文書8 見つからない過去
「いいか、お前ら、今日は学校に放課後残んのは禁止だ。
今日は5時前には全員下校を完了しているように。もちろん部活も休止な。」
ぐで~っと教卓の上にうつ伏せになったラディムが前でぼそりと呟いた言葉にクラス全体が騒めく。
その多くは部活を楽しみにしていた生徒たちの不満の声だった。
「え~っ、先生そりゃないすよ! 大会前だってのに貴重な練習時間削られるなんて!」
柔道部所属のガタイのいい角刈りの生徒が思わずといった風に立ち上がる。
そうだそうだと教室のあちこちから賛意の声が上がった。
「知らねぇよ、市の教育委員会から言われたんだ、下っ端の化学教師が上の決定に逆らえるかよ。」
ふてくされたようにラディムが口にする。
そして、にたりと気持ち悪い笑みを浮かべると、心底嬉しそうに言った。
「ま、俺は早く帰れるから大いに賛成なんだがな。
部活の監督もしなくていいなんて最高だろ。
毎日がこれだったらいいのになぁ、お前らだってそう思うだろ?」
途端、教室中がブーイングの嵐に包まれる。
中には教卓に向けて豚を見るような冷たい視線を送る者もいた。
「ああもう、うるせぇ! 俺、ほんとお前らのこと嫌いだわっ!
俺にはどうしようもないって言ってるだろ、文句があるなら教育委員会にクレームの電話でも掛けろや!」
それも事実ではある。
不平不満たらたらながらも多くの生徒が口を閉じて、教室は比較的静かになった。
「先生、放課後いったい何があるんですか?」
囲碁将棋部の眼鏡をかけた生徒が納得がいかないといった風に問いただす。
「ん? ああ、校舎の耐震強度の確認をするんだとよ。」
声にならない理解が教室中に伝播していく。
この校舎が古くていつ倒壊してもおかしくないような状態なのは毎日校舎を使う教師や生徒が最もよくわかっていることだった。
だから、部活の顧問の先生たちと揉めたりせずにすんなりいったのかな、と楓は一人ごちる。
この学校は部活に熱を上げる先生が多くて少しでも部活の活動時間を減らそうとすると職員室が大口論の渦に叩き落されることは有名だ。
………………あれっ、でもそれなら夏休みとか学校が通常の授業期間でない時に検査をすればいいのに。
楓が疑問を抱く。
だがその小さな違和感は教室に広がる騒めきにいとも
「んじゃ、そういうわけだ。お前らとっとと帰っちまえ。」
相変わらず終礼はグダグダとしたまま終わった。
◆◆◆
楓が三階にある図書室の引き戸を開ける。
とたん、毛玉まみれのカーペットと古びて黄ばんだ紙の独特な匂いがむわっと押し寄せてきた。
どうやら司書の先生は席を外しているようで、図書室のカウンターは誰もいない。
図書室の中は冷房が随分ときつく効いていて、汗ばんだ体が少し震えてしまう。
忍び込んだ泥棒のような気まずさを覚えながら楓はそっと後ろ手で引き戸を閉めた。
この学校の図書室の蔵書はほとんど更新されず目新しさがないので利用する人も少ないのだ。
表面のニスが剥がれてザラザラの本棚の横に取り付けられた黒の小さなプラスチックプレートを楓は眺めていく。
外国文学、日本文学、自然、法律、………郷土。
あった。
図書室の一番端に追いやられるようにしてその本棚はひっそりと息をしていた。
本棚のおもてにまわるとこの小さな高校の図書室にしては驚くべきほどの本がびっしりと並んでいる。
この
すっかり色あせて掠れた見出しを頼りに楓は知りたいことが書いてありそうな本を探す。
指でさっと背表紙を撫でていく。
目的の分類は郷土料理と装束に挟まれるようにして窮屈にしていた。
5、6冊ほど適当に選んで閲覧席に持っていく。
どさりと脇に本の山を築くと、楓は早速その一番上から読み始めた。
楓が今日この図書館に来たのはあのクチナシの祠について無性に気になり始めたからだった。
しかし、昨日の様子から察するにグレイスに聞いても何も教えてはくれないだろう。
かといってもう一度祠まで行ってあんな目にあうのは
楓の家の神社は規模は小さくとも長い歳月を経た歴史ある古社だ。
しかし、
一部の学者の中では、神武天皇の東征前からこの地域を支配していた豪族の本拠地ではないかとまで考える人もいるとか。
だからか、口承を書き留めた記録は山のようにあった。
誰それがどこそこでなになにをしたのか、伝承が非常に詳細に書き綴られていて、往年の苦労をしのばせる。
しかし、楓がどれだけ躍起になってたくさんの記録に目を通そうと、祠のほの字すら出てこなかった。
まったくもっておかしな話だった。
自然に祠が大地から生えてくることなんてない。
当然そこには祠をたて、願いを託した誰かがいたはずだ。
現に、楓も読むまで存在していたことを知らなかったようなものも含めて、ほかの村の祠は必ずどこかで言及されていた。
だが、どれだけ探そうともあの祠に関しての記述はどこにも見当たらないのだ。
他にもおかしなことは沢山ある。
祠からそう遠くないあの三叉路の根元のお地蔵様に関しては何度も言及されているのだ。
しかも、お地蔵様に関する文書から察するに、あの祠へと続く道はかつて山を越えて向こうの町までいく便利な山道として慣れ親しまれてきたらしい。
なのに、あの祠に関しての記録だけポツリと切り取られたかのように存在していなかった。
これは誰かが意図的に改ざんしたのか、それとも何か超常的な力が働いたのか……。
一縷の希望を託して、伝承をまとめた記録ばかりか神社仏閣などの記録や村の土着信仰に関する論文集にまで目を通したのち、楓は結論付けるしかなかった。
あの祠は初めから存在していない、もしくは存在していないかのように扱われていた、そうとしか考えられない。
この調子ならおそらく村の公民館や町の図書館に行っても無駄折りになりそうだ。
そう悟ると、疲れがどっと押し寄せてくる。
せっかく放課後わざわざ図書室にまで来たのに何の成果も得られないなんて、がっかりしてしまう。
深い失望のため息を吐いて深々と椅子にもたれこむと、カウンターの上にかけられたアナログ時計が楓の目に入る。
長針と短針はちょうど6時を指していた。
驚きのあまり目を瞬かせる。
どうやら楓は時も忘れるほど調べものに熱中していたらしい。
まずい、実にまずい。
確か最終下校時刻は5時だってラディム先生は言ってたような。
一時間も過ぎているなんて、完全にアウトじゃないか。
楓の背を冷たい冷や汗が伝った。
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