文書16 再び、アフリカからの来襲

ざぁざぁと大粒の雨が降りしきる。

しっとりと湿った涼しい空気が道場一杯に広がっていた。


その土と雨の混ざった匂いを胸いっぱいに吸い込み、楓は大きく深呼吸する。

灰色の空が縁側から覗く薄暗い道場の中央でそっと正眼に木刀を構えた。

いつも通りの鍛錬。

雨どいを雨水がドウドウと流れていく中、木刀が空を切る鋭い音。

楓は極限まで集中を高めていた。


「随分と熱が入っているようで、感心だな。」


ふと、低い声が脇から聞こえてくる。

振り返ると、雨に打たれながらシャマシュが庭に立っていた。

楓が慌てて縁側に駆け寄る。


「シャマシュさん! そんなにずぶ濡れになって、そんな。早く上がってください。」


楓は自分が汗拭きに持ってきていた未使用のタオルを差し出した。


「おお、これは有難い、カエデ少年よ。そうだな、遠慮させてもらおうか。」


シャマシュは革靴を脱ぎ、沓脱石くつぬぎいしに丁寧に揃えて置く。

楓の差し出したタオルを頭からひっかぶってぐしゃぐしゃと濡れぼそったその黒髪を乱暴にふき取った。


         ◆◆◆


「どうぞ。」


楓はシャマシュをお盆に載せて湯気をたてる熱いお茶でおもてなしする。

今日は雨脚が強い。

ずぶ濡れなのなら風邪をひかないように体の芯から温まる飲み物を飲むのが一番だ。


「これはかたじけない。」


縁側に正座しながらズズズと音を立ててシャマシュさんが湯呑をすする。


「本当に迷惑をかける、カエデ少年。それにしても実に温かい茶というのはいいものだ。」


しみじみとした様子のシャマシュさんに楓は相槌を打つ。


「ええ、そうですね。」


そのまま二人は黙り込んだ。

庭の敷石に雨粒が勢いよくぶつかっては飛沫を飛び散らせながら消滅していく。

木々の葉はあまりもの雨の勢いにたわんでいた。


「それで、今日はどうしたんですか?」


楓はてっきりもうシャマシュはもうアフリカにでも帰ってしまっているのだと思っていた。


「いや、なに。単なる世間話をしに来ただけよ。

カエデ少年の父とは随分と親交があったのでな、カエデ少年の今の暮らしも気になる。」


随分と楓は気にかけられているようだった。

楓の父とシャマシュさんはそれほど深い仲だったのだろうか。

シャマシュさんとしばし談笑に耽る。

そうしてしばらくたったころだったろうか。


「そういえば、最近変なことに巻き込まれなかったかな?」


シャマシュに特段何でもないことのように切り出される。


いったい何のことだろう。

一瞬、楓の脳内にこの数日で出くわした怪奇現象の数々が蘇る。

しかし、すぐさまかぶりを振って頭から追い出した。

なぜ、単なる父の友人に過ぎないシャマシュがそんなことを知っているというのだ。


「え~と、変なこととはいったいどういう?」


シャマシュに楓は聞き返してみる。


「うん? 文字通りおかしなこと、奇怪な出来事だ。世間一般ではいわゆる都市伝説とか怪談の類になるかな。」


ドキッとする。

まさか、シャマシュもおけさ笠の不審者やグレイスと同じあちら側の人間なのだろうか。

いや、少し待て。

もし、それが単なる楓の勘違いだったらどうする。

もしかしたら鎌をかけてきているだけかもしれない。

………もう少し知らない振りをしてみよう。


「シャマシュさん、そんな冗談はよしてくださいよ。

怪談とか、都市伝説はみんな作り物に決まっているじゃないですか。」


楓は心底心配そうな振りを装って、そっとシャマシュさんの顔を覗き込む。

シャマシュさんはあくまで真剣に真正面から見つめ返してきた。


「カエデ少年、無論この未熟者は真剣だとも。それで、どうなのかな?」


答えを促すようにシャマシュさんが再度問いかけてくる。


「そんなことに出くわす訳ないじゃないですか。」


シャマシュさんは考え込むように顎をさすった。


「ふむ、そうか。

すまない、カエデ少年にとってみれば、祠やら家庭科室での一件は怪奇現象に数えられないのだな。」


「なっ!」


そのことを、どうしてこの人は知っているのだ。

楓は思わず驚きの声をあげてしまった。

シャマシュがすっと立ちあがる。

つられて楓も立ち上がった。


二人の間に張り詰めた緊張と沈黙が揺蕩たゆたう。


「そうだ、ひとつばかりお手合わせを願おう。」


シャマシュさんがふと妙案を思いついたといわんばかりに手を叩いた。


楓はあまりにも唐突過ぎて一瞬その言葉の意味を理解し損ねた。


「はい?」


困惑のあまり、楓の口から間抜けな声が漏れてしまう。


「ふむ、そうだ。それがいい。ちょうど道場にいるのだからな。」


しかし、シャマシュは一切を無視して一人満足気に納得してしまう。


「え?」


とんとん拍子に話を先に進めていくシャマシュに楓は目を白黒とさせることしか出来なかった。


          ◆◆◆


無手の自然体でこちらに向き直るシャマシュさんを前に木刀を構えながら混乱する。

なんでこんなことになったんだ…………?

楓の視線の先ではシャマシュが楽しそうにコート姿のまま伸びや屈伸の準備運動をしていた。


「さあ、そろそろ始めようか。ああ、木刀ではなく真剣を使いたまえ。ほれ。」


目の前にどう考えても銃刀法違反な直刀が鞘に入った状態で差し出される。

思わず木刀を刀掛けに戻してそれを両腕で受け止める。

途端、ずしりとした重さでよろけそうになった。

手の中の白い鞘をひとしきり眺めまわしたのち、楓は我に返る。

この人はいったいなにを言っているんだ?

普通に真剣を人間に向けるなんて危なすぎるし、そんなもの殺し合いじゃないか。


楓の無言の視線に籠められた困惑を見て取ったのか、シャマシュは楓に向き直った。


「何を躊躇ためらっているのかね。

………………ふむ、もしやこの未熟者に傷を負わせるやもしれんと、そう案じているのか!」


突然、ハハハッと陽気に背をのけ反らせてシャマシュが笑う。

そして、次の瞬間獅子のように獰猛な笑みを浮かべた。


「随分と面白いことを言うのだな、そんなペーパーナイフ程度にこの未熟者が傷つけられようとは。」


背筋に真冬の怖気が走る。

まるで本能で生命の危険を感じ取ったかのように楓は反射的に後ずさった。


「あ、当たり前です。刀で斬られたら誰だってけがをしますし場合によっては命に関わります。」


それでも、楓は常識を語る。

人間の肌は別にジュラルミンや特殊繊維でできているわけではない。

鍛錬である程度は頑強な肉体を手に入れられるかも知れないが、それもあくまで人間としての範囲だ。

刀なんて凶器、肌で受け止められる人間などいるものか。


「やれやれ、頭が固いぞ、カエデ少年。常識とは人の生きる社会形態によっていくらでも変動するものだ。」


不敵な笑みを浮かべながら、シャマシュが懐から取り出したのは拳銃だった。

法律違反だとかどうやって手に入れたかとか口をはさむ前に、それをこめかみまで持っていく。

シャマシュは安全装置をゆっくりと外して引き金に指をかけた。


「な、なにしてるんですか。止め……………っ!」


つんざくような発砲音が道場に響き渡った。

思わず目を瞑る。

いくら拳銃用の銃弾だからといって人間の頭蓋骨で守れるようなものではない。

直撃してしまったらそれこそ、頭から上が吹き飛んでしまっていてもおかしくない。


「カエデ少年、いつまで目を閉じているのかね?」


聞こえてくるはずのない声に恐る恐る顔をあげる。

そこにはいっさい血もあざもない、さっきまでと全く同じ姿のシャマシュが立っていた。


「そんな、馬鹿な………………。」


思わず楓の口から本音が漏れ出る。

銃弾を喰らっても傷ひとつない人間なんて夢でも見ているのか?


「ふむ、先程は目をつむっておってよく見えなんだろう。」


シャマシュはそう何でもないかのように告げて再びその手の中の拳銃をこめかみに向ける。

何度でも引き金を引き、その度ごとに空薬莢やっきょうが道場の木張りの床に落ちていく。

やがて引き金を引いても銃弾が射出されなくなり、硝煙の匂いが道場にたちこめるようになっても、シャマシュは依然一切の傷なしでそこに突っ立っていた。


「既に気づいておろうとは思うが、カエデ少年のようにこの世には摩訶まか不思議な力を持つ者がおる。」


そう口にしてシャマシュは床に落ちた薬莢やっきょうと潰れた弾丸を丁寧に拾い集める。

片方の掌の上に載せると、見せつけるようにゆっくりと握りつぶした。


「この未熟者のもつ異能は"強調函数かんすう"。己の思念を強調し、現実に具現する。」


パッと握りしめた拳を開く。

シャマシュの黒の革手袋の上には小さな金属球がのっていた。

手のひらの金属球をシャマシュが懐にしまう。


「さて、カエデ少年の持つ力は未だ目覚めておらん、不完全である。

そこで、この未熟者が僭越ながらめくるめく非常識の世界をカエデ少年に伝授して差し上げよう。

まずは真に異能とは何たるか、己が今どこにいるのか、そういったことを把握する必要があろう。

この未熟者に本気でかかってくるがよい。」


なに、遠慮する必要はなかろう、とうそぶく。


「この未熟者は最強であるからな。」

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