歌会『つきかげ』

 斎藤茂吉は1953(昭和28)年に七十歳で亡くなっている。

 その最終歌集『つきかげ』からの引用。


  暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの

  茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし

  いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

 〈老い〉の歌であり、医師としての歌でもある。


 その一方では…。

  欠伸すれば傍らにゐる孫真似す欠伸といふは善なりや悪か

  税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりあゝ馬のかほ

  銭湯にわれの来るとき浴槽にて陰部をあらふ人は善からず

  不可思議の面もちをしてわが孫がわが小便するをつくづくと見る

 この四首も茂吉の歌だが、前の三首とは全く趣が異なる。箍(たが)の外れたような可笑しさも、〈老い〉が為せる業なのであろうか。


   *


  随筆を小説じたてに書きたれば差し障りなく筆すすみけり(医師脳)


 三陸の海を見下ろす高台に、こじんまりとした平屋がポツンと一軒たっている。

 玄関わきの古びた表札は辛うじて『つきかげ』と読めた。

 老人を日中だけあずかる(託児所ならぬ)託老所である。

 世の中には〈デイケア〉や〈デイサービス〉という名称を嫌う老人もいる。その多くは医者通いも嫌いだ。

「おれはボケていない。今日は何日かって? そんなことは答えたくないよ。100から7を引けなんて…馬鹿にするのか!」

「唱歌を歌えとか…塗り絵を描けとか…ガキのように言われるのはまっぴらだ」

 そんな爺さんを刺激しないよう、託老所〈つきかげ〉では大きな看板を出さず表札だけにしている。そのせいか、利用者は増えているようだ。


 私は傘寿すぎの医師である。

 若いころは産科医だったが、両親の介護をきっかけに老人内科へ転身した。

「ゆりかごから墓場まで…ですね」とか、職場のスタッフにからかわれる。が確かに言いえて妙だ。最近は看取りに立ち会い、死亡診断書を書く機会も増えている。

 出生と死亡に立ち会ってきた我が人生を思えば「命の関守石」とでも呼ぼうか。


 毎週水曜日に〈つきかげ〉へ通っている。

 すでに広間では歌会が始まっていた。

 壁には「笑顔で!」の張り紙が…。


  歌会はいづれが生徒か先生か笑ひ絶えざる託老所なり

  歌会では個々の短歌をただ褒め合ひ昔話に過ごす託老所


 歌会〈つきかげ〉では、批評や添削をしない。

「お互いの歌を誉めあいながら昔話にふけるのがよかろう」ということになったらしい。

 私の隣に座った婆さんがつぶやいた。

「大きな声では言えませんが…むかし刃傷沙汰があったんですよ」

「松の廊下ですね」と茶化すのはやめて、話し続ける婆さんの真剣な顔を見た。

「昔は小学校の校長先生だったそうですが…私たちにも気安く声をかけてくれたんですよ。そう、普段はね…」

「普段は優しい人が急にキレると怖いよね~」

「自分は大丈夫だと思ってるけど…なんだか心配になってきた」

 歌会をそっちのけにして、婆さんたちの話題は〈易怒性〉に移ってしまった。


 かつて詠んだ歌が浮かぶ。

  CT画像に前頭葉の萎縮ありてその主(ぬし)の顔をそつと窺ふ

 老健の施設長をしていたころの短歌だ。


 診察室には、娘に付き添われて新規入所の婆さんがニコニコしている。

 前医からの紹介状には「認知症」とあり、ご丁寧に「易怒性あり」と添え書きされていた。

 持参のCT画像を確認しつつ、婆さんの笑顔を詠んだことも思い出した。


 中野信子(脳科学者)先生は語る。

「年配者が、〝怒りっぽくなる、頑固、話を聞かない、疑い深い〟というのは脳の老化が原因かもしれません」

 なぜ老人は〝怒りっぽい〟のだろう。

 中野氏の著書『キレる!』には、こうある。

「70歳を過ぎると脳の老化が始まり、前頭葉が萎縮する人が多くなると解説しました。前頭葉の萎縮により、脳の怒りを抑制する機能がだんだん衰えてきます。ブレーキが利かなくなるわけです。/そうでなくても年配者は、自分が経験を重ねてきてオーソリティだという自意識、認知があるでしょう。とかく若者の未熟さが目について、「けしからん」と思いやすいのです。/さらにジェネレーションギャップにより、若者を理解しにくくなるし、そうなれば若者に自分の言葉が伝わらないと感じるようになり、年配者の〝レイジ〟は蓄積されていくことになりがちです。その結果、 怒りっぽくなってしまいます」

 御高説が身に染みる。

「ブレーキの利かない暴走老人!」とは自動車の運転に限らないのだ。ちなみに、レイジ(rage)とは(抑えがたい)激怒の意である。


 夢想の世界をただよっている間に、歌詠みの順番が回ってきた。


 さて気になるのは己の行く末である。

「感情は認知症が進んでも残る」と言われるが、むしろ〈喜怒哀楽〉は強調されるように思う。

「不機嫌なボケ老人」と嫌われぬように〈怒〉を避けて生きたいもの。

 願わくは、日々の「たのしみ」を詠いながら…。

  たのしみは温きふとんにくるまりて朝餉のかをりに目覚めたるとき

  たのしみは朝おきいでてタイムズに『モリオカNOW』の載るを見るとき

  たのしみは慌しくも朝食後チョコレートつまみ珈琲飲むとき

  たのしみは散歩がてらに本を買ひワンタン麵で昼にするとき

  たのしみは「おかえりなさい」と迎へられ甘きものにてお茶を飲むとき

  たのしみは黄金色なる金柑の甘く煮たるをかみしむるとき


 6首も詠んで更に調子に乗って語り続けた。

「江戸時代末期に、橘曙覧(たちばなのあけみ)という歌人がいました。/彼は千二百首あまりの和歌を詠みましたが、そのなかの〈独楽吟〉と題された52首の連作すべてが『たのしみは…』で始まり『…するとき』と詠まれています。/1994年、天皇皇后両陛下の訪米歓迎式典で、クリントン大統領は『It is pleasure/ When, rising in the morning/ I go outside and/ Find that a flower has bloomed/ That was no there yesterday』とスピーチに〈独楽吟〉を一首引用しました。/『たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時』の英訳です」


 気持ちよく演説をぶち終えた。

 まわりでは皆がお菓子を食べている。

「せんせいもおやつにしましょう。これで今日の歌会は終了します」

 介護長の唐突な仕切りにムッとしたが、笑顔を作って「おいしそうだ。いただこうか」と応えた。


 ちょっと残念だったが、中野信子先生の受け売りは言えずじまい…。

「脳細胞は使わないと定着ができないので、前頭葉や海馬に楽をさせないことが重要です。年をとると、だんだん人とコミュニケーションをとるのが億劫になったりしますが、どんどん新しい人に会うなど、認知負荷がかかることをやらせてあげるとよいでしょう。/脳トレゲームをするのもよいですが、一人でゲームをするよりも、例えばお孫さんと最近人気のゲームをしたり、楽器を使って演奏するサークルに入るほうが、コミュニケーションが増え、新しい出会いの場やチャレンジの機会が増えるので効果的でしょう」

 このあと、締めはこう言うつもりだったのに残念である。

「このように中野先生はおっしゃってますが、私は『歌会』こそがボケ防止に最適だと考えております」


 おやつも終わった。

 そろそろ仕事を始めようと思ったが、看護師さんは聴診器をもって呼びに来ない。何かあったのだろうか。やっと私を呼ぶ声が聞こえた。

「せんせい!」


 診察室のドアを開けると…。

アフロヘアの女医さんが笑顔で私の椅子に座っている。

「どうなってるんだ!」と叫びそうになるのをこらえた。ここでキレてはならぬのだ。


   *


 ――念押しするが、文中の〈私〉とは私のことではない。すべて虚構である。

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