文書6  アフリカからの客人

楓たちはとうとう神社にたどり着いてしまった。

シャマシュが何のためにこの神社を訪れるのかは結局最後まで分からずじまいだ。

涼しげな影を落とす鎮守の森の奥でせみが大合唱している。

神社の玉砂利を黒の革靴が踏みしめる。

シャマシュは興味深そうに夏の日差しが明るく照らす古びたお堂をしげしげと眺めた。


突然、シャマシュが質問をしてくる。


「ここは一体いつから神様を祭っているのかな?」


………建立はいつだったっけ?

神社の跡取り息子として言語道断な無知に、楓はすっからかんの頭をなんとか絞ってみる。

そういえば、ずっと前になんか飛鳥時代の文書が出てきたとか学者さんが言っていたような………。


「えっと、少なくとも千三百年前ほどから、です。」


なんとか思い出せて楓はほっとする。

そんな随分と未熟な神主候補を脇目にシャマシュは興味深そうに本殿をもう一度見渡した。


「ふむ、そんなに! 随分と歴史のある神殿なのだな。

この未熟者はアフリカ出身なのだが、アフリカでもこれほど古いとなると珍しいな…。」


そうひとしきり感心したようにシャマシュが頷く。

そしてすっとその鋭い目を楓に向けた。


「ところで、ここの祭祀長、いや神主は何処にいるのかな? もし存じているというのなら、是非ご教授願いたいのだが。」


きた。

恐らくこれがシャマシュがこの神社を訪れてきた真の目的なのだろう。

楓は無意識に身構えてしまう。


シャマシュは神主といった。

厳密には今この神社に神主はいない。

父が死去し楓は跡を継いでいない以上、神主は存在しないのだから。

ここで楓を神主として探しているとは考えづらい。

シャマシュとは初対面だし、名前も聞いたことがないのだ。

だから、恐らくシャマシュは父が死んだこと自体知らないのではないか。

つまり、シャマシュが探している神主とは生前の父なのだろう。

そう考えると辻妻つじつまが合う。


放蕩ほうとう者の父が若い時に家を出奔して世界中を旅していたことはこの村では公然の秘密だ。

恐らくそこでシャマシュと知り合ったのだとしてもおかしくはない。

さらに、ここにつくまでにチラチラと見え隠れしていたその剣呑な気配からこの目の前の女性が父に並々ならぬ感情を抱いていると容易に想像できる。

父は本当に性悪な性格だったらしい。

もしそれが本当だとしたら、シャマシュは父に何かしらの恨みがあるのではないか。


楓はどうしてもそう悪い方向にしか想像できない。

暫くの間躊躇ためらって黙り込んだが、楓は思い切って打ち明けてみることにした。


「ここの神主………いえ、自分の父は7年ほど前に事故で他界しました。今は自分が代理を務めています。」


口にして、楓はぐっと固唾を飲む。

いったいシャマシュはどう反応するのだろうか。


数秒の沈黙ののち、シャマシュは静かに呟いた。


「……………ふむ、そうか。死んだか、奴は。馬鹿め、一言くらい死ぬ前に寄越さんか。」


口にした罵倒とは裏腹に予想に反してシャマシュの声には寂しげな音色が乗っていた。


         ◆◆◆


「それでは、シャマシュさんは父の知人なのですか。」


縁側に腰かけ青々とした庭を見つめるシャマシュに麦茶をお盆に載せて出す。

カラカラと、コップの中で氷がぶつかり合うのが涼しげだった。


「ありがたい、カエデ少年。感謝しよう。

…………ふむ、友、といったほうがより正確かも知れんな。奴は躍起やっきになって否定するだろうが。」


過ぎ去ったかつての日々を懐かしむようにシャマシュは遠く青い空を見つめる。

青空はそれを見る人の気持ちもおもんばからずにどこまでも広く、広く澄んでいた。


「友、ですか?」


思いもかけない言葉につい楓の動きが止まる。

風鈴がリーンリーンと風にそよぐ。

噂話に聞く父の姿と、この目の前の実直そうな女性とはどう考えてもかけ離れたものだった。


「そう思うのも無理はない、事実奴は真正のクズ野郎だったからな。奴の友人と名乗るものなど世界広しと言えどもこの未熟者以外はおらんだろう。」


しかし不思議なほど馬が合ってな、とセミのせわしない鳴き声を背景にシャマシュがカラカラと笑う。

脇に正座で控えて話を聞くたび、その一言一言に込められたシャマシュの親愛の情がひしひしと楓に伝わってきた。


それからしばらく、楓はシャマシュが語る自分が知らない父の思い出に耳を傾けた。

父とシャマシュ、もう一人の友人で世界中を旅したこと。

二人でラスベガスで大負けして身包み剥がされそうになったこと。

最後は大喧嘩して別れたこと。

それら全ては村の人々からしか父については聞いたことがない楓にとってとても新鮮で驚きに満ちたものだった。

ようやく話がひと段落ついた頃にはすでに太陽が傾きかけていた。

ヒグラシが急き立てるように大声で鳴いている。


         ◆◆◆


玄関口でシャマシュを見送る。

赤い布袋を片手に持ちシャマシュは玄関の引き戸に手をかけていた。

すりガラス戸の外では真っ赤な斜陽が山稜の間に消えていこうとしている。


「今日は色々と父の話を聞かせてくださりありがとうございました。」


楓は深々と腰を曲げてお礼を言う。

自分はほとんど覚えていない父についてその旧友の方から話を聞けたのは純粋にありがたかった。


「いやいや、こちらこそ奴が逝った時に駆けつけられずすまなかった。

それにしても奴が子供をつくるとはな、手紙でもなんでも知らせる物だろう薄情者め。カエデ少年もそう思わんかね?」


夕日の逆光を背にしてシャマシュが笑う。


「あははは…………。」


楓は苦笑いを返すことしか出来ない。

もうよく憶えていない父にはあまり親しみはない。


「ああ、それと最後に。


………………これからしばらくの間は決して夜に村を出歩いてはならん。」


「えっ?」


あまりにも唐突な言葉に驚いて楓はシャマシュの顔を思わず見つめてしまう。

先程まで茶目っ気を存分に含んでいた顔はいつの間にか真剣そのものになっていた。


「悪いことは言わん。夜は家できちんと寝床につく、ただそれだけよ。では達者でな。」


「は、はい。」


その圧に気おされてつい了承してしまう。

シャマシュは深く頷いたのち、颯爽と夕陽に赤く染められた玄関を後にしていった。


         ◆◆◆


「それで、自分がいないうちに何かありましたか?」


ヒルトルートがその日の夜遅くに慌ただしく街から帰ってきた。

もうすでにすっかり外は暗くなっている。

玄関で下駄を脱ぐのに手間取っているその後ろ姿に声をかけた。


「父の旧友と名乗る方が来られました。確か名前は………シャマシュさんだったかな?」


その名前を聞いた瞬間、ヒルトルートの手が止まった。

平静を保とうとして動揺を隠しきれていないような声色。


「シャマシュ、さんですか?」


オレンジの電灯に照らされて、いつもとは違う様子のその丸まった背中に戸惑う。


「知っているんですか?」


楓はそう尋ねてみる。


「………………いいえ、聞き覚えのない名前ですね。」


そうにべもなく返された。

黒の着物姿のヒルトルートはそのまま下駄を丁寧に揃えて靴箱にしまうと、こちらに向き直った。


「さあ、夕食にしましょう。」


その言葉はいつもの通り優しかったが、裏に何か有無を言わせぬ圧があった。

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