絆され商人は太陽を恋う

山田とり

第一章 絆された春

一 予兆

「オウリ! オーウリ!」


 朝日に向かって出発しようとするサイカ族商人の一行を、明るい少女の声が呼んだ。呼ばれた男が振り返る。男の冷たかった顔が、柔らかくゆるんだ。


「カナシャ。見送りに来てくれたのか」


 追いついてきた少女はキュッとオウリの袖を握った。

 一昨日オウリに出会って初めての恋を知ったばかりのカナシャには、これが精一杯の愛情表現だ。


 オウリはカナシャを抱きしめたいのを懸命にこらえた。後ろには牛の牽く荷車と商会の仲間達がいる。


 だいたいそんなことをすれば、カナシャの方が悲鳴を上げ、頬を真っ赤に染めて逃げるだろう。本当に男に慣れていないらしいことは、この三日でよくわかった。


 それも仕方ない。カナシャはまだ十三歳、垂らし髪の似合う小柄な女の子だ。

 対してオウリは二十歳、背が高くしなやかな身体、濃い藍染めの服と丸く引っつめた髪も剽悍ひょうかんな男だった。


「行ってくるよ」


 オウリはカナシャの頭をよしよし、と撫でた。そんな仕草でもないとカナシャをおびやかさずに触れることができない。

 オウリの方は女をどうこうなんて普通にしてきたのだが、今のカナシャにそんな振る舞いをして傷つけるわけにはいかなかった。


「子ども扱いして」


 頭に置かれた手を押さえて抗議するカナシャは、オウリのゴツゴツした手に触れてやはり少し赤くなった。


 照れ隠しのブー垂れ顔も、可愛い。

 オウリはとろけた顔で笑った。


 手を上げて歩き出すオウリ達を、カナシャはぶんぶんと手を振って送ってくれた。


「いい子だな」


 一行の最年長、アラキが笑う。


「もちろんです」


 これからオウリは生まれ育ったサイカへ帰る。故郷を引き払い、カナシャのいるこの町へまた戻るためにだ。


 あの子のためなら、どこに行って何をすることもできそうな気がした。


 カナシャは大切な、自分の片割れ。

 もう手放すことのできない、ほだし絆された、かせなのだから。




 三日前のことだ。


 ぬるい風の吹く街道を、一頭の牛が荷車を牽いてゆっくり進んでいた。共に歩くのは四人の男。


 街道といっても、ここは町と町の間の田舎道だ。左手には瑞々みずみずしい稲が育ち始めた田が広がり、右手は土手と河川敷で、ミズヤナギが勢い良く茂っている。


 時折風が強く吹くと、サヤサヤと鳴る枝から柳絮りゅうじょがいっせいに舞った。美しい春の風情ふぜいである。


「雪って、こんなでしたかね」


 ふわふわした綿毛が降るさまに、牛の横で手綱を取って歩きながら、オウリは記憶を探った。


 この暖かな島ハリラムでは、雪などほとんど降らない。高地で暮らすサイカ族のオウリでも、子どもの頃に見たきりだった。


「見た目は似ているが、空気が違うな。雪が降る時の、キンと刺す冷たい風」


 荷車の脇を行くアラキが懐かしむように言った。


「俺はあの空気がわりと好きだ」


 アラキの懐古をよそに、若いキサナが腕を組む。


「……シージャでは雪なんか降らないからなあ。サイカでは柳絮のように降る雪が、なんつってもここらの人には通じないか」

「どうせ女を口説くのにいい文句はないか、とか考えてるんだろう」


 呆れ顔のタウタが眉間を押さえた。


 サイカから来たこの四人は商人である。

 今回の旅では、平地の民シージャ族の町、パジへ向かっている。


 荷の中身は、茶、山鳥の羽根、高地でしか採れない生薬の数々や香辛料など。

 軽い物が多いので背負って歩けば早いのだが、帰りの荷が米と塩になる予定なので荷車を使うしかない。牛と共にゆったり三日の旅程である。


「平地に下りると暑いっすね」


 キサナが帯を解いて前合わせを広げると、そのまま上衣うわぎぬ二枚を脱いで上半身裸になった。

 ゆったりした筒長袖はひょいと荷の上に置き、袖なし前開きの方衣ホンイだけを羽織る。腹筋・胸筋をチラ見せし、鍛えた身体を誇示する作戦だ。


「このたくましさで、パジの可愛い娘もイチコロだぜ」

「……おまえ今からその格好で、真夏はどうするんだ」

「えー? 日差しが痛いから長袖だろ」


 日の出に出発したから昼にはパジの町に着く。暑い時間には牛を歩かせたくないので昼前後は休憩するのが普通だが、半端な距離なので到着してからたっぷり休もうと牛を頑張らせていた。


 パジはシージャでも二番目に大きい町だ。人間の方も商談が済んだら遊びに行けるのでキサナの機嫌がいい。遊びといっても若い娘の働く屋台で声をかけたり、もっと直接的に娼館に行ったりというぐらいのものだが。

 彼に商いを仕込んだアラキがその素行を強くたしなめないのは、誰の懐にもスルリと潜り込むキサナの才が仕事に役立つこともあるからだった。


「キサナは少しタウタさんを見習えよ。さすがに節操がなさ過ぎる」


 オウリが文句をつけるのは、キサナの遊びに自分も付き合わされるからだ。


 タウタは良き夫、小さな息子と娘の良き父で身持ちが固い。アラキはずいぶん前に妻を亡くしているそうだが「そういうのはもういい」と枯れている。

 残った独り身の若者であるオウリが引っ張り出されるのだが、率直に言って面倒くさい。


 女は嫌いではないし人並みの肉の欲はあるが、モテたいとは思わない。モヤモヤしたら娼館には行くが。


「そういうトコだよなあ、オウリはさあ」


 大げさにキサナがボヤいた。


「どういうトコだよ」

「興味ない、みたいな顔してて結局おまえの方がモテるだろ」

「次いつ行くかわからない町でモテても意味あるか? 次には女も俺のことなんか忘れてる」

「モテるその瞬間に意味があるんだよ、わかんない奴だな!」


 どうにも話が噛み合わない。タウタが笑って口をはさんだ。


「女は浮気な夫なんか望まない。誠実そうに見えるオウリがモテるのは当たり前だ」

「こいつは誠実なんじゃなくて、女なら誰でもいいから素っ気ないだけなのに……」


 それはさすがに語弊ごへいがある。「誰でもいい」ではなく、「誰もよくない」のだ。


 オウリはこれまで恋をしたことがない。淡い初恋なんてものすらない。同年代の若者が集まっては繰り広げられる、誰が美人だの愛嬌があるだの、優しいだの刺繍が得意だのといった話にはひとつも共感できなかった。


 誰かに特別な感情も執着もいだけない自分はおかしいのじゃないかと思うこともある。


 誰にでも人当たり良く接するので勝手に好意を持たれることもあったが、そうなると面倒くささしか感じなくなる。冷たい笑顔を張りつけて黙々と働いていると、よく働く若者だと嫁取り話が持ち込まれる。


 あまりに面倒で村を出て商いを学び始めたのが四年前、十六の時だった。実家で作る茶を買い付けてくれていたアラキを頼り、アヤル商会に入ったのだ。


 サイカの中心の町、アヤルは人も多い。ちょくちょく商隊を組んではハリラム中を旅している若者を気にとめる者はいなかった。


 根なし草であることが、オウリには心地よかった。


「キサナもいいかげん一人に決めて口説き落とせ。おまえも見た目は悪くないんだぞ。惚れられて嫌な気のする女はいないんだ」

「タウタさんが言うと説得力あります」


 オウリはうんうんとうなずいた。

 顔がいいだけの男に二股をかけられた幼なじみを優しく支え、一年かけて自分に惚れさせ結婚したというタウタの武勇伝をアラキから聞いたことがある。キサナにもそれを見習って、さっさと落ち着いてもらいたいものだ。


「……じゃあやっぱり、あの娘かなあ。この前タオで泊まった宿屋の。かわいくて純真な感じがたまんなくって、ぽーっとなったんだよな。おれのホダシってこんななんじゃないかと思ったんだ」

「ホダシってのはそんなんじゃないんだぞ」


 アラキがたしなめた。勝手にそんな風に思われる娘の方が気の毒である。


 ホダシ。


 強く結ばれた、ほだし絆されて互いを縛るかせとなるほどの存在。


 一目会えば、その人しかいないと感じられるという。出会うことが天命なのだと。


 だが実際にホダシ持ちの人を知っているか、というと皆が首をかしげるぐらいに稀なものらしい。


 自分のホダシはあのコにしよう、と好きに選ぶものではないし、それにオウリにはその宿屋の娘に心当たりがあった。オウリがサイカ族だと知って「雪って見たことありますか」と声をかけてきた女だろう。

 柳絮が降る様子に似ていると聞いたので自分も見てみたいのだと頬を赤らめた女。純情そうに見えて、連れて行ってと言外に匂わせるくらいにはスレていた。


 サイカ商人の一行からオウリを選んでそっと夢を語ったことから推測するに、彼女はキサナを自分のホダシだとは思っていない。賢明なオウリは、その出来事を自分の胸の内にしまっておくことにした。




 ごつごつした黒い石垣に囲まれたパジの町に着くと、これまでの田舎道が嘘のように一気に人が湧いた。広場に市が立ち、近郊の集落から物を売り買いしに来た者でごったがえしている。

 ナマズやオイカワ、ワタカなど川魚に加え、河口の町なので海の魚も並んでいる。そして黒豆に菱の実、芋頭いもがしら。ヒユ、クワレシダ、スイバの葉。山胡椒やまこしょう八角はっかくなど香辛料もある。


 様々な品が積まれるのを横目に、オウリは奇妙な胸騒ぎを感じて立ち止まり、辺りを見回した。


 どこの町にもある市場のたたずまい。不審なことは何もない。

 だがオウリは胸がざわつくのを抑えられなかった。実は町に入った頃から、ひっつめた髪の耳の辺りのおくれ毛がチリチリと逆立っているのだ。


「どうした、オウリ。置いていくぞ」


 アラキに促されて仕方なく歩き出す。彼らが目指すのは市ではなく、カフランという男の経営する商会だった。


「アラキさん、なんだかすごくザワザワするんですけど。妙な感じしませんか」


 たまらずにオウリはアラキに近寄ってささやいた。商い続けて三十年、アラキはとにかく場数ばかずを踏んでいる。危ない橋も数々渡ってきているので、そういう勘は鋭い。


 商人は物も金も持っているから旅の途中で賊に襲われることもある。オウリは弓も短刀も使えるので、そんな時には敵の胸を射貫き、腹を掻き切るぐらいのことはする。他の三人もそれが当たり前だった。


「……いや、俺は何も感じないが」

「……そうですか」

「おかしいと思うなら用心しておけ。何か気づいたらすぐ言えよ」


 小声で言ったアラキは素知らぬ顔で行く。それでもオウリの言を信じてチラチラと周囲を伺ってくれているのがわかった。


 ……なんだろう、この感覚は。

 オウリはおさまらない胸騒ぎに苛立ちを覚えた。






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