第一話

 山の中にひっそりと建つ、丸太組みの大きな家の中。

「そういえばフラト、今いくつだっけ?」

 朝食の最中、テーブルの向かいから何の脈絡もなく発せられたその問いにフラトと呼ばれた少年は、

「十六です」

 答えてから、コーヒーを入れたカップに口を付けようとして、足元に『なーお』だか『あーあ』だか『んなー』だか鳴いて食事を要求してくる猫がすり寄ってきたので、立ち上がって台所に行き、後を付いてきた猫の目の前に餌を入れた皿を置いてやる。

 そうして再び席に戻ると、

「じゃあ旅に出るか」

 なんてことを、ご飯を口に運ぶついでに言われた。

「はい?」

 じゃあ、の意味がわからない。

 十六歳であることとの因果関係がまるで理解できなかった。

 約十年、この山の中で二人で暮らしているが、今までそんな話は一度たりともしたことがない。

 脈絡がないというより、突拍子もない。

「飯食ったら準備しろ。外を見てこい」

 だが、向こうにはこれ以上詳細を説明する気なんて一切なさそうで有無を言わせる隙もない。

 美味しそうにコーヒーを口にしていた。

 まあ。

 完全に向こうの好意、あるいは興味本位でこの家に置いてもらい、半ば養ってもらっているフラトの立場からすれば、どのような言葉であろうと否はない。

 不平不満はあれど。

 一度訊き返して何も詳しい話が返ってこなかったのだから、こういうときはいくら言及しても何も教えてはもらえない。

 そういう人なのだ。

「ごちそうさまでした」

 手を合わせてから立ち上がり、フラトは二人分の食器をもって台所へ。

 てきぱきと慣れた手つきで洗い物を終わらせ――約一時間後。

 たった一時間。

 それだけの時間でフラトは荷造りを終えていた。

 そもそもフラトだけの私物なんてほとんどない。

 衣服や、あとは山の中で過ごす為に使っていた道具一式くらいのもの。

 大体は共有で済んでいる。

 服だってそこまで数があるわけではないし、道具一式だっていつでも持ち出せるようにまとめてあったのを鞄に突っ込んだだけ。

 その鞄だって、洗い物を終えて振り返ったところに投げ渡されたものだった。

「必要なものはこれに入れて持っていけ」

 と。

「もらってもいいんですか?」

「まあ、くれてやってもいいが、そうだな、今は貸しておいてやる。つっても特別大事にする必要はない。がっつり使い倒して、お前の旅をその鞄にも刻みつけてこい」

 そんなことを楽し気に言われた。

 言われて見てみれば、渡された鞄には傷や汚れなど使用感が全然見られない。というかこれ、ほとんど新品みたいなものなのではないだろうか。

 となると、フラトにとっては突拍子もない展開だが、そこそこ前から考えられていて、その為にこの鞄を用意してくれたのかもしれない。

 何で秘密にするのかわからないが、まあ理由なんてないのだろう。

 玄関で履き慣れたブーツに足を通して紐をしっかりと締め、

「よっ」

 鞄を背負う。

「面白い土産話を期待してるからな。死ぬなよ」

「死ぬな、ってまた不吉な送り出しを…………」

「はっ。どんなところにいたっていつ何が起きるかわからないんだから、用心を怠るなって話さ」

「わかりましたよ。気を付けます」

「ああ。ほれ、そんなお前に餞別だ」

「ちょ、何でもかんでも投げて寄越さないで下さいよ。危ないな」

「うるせえうるせえ。ほら、とっと行ってこい」

「いでっ」

 餞別とか言われて渡されたものを鞄にしまっているところ、蹴られて玄関から外に追い出され、背後で扉が閉められた。

「はあ…………」

 閉まった扉を振り返って小さく溜息。

「……………………行くか」

 前に向き直り、ぐっと背筋を伸ばして姿勢を正し、歩き始める。

 こんなにも唐突に放り出された意味はわからない。

 そもそもあの人が突拍子もないのはいつものことで、意味があるのかどうかもわからない。

 勿論、反発なんかに意味はないし、拒否する権利なんてものもない。

 選択肢なぞないので仕方ない。

 流れに身を任せるしかない。

 ということで――こうなったら旅を楽しもうとフラトは切り替える。

 切り替え大事。

「面白い土産話、ねえ」

 どんな話を面白がってくれるのかまるで想像もつかないが、この山の外にはどんな場所があって、何があるのか。

 一体自分はどこに行けて、何を見ることができるのか。

 急に住家を放り出されての旅だが、そんな風に考えるとちょっとわくわくしてきた。

 折角の旅なのだから、楽しまなければ勿体ない。

 自分が楽しめていないのに、土産話も何もないだろうし。

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