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「へえ。皇神社って、皇の家だったのか」

「確かに皇の苗字と一緒だな」と伊勢くんは納得顔をする。

 わたしと葵くん、それから伊勢くんの三人は、神社の境内の階段に座り込んでいた。葵くんはすぐにも神様探しに行きたがっていたけど、あのまま立ち去るのはなんか、ね。

 伊勢くんは、

「なんだか恥ずかしいところを見られちゃったな」

と薄らと頬を染めて言った。

「ううん。誰だって神様にお願いしたくなる時があるよ」

 わたしだって、そうだったもん。伊勢くんの気持ち、よく分かるよ。

 だけど、わたしと違って伊勢くんが神様にお願いなんて。意外だなあと思っていると、

「スランプっていうのかな」

と伊勢くんがゆっくりと話し出した。

「スランプ? ……って、どういう意味?」

「ええと、今までできていたことがうまくできなくなるっていうか、調子が悪いっていうのかな。そんな感じのことだよ」

 そっか。とっても剣道が強い伊勢くんでも、調子が悪くなることがあるんだ。

 伊勢くんの神様へのお願いは、最近、思うように剣道の試合で力を出せなくて。調子を取り戻したいことだったみたい。

 できることなら協力してあげたいけど、伊勢くんの願いは、わたしたちでは、とても叶えられそうもない。それにわたしは、剣道のことは全然知らない。おまけにスポーツも得意じゃないどころか大の苦手だ。百メートル走なんて、クラスでワースト一、二位を争うくらいだ。

 結局、気の利くアドバイスなんか思い付かず、話を聞くことしかできなかったけど伊勢くんは、

「話したら、ちょっとすっきりした。今まで誰にも言えなかったからさ」

 薄らと笑みを浮かべて、他の人には言わないでほしい、と言い残すと帰って行った。

 そんな伊勢くんの後ろ姿を見送ると、わたしたちは今度こそ光丘こうきゅう文庫ぶんこへと向かう。

 皇神社から歩いて十分ほど。黒松林を通って光丘文庫に着くと葵くんは、

「ここが図書館なのか?」

と首を傾げながら訊ねる。

 光丘文庫は、山王森さんおうもりの高台に建っている小さな図書館なの。あっ、森と言っても大きな森じゃなくて、黒松がたくさん植えられている一帯のことで。それから光丘文庫は古典籍や郷土資料を専門とする図書館で、普通の、学校や公共の図書館とは違うの。なんでも地方の有志家が集めた貴重な本が数万点も保管されているんだって。

 光丘文庫は建物の形も変わっていて。大正時代に建てられたらしいんだけど、赤茶色で六角形の、鉄筋コンクリートの社殿造りの建造物だ。お寺みたいな見た目だから、教えてもらえないと図書館だって分からないかも。

「むずかしい本ばかりだから、子どもが来るような所じゃないんだけどね」

 だけど歴史がある分、もしかしたら神様がいるんじゃないかなって。そう思って。

 わたしと葵くんは、早速光丘文庫の中に入った。図書館の中はしんと静まり返っていて、わたしたち以外、人の姿は見当たらなかった。想像通り小さくて、だけど所狭しと並べられている本棚には、たくさんの古い本が詰まっていた。

 わたしも葵くんと一緒で、外からここを少しのぞいたことはあったけど、実際に中に入るのは今日が初めてなの。だから少し緊張しながらも館内を見て回って行く。

「おい、神様はいたか?」

「ううん」

 小声で訊ねる葵くんに、わたしは首を小さく横に振る。

 一階は全て見て回ったけど、神様の姿は見当たらなかった。わたしたちは今度は小さな階段を上って二階に行く。

 二階は一階よりも、もっとたくさんの本であふれていた。閲覧席がある一階と比べて二階は本棚だけしかなく、それも天井まである棚がびっしりと並んでいる。わたしたちは狭いその間も注意深く見て回って行く。

 どうしよう。神様、ここにはいないのかもしれない。

 なんてあきらめかけていたら、部屋の一番奥の本棚に、いた、神様だ……!

 五柱目の神様は重たそうな鎧に兜をかぶっていて、右手に槍を、左手には宝塔を持っていた。

「あのお方は毘沙門天様ね」

 マサキが、こそっと教えてくれた。

 毘沙門天様は、じっと、わたしたちのことを見つめている。逃げる訳でもなく、ただその場にたたずんだままだ。

 だけど不意に毘沙門天様の口角が上がっていった。毘沙門天様は、ゆっくりと口を動かして、

「勝負をしよう」

 そう言った。

「勝負?」

 恵比寿様に続いて、また勝負? なんて思っていると、あれれ。一瞬の内に辺りの景色が変わった。

 うそ……。さっきまで光丘文庫の中にいたはずなのに、いつの間に移動したのかな。本だらけの景色から一変、わたしたちは、なぜか光丘文庫の外にいた。頭上には青空が広がっている。

 その上、毘沙門天様が持っていた槍が不思議なことに弓に変わり、それから宝塔は矢に変わった。

 毘沙門天様は弓に矢をつがえると、遠くを見つめた。わたしも毘沙門天様にならって、そちらを見る。毘沙門天様の視線の先には、弓道の的があった。

 毘沙門天様の手から放たれた矢は、真っ直ぐにその的目がけて飛んでいく。そして、すとんっ……と中心より、やや右上に突き刺さった。

 毘沙門天様は、うむと一つうなずくと、わたしにその弓と矢を渡してきた。

 どうやら毘沙門天様の言う勝負とは、的当て対決みたい。わたしたちは二人で三本まで矢を使っていいから、毘沙門天様よりも良い位置に矢を射られたら勝ちみたい。

 的の中心に近いほど高得点だと毘沙門天様は言うけど、先程毘沙門天様が放った矢が当たったのは、ほぼ中心だ。つまり中心に当てないと、わたしたちの勝ちにはならない。

 ただでさえ弓道なんてしたことないのに、的の真ん中に当てるなんて。そんなこと、できるのかな。

 その上、わたしは渡された弓の弦を試しに引いてみるけど、お、重い……!? 

 力を込めて思いっきり弦を引くけど、思うように動かせない。弓って初めて触ったけど、弦ってこんなに重たかったんだ。知らなかった。

 それでもわたしは腕に力を込めて、がんばって弦を引くけど、矢は、ひゅーんと的どころか数メートル先の地面を滑っていった。

 わたしって、本当にダメダメだな……。

 矢は三本渡されていたけど、三本とも的にすら届かなかった。散々の結果だ。

 結局葵くん頼みになっちゃった。だけど——……。

「水引。弓、寄越せよ」

 葵くんは神様だけでなく、毘沙門天様が用意した弓も矢も見えていないみたい。わたしが弓を手渡してあげると葵くんは手探りで弦に触れ、ぐいぐいと引いていた。

 矢も渡してあげると葵くんは弦にあてがえ、また何度か弦を引いたり、緩めたりを繰り返す。ここまでは見えなくても手探りで、そこまで支障はないみたい。それに葵くん、わたしには重たかった弓を軽々と引いていた。

「葵くん、すごいね」

 そう言うと葵くんは、

「弓道は昔、少し習ったことがあるから。誰に習ったかは、……忘れたけど」

と返した。

 へえ、そうなんだ。葵くん、弓道できるんだ。すごい!

 だったらこの勝負、わたしたちにとって、なかなか好条件だったんじゃないかな。 

 だけど問題は……。

「水引、それで的はどこにあるんだ?」

 そう、葵くんには肝心の的も見えてない。わたしは的を指差して示すけど、葵くんは、的がどこにあるかピンときていないみたい。それもそうだよね。見えないもののことなんか分からないよね。

 どうしよう……。

 とてもじゃないけど、わたしでは的に矢を当てられないだろう。現にさっきやって、数メートル先までしか飛ばせなかったんだ。的に当てるどころか、的まで飛ばせるようになるのですら、相当な時間がかかっちゃうに違いない。

 だけど葵くんは、一日も早く御朱印帳を元に戻したがっている。ここでぐだぐだしている訳にはいかない。そのためには……、あっ、そうだ!

 気付いた時には、わたしはその場から駆け出していた。向かう先は——、的だ。わたしは的を手にすると頭の上に掲げてみせる。

「水引!? 何やってるんだよ!」

 葵くんが叫ぶ。わたしも数メートル先にいる葵くんに向かって、大声を張り上げる。

「葵くん、的はここだよ!」

 わたしは軽く的を振るけど、葵くんには見えてないよね。だけど、こうすれば葵くんにも分かりやすいと思うんだ。

「葵くん、わたしの頭の上をねらって!」

「ねらってって、危ないだろう! なに考えてるんだよ!?」

 葵くんは、なにやらギャーギャー言っている。だけど今のわたしには、これしか思い付かないんだもん。

「だって……」

「だって、なんだよ!?」

「だってわたし、信じてるもん! 葵くんのことっ!!」

 根拠なんかないんだけど、葵くんの弓道の腕前がどのくらいかも知らないけど、でも、それでもなんとなくだけど、葵くんなら当ててくれるって。そう思えるの。だから——。

 なにやらずっと喚いていた葵くんだったけど急に口を閉ざし、それからゆっくりと弓を引き出した。葵くんの真剣な瞳が、まっすぐにわたしのことを見つめている。

 葵くんの矢を支えていた指先が、ゆっくりと離れていく。矢はヒュンッと鋭い音を立て、風を裂いて進んでいく。そして、トンッ……! と軽やかな音が鳴った。

 顔を上げて的を見ると、矢はど真ん中——、的の中心に見事命中していた。

 やった、当たった……! 当たったよ、矢が的に!

 わたしは思わずその場で飛び跳ねた。すると葵くんにも分かったみたい。葵くんは、ほっと胸をなで下ろした。

 葵くんの元に戻ったわたしに葵くんはあきれた顔で、

「お前、無茶し過ぎだろ」

と言った。

「オレが外してお前に矢が当たってたら、どうしたんだよ。ケガ程度じゃすまなかったぞ」

 確かに葵くんの言う通りだ。だけどわたしは思ったんだ。葵くんを信じないと——って。

 だからだと思う。ううん、わたしが信じたかったんだ。葵くんを信じている、わたしを信じたかったんだ。

 毘沙門天様は、こくんと一つうなずくと、

「良い勝負であった」

 そう言って、御朱印帳の中に入って行った。すると御朱印帳が光り出し……、光が収まると毘沙門天様の名が紙に記されていた。

 神様との縁が——、繋がった。

 真っ青な空の下、わたしと葵くんは緊張が途切れてだろう。地面に転がると、思うままに笑い合った。

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