第22話

「ただいまから、監査対象一九八四番、キリガミネ高原牧場ドラゴンシェルターの監査を開始します」

 そう宣言したのは、ACMSの作業着を着たマイナで、その向かいには、シェルターの作業着を着たレクトアがいた。マイナはさぞかしレクトアは驚くことだろうとワクワクしていたのだが、レクトアは特に動じた風もなく、朝霧立ち込める森の中、「よろしくお願いします」と言った。

 リュウと久悠がシェルターにやってきてからすでに三ヶ月ほど経っている。二ヶ月以上前、久悠はウェルメから混合調整物質を受け取り、それから二ヶ月近くリュウとアオに経口摂取させ続けていた。それは二匹の遺伝子を暗号化する代わりに、そのほかのDNAも変異してしまう可能性を伴っていたが、だからといって彼らの遺伝子を放置しておくという道は選べなかった。たとえ彼らが竜以外のなにかになってしまったとしても、その遺伝子は暗号化しなければならない――

 久悠にとって苦渋の決断ではあったが、それから現在に至るまで、幸いにも目に見えた変異は起こっていない。混合調整物質がリュウとアオそれぞれの身体に吸収され、それぞれの幹細胞に溶け込み、DNA情報の一部を改竄する。幹細胞はその情報を他の六〇兆個にも及ぶすべての細胞と共有し、改竄されたDNAから作られた細胞が徐々に体内で広がっていく。細胞すべてが変異後のそれと入れ替わるまでおよそ数年を要するが、鱗や糞尿から採取されたDNAを調べたところ、二ヶ月経った頃にはでリュウもアオも遺伝子は暗号化されていた。細胞の入れ替わりが激しい部位に限り、新たなDNAに置き換わっているようだった。これまでシェルターで出たリュウとアオの糞尿はすべて複数職員管理のもと焼却処分している。竜の鱗はもともと簡単に剥がれるものではなく脱皮もない。竜には体温調節機能がないので汗もかかない。それでも彼らの変異前の細胞の痕跡を徹底的に消し去るために、何度もリュウとアオの居住区画や遊び場を洗浄している。彼らのDNAが世の中に広がるリスクは格段に低下していた。そして幸いなことに、ウェルメが懸念していた変態メタモルフォーゼは今のところ目に見える形では起こっていない。

 しかし、まだすべてのDNAの置換が終了していないので、リュウとアオの存在を世間には明かせない状態が続いていた。鱗からは複製クローニングできなくても、たとえば細胞の入れ替わりが最も遅い心臓からは、未だ旧来の無防備なDNAを採取することができるのだ。竜の命よりも金儲けを優先する人間であれば、そこからのDNA採取も厭わないだろう。とはいえ、この事実は黙っていればわからないはずではあるが、彼らの細胞を隅から隅まで調べ尽くす金の亡者がいないとも限らない。その上、そもそもセレストウィングドラゴンの幼体は、世界中どこを探してももう存在していない。だれもが憧れる絶版の竜、その幼体が二匹もいるとなると、そのことだけでもセンセーショナルなニュースとなって情報が全世界を駆け巡るだろう。まともなルートで飼育を求める問い合わせが殺到するのはまだいい方だ。力づくで彼らを奪おうとする者が現れる可能性もある。もっとも、シェルターで過ごしている限り、レクトアをはじめとした竜のことを心から好いている職員たちの信念もあって、彼らの存在の露呈は限りなく低い状態だった。しかしそれでも保護竜の飼育を検討するために頻繁に見学者がやってくるため、その時はリュウとアオが見つからないよう遊びを中断して、不平不満を訴える彼らをなだめながら部屋の中に篭る必要があった。また以前から警戒していたものとして、ACMSによる監査があった。ここでリュウとアオの存在が明るみになるということは、世間にその存在が知られることと同義だ。彼らはたとえ事情を考慮したとしてもこの二匹の存在を隠さない。淡々と業務をこなす冷徹な公務員なのだ。既定に則り、監査の結果を世間に公表するだろう。

「ACMS飼育管理一課地域係、課長補佐兼係長のラツェッドです。よろしく」

 マイナの横で後ろ手を組み、背筋を伸ばした男が言った。ACMSは他に一〇名ほどの職員が帯同している。一方のシェルター側は、レクトアの後ろに本日出勤の職員が並んでいた。久悠もその中にいた。あの男が、よくマイナが愚痴を言う上司ラツェッドか――やせ型の男で、髪はクセっ毛の金髪。雰囲気として神経質そうな人物だった。

「竜の保護に尽力するみなさんのことを疑っているわけではありません」と、ラツェッドは言った。「本日、我々は規則で決められていることを確認するための作業を実施させてもらうにすぎません。ご存じとは思いますが、各シェルターには受け入れ限度頭数といって、その施設の規模や状態に応じて保護できる竜の頭数が決められています。これは竜が施設の設備やみなさんの手がどの竜にも適切にいきわたり、竜が安心安全に過ごすことができる頭数の上限として定められています。みなさんの竜を思う心は無限でも、施設設備やマンパワーは無限ではありません。そのために設定させてもらっている数値です。今回は、その竜の頭数が上限を超えていないかという確認はもちろんのこと、このシェルターの設備が適切に機能しているか、人員配置は適切か、みなさんが無理をしすぎていないか、経理に問題はないか、そのほかなにかお困りのことはないか等の確認をさせてもらうことになります」

 淡々と一定のリズムで説明を続けるラツェッド。その横でマイナが笑顔ながらイライラしているのがわかった。

「ちなみにですが、仮にシェルターが竜を既定の頭数から超過して飼育していた場合など、不適切な状況が認められた場合には行政からの助成金が減算される可能性があるのでご承知おきください。五年ごとに実施される入札も不利になり、次期指定管理を得られない可能性も出てきます。最近、他のシェルターでは特に竜の頭数超過が目立っています。それを隠す施設まで現れるくらいで、我々は頭を悩ませています。というのも、我々はこれといって竜のスペシャリストというわけではありません。そこで、ここしばらくはその道のプロの方にアドバイザーとして帯同して頂き、助言をもらうようにしています」

 プロのアドバイザー?

 シェルター側の職員が少しざわめいた。

 ラツェッドがそのざわめきに目を光らせたように久悠には感じられた、次の瞬間、久悠は最悪な男の姿を認め、それだけで激しく感情が揺さぶられた。煮えくり返るような怒り、どうしようもない嫌悪感が、どす黒い脳内物質となって頭の中をかき混ぜていく。

「ハロウ、久悠」

 建物の死角から、この世で最も不快な男――タールスタングが姿を現した。

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