知れない生物と、何処の国かもわからない街並みや、地形だった。それらは作り物ではなく、すぐそばにある存在感を持っていた。

 つまり。これが――

「壁の外の光景」


「ここは機密データを処理する場所ではありません。あなたのような適性があると認められた個体に対し、意識下のスウィッチを入れさせる展望の場です」

「……アンタも、そうだったのか?」


「ええ」


「さて。素体としての準備が整っている以上――後はこうやって表層意識に訴えるだけで、そろそろ……」

 何のことだ、と聞こうと思った途端。全身の血肉、骨が叫びをあげるような錯覚と共に正次は苦悶の声をあげた。

 肺腑から絞り出される空気に混じる吐血を幻視した。が、呼気のみで血は一向に出ない。

 脳裏を満たす衝撃と混乱に倒れるかと思った。が、その足は揺らがない。

 吉戸正次の内で何かが起き上がる音がした。


 田黒は特に驚きを見せず、問いかけてくる。

「さて、アナタの名前は何ですか? 正次さん」

 汗を流し、困惑しながらも――正次の口から意図せぬ単語が突いて出た。


「バイ……アル。バイアルだ」


 そう言葉に出してみるとそれは、何故か自身を指し示すしっくりと来る言葉だった。

薬瓶バイアル、ですか。よろしい。それがアナタのコードです」

 コード。識別記号としてのそれを、むしろ正次はすんなりと受け入れた。物質改造者バイアルは、この時に産声をあげたのだ。

「私の名はカーレン。どうぞよろしくお願いしますね、バイアル。ようこそ、世界を覆い隠す組織――越境連盟へ」

 田黒――いや、カーレンは酷く虚しそうな笑顔と共に、正次を歓迎した。


  ❖


 全ての国々が不可侵として誰も手を出さぬ保護地区のひとつ。大森林、闇刻み。人の身の丈の百倍はあろうかという葉も幹も黒い木々に囲まれたそこは、常に薄闇に包まれている。

 その森から出て七千五百歩ほど歩いた場所に、最も近い国、レレノンがあった。

 一歩は明確に測量単位として決められており、六十六・六六六六……センチであるから約五キロメートル近く。

 こういった地球の文化等に対する数字的な符号などは、彼の組織が昔に多少干渉してみせた名残である。そして組織の干渉もまた、完全ではない証でもある。一歩を一メートルとするのは、流石に無理だったようだ。


 黒い鉄塔……このレレノン国の先王の時代に作られたが当の王は急死。今はもう何に使われるのかも忘れ去られた塔の頂点。

 そこはちょっとした空中庭園のある広場代わりになっていた。柵に近づけば国が見渡せる。

 女は踊る。

 動きは情熱的な型なのだろうが、どちらかと言えばどこか遠くを見ているような雰囲気の不可思議な踊り。この国において平日であるせいか誰も居ない塔の天辺で、ひたすら女は足踏み、踊り続けていた。


 舞踏と言うより職人の作業のようだな、との印象を正次は抱いていた。

 同時刻。

 数秒のタイムラグと共に特定の人間が急死を遂げる。

 そこには何かしらの暴行やら術を施された証拠もなく――

 ただ発作の一種として片づけられた。


 誰も知る由もない。

 その存在理由が世間において最早お飾りと化した塔で、平日の昼間から踊る女……カーレンという女の特別な力によるものなどと。


 それは遠距離において常人を穏やかに殺すほどの力しか発動せぬ代わりに、証拠もなくただ静かに発動する。射程は数十㎞……こちらの数字に換算すれば五十走以上。二千歩で一走なのでつまり十万歩以上の圏内をカバーすることになる。

 より詳しく説明するのならば彼女の能力「タップダンス」とは足裏から放たれる衝撃波をソナーのように行使し、また収束させ対象物へと放つ能力であり、そしてより広範囲を正確に読み取り、対象を殺す衝撃波を放つためには地続きの高所から放つのが最上なのだ。


 つまりこの鉄塔こそが。

 

 彼女の能力などを行使するため――越境連盟の組織によって裏から作られた一種の中継ポイント。

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