第4章 夕暮れ時の生徒指導室

「……はぁ」


 放課後、俺は生徒指導室にいた。

 ついっさき生活指導の教師からこってり絞られたかと思えば、A4用紙二枚分の反省文を提出するよう言われたのだ。

 教師は「また様子を見に来る」と言って部屋を出たっきり。

 反省文は――白紙。

 シャーペンを持っては何も書けず、たたペン先をさまよわせるだけ。

 そう言えば、ここ一週間くらい、先輩と一緒に帰れてないんだよな。

 先輩は何か用事があるみたいで、生徒会の仕事を副会長に任せると早退することが多かったのだ。副会長によると家の用事、らしい。

 先輩、大丈夫かな。俺に手伝えることがあれば――そう思いかけ、あるわけないだろと自分でツッコミを入れる。大体、家庭の事情に首を突っ込めるほど親しいわけでもない。

 そういうのは彼氏とかの領分だろう。彼氏……。先輩が付き合う人はどんな人なんだろう。やっぱ家柄も性格も最高なんだろうなぁ。

 その時、前の扉が開いた。


「先生、すいません。まだ書き終わっては……って、先輩、どうして……?」

「あなたがいつまで経っても生徒会室に来ないから探しに来たの。で、あなたのクラスの担任の先生に聞いたら、、あなたが喧嘩騒ぎを起こして生活指導室で反省中と聞いたから、様子を見に来たのよ」


 先輩が俺の顔を覗き込む。


「っ!」


 俺はドキッとして思わず、上半身を仰け反らせてしまう。


「動かないで」

「っ!!?」


  不意に会長の、すべやかな右手が俺の顔に触れ、またも心臓が跳ねた。

 マジで口から心臓が飛び出すようなギャグマンガを想像してしまいそうなほど、鼓動がヤバい。


「唇を切ったのね。血が滲んでるわ。……男の子は元気がいいのは分かるけど、時と場所は弁えなさい」

「すいません。反省、してます」

「その割りに、反省文は真っ新、みたいだけどね。保健室へは?」

「行ってません……。先生に捕まってすぐ、ここに連れてこられたので……」

「ちょっと待ってなさい」


 会長は部屋を出ると、すぐ戻って来た。

 手には濡れたハンカチ。


「会長、別にいいですから。こんなの放っておけばそのうち治りますから……」

「黙りなさい」

「……はぃ。イテッ!」

「やっぱり痛むんじゃない」

「あの、自分で出来ますから」

「鏡がないんだから、自分じゃやりにくいでしょう」

「でも会長のハンカチが汚れます……」

「ハンカチに限らず、大抵のものは使えば汚れるものよ。だからいくつも替えがあるの」

「そのハンカチ、ちゃんと洗って返します。血の汚れって落ちにくいですし……」

「そんなことを心配する必要ないわ。うちにだって洗濯機もあるし、近所にはクリーニングのお店もあるんだから」

「じゃ、お金を出します」

「黙って。拭きにくいじゃない」


 ハンカチからは、柔らかないい匂いがした。

 柔軟剤だけじゃなくって、会長の香り――って、なに考えてるんだ。変態じゃないか!

 無心だ、無心……。先輩の善意を裏切るな。


「これで、いいでしょう」

「あ、ありがとうございます」

「本当は保健室でできればいいのだけど、もう養護教諭の先生は帰ってしまわれてるのよね。だから家に帰ったら消毒をして、絆創膏を貼っておきなさい。それじゃあ、次ね」

「次?」

「喧嘩の原因は?」

「……大したことじゃ、ないです」

「大したことじゃないのなら、話せるでしょう。相手は三年生よね。あなたが、そこまでする理由が理解できないの。あなたは過去、一度だってケンカ沙汰は起こしていないでしょう。相手は上級生。そもそも部活も委員会活動もしていないあなたには、喧嘩になるほどの接点がないはずでしょう?」

「本当に大したことじゃないので。先輩のお手を煩わせることでもないし……」

「私の手を煩わせるかどうかを、あなたが慮ることはないわ。教えなさい。あなたは雑用とはいえ、生徒会の一員なのよ。その自覚はある? つまり、あなたが喧嘩をした内容如何によっては、私だって相手方に謝罪をする必要があるのよ」

「そんな必要ありませんよ!」

「じゃあ、原因を教えてくれる?」

「あいつら、先輩の噂を……。ぱ、パパ活のこと話してて。先輩がそんなことをするはずないって注意したら、あいつら、突っかかってきたんで。それで……」

「放っておけと言ったはずよ」

「……はい」

「つまり、私のせい、ということね」

「違いますっ。俺がバカで――」


 瞬間、息が詰まった。

 先輩が俺の頭を抱え込むように両腕を回し、胸へそっと抱き寄せてくれたのだ。

 甘く柔らかな先輩の香りが……。


「あなたが怒ることなんて何もないのに…………馬鹿ね」

「……すいません」

「いいわ。そもそも私を押し倒したあなたを生徒会に入れたのは、私だもの。あなたが馬鹿なことは承知してる……って、今のは冗談よ?」


 先輩が頭を優しくなでる。俺、子ども扱いされてる……。まあ、喧嘩騒ぎを起こすなんて、ガキのやるようなことだけど。


「あ、あのぉ」

「何?」

「……い、色々とまずいので、そろそろ離して……くださいません、か?」


 正直、色々と限界だった。


「あら、ごめんなさい。びっくりさせちゃったわね」

「びっくりはしましたけど、嫌では、なかったです」

「……そう」


 先輩、ちょっと頬が赤い?

 いや、夕日のせいでそう見えてるだけ、か?


「じゃあ、帰りましょう」

「生徒会の活動は?」

「もう終わってるわ」

「でも、まだ反省文が……」

「じゃあ、そこにもう喧嘩はしないと書きなさい」

「え」

「まだ喧嘩をする気なの?」

「違います! そんなマンガに出てくるようなイカれたキャラじゃないですから」

「じゃあ、書きなさい。そう、それでいいわ。あなたは反省した。私が証人よ」

「でも先生が……」

「あなたは反省した顔をして立ってなさい。私が話すから」


 驚くべきことに、先輩は一文を書いただけの反省文と弁舌で、生活指導の先生を納得させてしまった。

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