第七章 取り引き

第36話

 それから数日後。

「さて、ラツェッドさんよ」

 この日、タールスタングはラツェッドと二人で会議室にいた。

「そろそろおれの働きぶりについて評価してくれてもいい頃じゃないか?」

「そうだな。君はアドバイザーとしてこれ以上ない貢献を我々ACMSにしてくれた。感謝している」

「感謝はいい。相応の対価がもらえればな」

「もちろん。それは期待してくれて構わない」

 タールスタングは満足そうな笑みを浮かべて頷いた。ラツェッドは話がわかる男だ。そう思っていた。しかしそのさらに数日後、タールスタングは彼に裏切られることになった。それはラツェッド含めたACMS職員が次の監査に向け準備をしているときだった。タールスタングも事前に書類に目を通そうとラツェッドから資料を受け取り、その大きな体で小さな紙媒体のそれを読み込んでいた。その事務所に突然、スーツ姿の男女が乗り込んできた。みなキッチリとした身だしなみで、それぞれ凛とした表情やきびきびとした歩き方から、エリート層の人間だろうとタールスタングは予測してみた。彼らは一様に首から青い紐で紋白プレートを胸に下げており、その光が網膜に届くと、彼らの身分証が目の中にデータ展開される。『ACMS環境支援課』と所属が明示されていた。それはACMS全体を統括する部署だった。ということは、今、ラツェッドのデスクの前で足を止めた男と女は、いわばキャリア組の連中だ。

「本課の方々が、なにごとですか」

 デスクに座ったラツェッドが言った。

 本課の彼らはそれぞれ簡単に挨拶して自己紹介すると、さっそく本題に入らせてもらいたいと言った。ちなみにタールスタングは〝さっそく〟という言葉の意味に懐疑的だった。おそらく〝さっそく〟という言葉が使われて本当に素早く本題に入る割合は半々といったところだろう。今回は割とその意味通り、本題に入るのは早かった。そこはやはりキャリア組だなとタールスタングは感心していた。

 ラツェッドが応じると、本課のリーダー格と思われる女が言った。

「内部監査の結果が出ました」

「内部監査だと?」

「知らなかったんですか?」

 首を傾げる女のネームプレートには、性別は女、ジェンダーは公開設定で男、代名詞は〝彼〟で呼んでほしい旨が記載されていた。

「飼育管理一課から不適切な支出が認められています。我々はその調査のために来ました。所長、課長にはすでに通知済みで、ラツェッド補佐から事情聴取する許可も下りています」

 なんだ。悪いことをしてたのか。

 タールスタングは横目でラツェッドを見ながらニヤついていた。彼に対しては特にこれといった恨みつらみなどはなく、しかし他人の不幸はみていて心地がいい。赤ん坊が母の声を聞いて安心するように、タールスタングは人の不幸が心の安ぎだった。

 ラツェッドが連れていかれ、すると事務所内は仕事をしながらもひそひそと話をする声が聞かれはじめていた。

「やっぱりあれだよな。ドローンの適正貸与に対する突っ込みだよな」

「セレストウィングドラゴンの件で結構おかしな動きしてたもん」

「シェルターから強制的に保護した竜も正規手続きを踏んでいないらしい」

「そもそも昔から補佐の動きは危うかったんだ。あの人はキャリア志向のくせに自我が強すぎるんだ」

「私利私欲に偏りすぎてる」

「マイナちゃん、補佐と交換で帰って来ないかなぁ。あの子いないと回らないよ」

「無理でしょ。なんかめっちゃ遠くに飛ばされるらしいし」

「てか、なんかアドバイザーにも謝礼金、出ないって話だぜ」

「なんだと?」タールスタングが立ち上がった。「それは本当か」

 急に大男に絡まれた職員は、怯えながらも頷いた。

「あ、あんたがアドバイザー候補者リストに載っていないからだよ。おれたちACMSはそこから人選しなきゃいけない。候補者リストに名前が載るには猟友会の推薦が必要なんだ」

「なんだと? クソが」

 そんな話は聞いていなかった。推薦どころか、おれは猟友会には入っていない。候補者リストに名前が載ることなんてありえない。タールスタングは事務室を出て、ラツェッドらがいるだろう会議室の扉を荒々しく開けた。

「だから、おれも知らなかったんだ」とラツェッドの言葉。「あの男が持ってきたリストがこの書類だ。候補者リストにあの男の名前が載ってる。データでも同じものを示された。本課にも同じリストを添付し承認は得ているはずだ。我々はあのタールスタングという男に騙されたんだ」

「なに?」

「ひっ……」

 急に乱入してきたタールスタングにラツェッドは驚き、ふかふかな椅子ごと床にひっくり返った。

「ちょっと!」とジェンダー男の女がタールスタングの前に立つ。「なにしているんですか。部屋から出ていきなさい」

「どきな。おれはそこの金髪に用があるんだ」

 タールスタングのそれは酷い侮辱の言葉だった。女は怒りに顔をしかめ、肩がせりあがる。他の職員もタールスタングを止めようとするが、役所勤めの貧弱な人間の静止など、山や森を職場とする大男には大した抵抗ではなかった。床に転がり、無様にも這いつくばりながらこの場から逃れようとしているラツェッドの襟元を掴み、持ち上げる。

「よう、色男」

 ラツェッドの足は完全に地面から離れていた。

「は、離せタールスタング。これは暴力行為だ」

「ほう。じゃあこれはどうなる」

 タールスタングはもう片方の腕でラツェッドの首を鷲掴みにし、ギュッと力を込めた。

「さ、殺人未遂だ! 刑事罰相当だぞ! 本課のお前たちもなんとかしろ!」

 ラツェッドがもがきながら叫ぶが、静止をあっけなく突破されたエリートたちはみな立ち尽くしていた。完全なる力の差を感じ取ったこともあるだろうが、どちらかというと、目の前のできごとに理解が追いつかず思考がフリーズし、機能停止しているかのようだった。

「このマニュアル人間ども! 警備員を呼べ。それに警察もだ!」

 エリートのうち一人がハッとし、紋白端末を起動させて通信を開始する。

「おい、どこを見てるんだラツェッドさんよ。こっちを見ろ。そしてどういうことか説明してみやがれ」

「どういうことか? な、なんのことだ」

「アドバイザーへの報酬は、候補者リストに名前がないと支払われないと聞いた。それは本当か。そしてもし本当ならなぜおれに声をかけた。なぜおれに嘘をついた」

「その確認のためにこんなことをしているのか。なんて男だ! みたか本課のお前たち! こいつはこういう人間なんだ! 候補者リストを改竄し、その責任を我々に押し付けようとしている!」

「話が見えないって言ってるんだ! そんな事実なんか存在しない……それはラツェッド、お前が一番よくわかっているだろう? おれの目をみて話せ」

「うるさい。おれはもう騙されないぞ」

「その演技をやめろ」

「ふん」

 ラツェッドは気弱な割に、その主張だけは繰り返し繰り返していた。

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