#9


シュゼットは状況を全く理解していないが、高野がなにかを企んでいることは察しているのか黙ってくれている。だが先程から高野の服のすそをはしっ、とつまんで離さない。


「…」


―――シュゼットはこの件には一切関係がない。ギルドに言われて付き添ってくれているだけだ。彼女だけはなんとしても絶対に無事に帰してあげたい。


高野はシュゼットをチラリと見て、安心させるように頷きかけた。


そして、スマートフォンの画面に急いでメッセージを入力していく。


『まず、今、私が把握している限りの情報をお伝えします。ショックな内容も含まれていますができるだけ冷静に読んでください。いいですね?』


リュウはゆっくり瞬きを1回行う。


リュウは「ライト」と「サイレンス」によって視覚、聴覚を奪われていた。身体も拘束されているためどれだけ状況を把握できているかわからない。


―――ティルさんは本当にこのメッセージを読めていないんだよな?


高野はこっそりとティルを盗み見るが、ティルはリュウの傍らでこちらをニコニコと見ているだけだ。


メッセージが読めないフリをされていたら完全にアウトだが、恐らく大丈夫な筈だ、と高野は覚悟を決めて続きを書いていく。


『ご存知かもしれませんが、ここはネゴルから東に進んだところにある小屋です。部屋はこの部屋と扉の向こうの部屋の2つ』


この状況、厄介なのはリュウが身体を拘束されていること。ティルはリュウの洗脳が解除されたと確信しなければ彼の拘束を解くことはないだろう。


つまり、彼の持っている情報は「YESかNO」という形で高野が引き出さなければならない。


13%の電池残量でどこまでその駆け引きができるかが不安だが…やるしかない。


『捕まっているのは私と隣にいるシュゼット…彼女はギルドの職員です。それからマリエルさん。そして、ジェラルディさんと、ナーシャさんです』


リュウは流石一流の冒険者というべきか、目を僅かに見開くだけで、声を上げたり、激しく動揺した様子を表には出さない。内心ではひどく驚いているかもしれないが…。


『マリエルさんは貴方が捕まったのと同じタイミングでここに。そしてジェラルディさんとナーシャさんは貴方たちを助けにきて捕まりました。ティルさんは貴方がマリエルさんに『洗脳』されていると考えているみたいで、ギルド経由で『洗脳』を解くために私はここに呼ばれました。シュゼットは付き添いで来て一緒に捕まっています』


リュウは高野のことも何者なのか疑問を抱いているだろう。一緒に作戦を遂行する以上、できる限り疑問は解消しておいた方が良い。そう判断した高野は自分のことをまず簡単に説明する。


『私は貴方と同じ異世界転移者で、地球から来ました。来たのは約2ヶ月程前です。異世界転移者は加護やスキルが特殊な場合がある、ということを利用して、今はティルさんに嘘の職業ジョブとスキルを見せて、リュウさんの『洗脳』を解ける力があると嘘をついて、話をしています』


「…」


長文でメッセージを一方的に伝えているので、リアクションがないとどこまでちゃんと理解してもらえているのかがわからない。


『ここまでの内容について理解できていたら、縄がキツくて少し体勢を変えるふりをしてください。わからなければそのまま動かないでください』


リュウはそのメッセージを読むと拘束された身体をもぞもぞと左右に揺らす。


「ダメですよ、リュウくん。じっとしていてくださいね」


ティルがその様子を見て、リュウをとどめる。


「ずっと同じ姿勢だから辛いんだよ。解いてくれねぇ?」


リュウはティルを見上げて甘えるような声を上げる。


「ダメです♡」


そしてティルはチュッ、とリュウの額に口づけする。


「んはぁ…」


ティルは顔を赤らめてリュウの頬に手を添え、高野たちの目の前でリュウと何度も口づけを交わし始めた。


「…」


高野とシュゼットはそれが終わるのをただただ無言で見守る。


「ンフッ」


ティルは口づけを終えると高野をじぃ…、と見て微笑み、次にスマートフォンの画面に目を落とす。


「…」


長い時間スマートフォンの画面をじっと見続ける。


それを見て、高野は中身を読まれているのではないかと不安になるが、やがてティルは無言で視線をリュウに戻した。そして彼の身体を調べ始める。


「…私はなにも渡してませんよ?」


「うふふ、先生を疑ってなんかいませんよ。…でもリュウくんが1人で逃げようとしている可能性もありますから」


高野の言葉にティルは笑顔で応え、そしてリュウが武器などを隠し持っていないことを確認すると「失礼しました」と離れる。


「…接続が切れました。言い忘れていた私が悪いのですが、『洗脳』を解除するには今のように『電話』でのやり取りを連続して続ける必要があります。なので、不安かもしれませんが、しばらくはリュウさんと私の邪魔をしないでもらえますか?」


「あら…そうなんですか?すみません」


ティルは慌ててリュウから離れる。


「…シュゼットも、悪いけど」


「わかりましたぁ」


シュゼットは高野の服から手を離す。その手が震えているのを高野は見逃さなかった。


「…ごめんね、もう少しだから」


高野はシュゼットを安心させるようにそう声をかけ、「再開します」と宣言する。


その時、スマートフォンの電池が残り10%を切ったことを示す警告が画面に表示された。


消費電力を抑えるモードの提案が出て、高野はモードを切り替える。


―――思った以上に電池の消耗が早い。


まだ状況も完全には共有できていないのだ。


だが、どこまでリュウに彼女たちの状況を伝えるかは迷いどころだ。彼に必要以上にショックを与えればその動揺が脱出の際にパフォーマンスを低下させたり、冷静な判断を奪ってしまう危険性がある。しかし、この部屋を出れば、すぐにわかってしまうことでもある。心の準備なしにあの光景を見れば、上級冒険者と言えどどれ程ショックを受けるかわからない。


この状況、一瞬の迷いは死に繋がる可能性がある。…ならば、動揺から回復できる猶予ゆうよがあるここで伝えた方がいいだろう。


スマートフォンの電池残量は限りがあるが、これはその時間を使っても伝えるべき内容だと高野は判断する。


『ティルさんはマリエルさん、ジェラルディさん、ナーシャさんに大怪我・・・を負わせています。3人は意識も朦朧もうろうとしていて、戦闘するどころか1人で逃げられる状態でもありません』


高野は迷った末、できるだけショックを小さくするように工夫をして伝える。


「…」


わずかにだが、リュウの目に怒りが宿り、閉じている口がぎゅっと結ばれる。


「どうしたんですか?リュウくん…大丈夫?」


ティルがリュウの僅かな感情の変化を読み取り、不安そうに声をかけるが、シュゼットが「ティルさん」と声をかけ首を振る。


「でも…」


「先生たちを信じましょ?」


「…はい」


シュゼットの説得でティルは大人しく引き下がった。


どうやらティルは好きな相手の感情の変化に非常に敏感らしい。育ちの中で、人の顔色をうかがって生きてきたのかもしれない。


彼女は愛情にえている。だからリュウの存在は彼女にとって特別なのだ。


彼女は彼を手に入れるためならなんだってする。そして彼に嫌われないように全力を尽くす。


彼女が彼を別室へ移し、視覚と聴覚を奪ったのは、マリエルたちへ拷問を行ったことを悟らせないためだろう。


彼女は人を傷つけることになんの躊躇ちゅうちょもない人間だ。それはあの拷問のあとを見ればよくわかる。しかし、その行為がリュウの好感度を下げることは理解しているのだ。


―――そう、彼女は隣の部屋の惨状さんじょうを彼には見せたくない筈。そこは彼女を攻略する鍵になる。




『ちなみに、身体を拘束している縄は自力で解けますか?YESなら瞬きを大きく1回、NOなら2回お願いします』


今度はリュウの瞬きは2回。つまり、リュウは縄を自力では解けないということらしい。


これは高野も想定していた。高野やシュゼット、Cランクのマリエルならまだしも、Aランクのナーシャや、あれ程大きな斧を振り回すジェラルディを普通の縄で拘束できるはずがない。


『魔法ですか?』


リュウの瞬きは1回。…魔法らしい。恐らく、縄の強度を上げる魔法、あるいは、魔法の縄を出現させる魔法か。


『解除方法は知っていますか?』


瞬き1回。彼女はリュウの元パーティなのだから当然か。問題は解除方法をどうやって聞き出すか。


―――待てよ。


ティルは高野の縄をナイフであっさり切っていた。


『ティルさんに拘束されていた縄はナイフであっさり切れました。拘束の魔法は誰でもナイフを使えば切れますか?』


リュウは瞬きを1回した後、続けて2回する。


―――どういう意味だ?どちらでもないということか?


『ナイフを使えば切れるけど、魔法を使ったもの以外が切るのには時間がかかる?』


瞬き1回。正解だ。つまり、リュウの拘束はティルには簡単に解除できるが、リュウや高野が拘束を解こうとすれば時間を要するということ。


―――やはり、リュウさんを戦力として使うには、彼の拘束をティルさんに解かせなければならないか…。ならばやはり、一旦彼には「洗脳」が解かれたふりをしてもらうしかない。


そこまで考えた後に「いや…待てよ」と高野は一旦、思考を止める。


―――ティルさんは彼の「洗脳」を解いた後、一体どうするつもりだったのだろうか?彼にあの部屋は見せないつもりだったのか?あの部屋を見せたくないからこの部屋に視覚と聴覚を奪って隔離していたのではなかったのだろうか?


高野はマリエルたちの姿を高野に見せた時のティルの言動をもう一度思い出す。




隣の部屋の血にまみれたあの凄惨せいさんな光景が鮮明に頭の中に浮かび上がる。同時に、胃の中のものがせり上がってきそうになるが、高野は必死でこらえた。


マリエルに対しては…


『彼が褒めた胸と綺麗な足は切り落としました!』



ナーシャに対しては…


『とっても可愛い顔と綺麗な指先のコで、リュウくんもよく褒めていました。…だから取りました・・・・・



ジェラルディに対しては…


『リュウくんがジェラルディの耳や毛並みを褒めていたから…耳はちぎって、毛は剥ぎました!…人の夫をそそのかしたんだから当然ですよね?』



そして、それを高野に見せて、彼女はなんと言っていたか?


『…2人とも・・・・。そう…二度と彼に近づけないようにしてあげたんです。命は取らないであげました。…彼が悲しむから』






ティルのあの時の表情を思い出しただけで鳥肌が止まらなくなる。ああいう顔を「狂気的」というのだろう。高野は今まであんな顔をした人間を見たことがなかった。


…情報を総合すると、マリエルはともかくとして、彼女は少なくともジェラルディとナーシャは生かすつもりだったようだ。リュウが褒めた身体的な特徴を奪った状態で。


―――ということは、彼女は彼に見せる気なのだ。魅力を失った彼女たちを見せることで、彼女たちに対する彼の未練を絶ち、ティルに意識を向けようとしている。だが、今の「洗脳」まともな状態ではリュウは期待通りの反応を得られないと思っているのだろう。


つまり、ティルが高野に求める「洗脳」の解除、というのはリュウがティルの期待通りのリアクションを取ることということになる。


---とても理解し難い考えだ。だが…それでも彼女の思考を辿たどっていかなければならない。彼女がこれからどう動くか、を予想するために。


高野が必死に作戦を考えていると、いつの間にかティルがじとっ、とした光りの無い目でこちらの顔を覗き込んでいるのに気付いた。


「うわっ?!」


思わず高野が悲鳴を上げてる。


「…ねぇ、先生。なんかさっきからリュウくんの瞬きが時々やけに規則的な気がするんですけど…その機械でなにか悪いこと・・・・、してないですよね?」


無表情に首を傾けて、至近距離でこちらを見つめる彼女はこちらの意図を全て見抜いているかのように問いかける。


高野は全身が冷水を被ったように冷たくなるのを感じた。心臓が跳ね上がり、身体中から汗が流れる。


「し、してませんよ。目は脳へアクセスしている時に無意識に動くんです。考え事をする時とか、過去のことを思い出す時とか。とても大事な段階に入っています。もう少しだけ静かにしていてください」


高野は本当のことを混ぜて説明する。嘘をつく時はできるだけ真実を混ぜた方がバレにくい。だが、普段から顔色を伺っている彼女は、ある意味では高野以上に相手の感情を読み取るスペシャリストだ。どこまで嘘が通用しているのかわからない。


「そうですか…」


彼女は一応納得したのか、目に光りを宿すと、ニコッと微笑んだ。


「お邪魔してしまい、すみません。…先生もかなり神経を使うとおっしゃっていたのに」


彼女は申し訳無さそうに謝り、再びリュウの脇に立つ。


「ええ…ご心配なのはわかりますが、ご協力をお願いします」


高野はなんとか誤魔化せた、とほっと一息つく。全身の緊張が一気に弛緩しかんし、自分が緊張しすぎて息を止めていたことに気付く。


「……………………信じてますからね?」


高野の安心した様子を見抜いたのか、ティルは再び真顔でこちらを見て、静かにささやいた。


ゾワッ、と全身の毛が逆立ち、寒気がする。声を上げそうになるのを必死に堪えて高野は笑顔で「任せてください」と応えた。


電池残量を見ると残り4%…。


もう残り時間がわずかだ。


拘束されているリュウを自由にするには、彼女にとって理想の都合の良いリュウを、リュウに演じてもらう必要がある。


ティルにとって理想の都合の良いリュウとは、彼女以外の女性に一切振り向かず、興味も示さないリュウだろう。


では、高野が「リュウの『洗脳』を解いた」と宣言したとして、彼女はどうやってそれが真実かどうかを確かめるだろうか?


―――なるほど、そういうことか。


スマートフォンの電池残量が2%を示した時、高野はようやく彼女の意図を理解する。


―――間に合え!!


そして高野は素早く、リュウへの指示を書き込む。リュウにとってはかなり残酷な指示だとわかっている。高野自身も他に良い手があれば是非それを選択したいところだが時間がなかった。


リュウはそのメッセージを見て眉をひそめ、こちらを睨む。高野とリュウはしばらく見つめ合い、そしてリュウは瞬きを1回返した。


それを見届けると、高野はスマートフォンのタイマーを10秒にセットし、オンを押す。


10…9…8…7…6…


タイマーのカウントダウンがスタートし、リュウと高野は示し合わせた段取通りに動く心構えをする。


5…4…3…


このタイマーが鳴れば、30分後には高野とシュゼットの生き死にが確定しているだろう。


2…1…




ピピピピピピピピ!!!!!!!!!!!




アラームが鳴った直後、リュウは目をつぶり、天井をあおぐ。勢い良く動き過ぎたため、椅子が大きく揺れて傾いた。受け身を取れない彼は派手に地面に転がる。


「わひゃ?!」


なにも聞かされていないシュゼットが奇妙な声を上げて飛び上がり、


「な、なに?!どうなってるんです?…先生、リュウくんになにをしたんですか?!」


場の空気が変わったことを察したティルが高野を睨む。


「…だ、大丈夫です。今の音は『上書きリライト』がうまく発動した音です。『洗脳』が解除されて身体のコントロールが一時的に狂ったのでしょう。私もびっくりしました。…早く起こしてあげましょう」


高野も想定外の事態で心臓がバクバクと高鳴るが、あえて自分自身も想定外だったことを明かし、ティルにリュウを起こすようにお願いする。


「リュウくん、リュウくん!!!」


ぐでっ…と身体の力が抜けたリュウをティルが必死に揺すり起こす。


高野はその間に素早くスマートフォンのタイマーを止める。


電池残量は残り1%になっていた。スマートフォンをスリープモードにしてポケットへとしまう。


「こ、ここは…?」


リュウは部屋をキョロキョロと見回す。全く記憶にないといった様子で首を傾げた。なかなかの役者っぷりだ。


「…気が付きましたか。貴方は『洗脳』されていたんです」


高野がリュウに近づいて声をかける。


「う…そ、そうか。俺、確かギルドを出た後、マリエルに…」


「そうです。貴方はマリエルに洗脳されていたんです。きっとなにかの神器でしょう。でももう大丈夫。タカノ先生が洗脳を解いてくださいました!ああっ!良かった!リュウくん、リュウくん…」


ティルは涙ぐみながらリュウの胸に頭を擦り付ける。


「ティルさんは凄く心配されていましたよ」


「そうだったのか…。すまなかった。ティル…」


リュウは拘束されたままティルの方に顔を向け、謝る。


「うぅ…なにが起きているやらさっぱりですぅ」


1人置いていかれたシュゼットは3人の後ろで呟く。


「私、洗脳が解かれたらリュウくんに聞いて欲しいことがあったんです」


「え?なに?」


―――あ…。ヤバい…


高野はその時、さっと自分の顔から血の気が引くのを感じた。


今の今まで完全に忘れていた。彼にはまだ話していない重大な秘密があった。


ティルは顔を赤らめ「あのね…あのね…」ともじもじしながら告白する。




「私、貴方の子どもを身籠みごもったみたいなんです…」




「え…」


予想外の告白にリュウの表情が凍りつく。


「え?嘘だろ?なんで?」


高野は目をつぶり天をあおいだ。


―――やってしまった…。


「…?」


ティルが期待していた反応と異なる反応をしたリュウに眉をひそめる。


「え?俺の子ども?…本当に?」


「貴方の子どもです…嬉しくないんですか?」


彼女の目に怒りが宿り始めるが、リュウはリュウで困惑した表情を浮かべる。


「いや、いやいやいや…待って、俺も流石に理解が追いつかない」


「どういうことですか!?『洗脳』は解いてくださったのではないんですか?」


ティルは高野を睨みつける。






―――マズい。ここに来て痛恨のミスだ。


高野は「お、おかしいですね」と首を傾げ、苦笑いを浮かべた。

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