第20話

 紙袋の中には、シェルタースタッフが着ている作業着とキャップが入っていた。

「いや、私、定職あるんですけど」とマイナが引き気味に言う。

「いつでもボランティアに来て」

 マジですか……、確かに竜は好きですけど……と、マイナはあまり乗り気ではない様子だった。その横で、久悠はさっそく作業着を羽織り帽子を被っていた。

「おれは自営だから時間の融通は利く」

「ん、ありがと。泊まり込み希望なら部屋も準備できるから言ってね。お給料ももちろん払う」

 結果、マイナはこれで帰り、久悠はシェルターで住み込み就労をすることで決まった。久悠がウェルメにそのこととアオの存在を伝えると、彼女は快諾と同時にアオの鱗も一枚欲しいとのことで、マイナが青い空色の鱗を喫茶竜まで持ち帰ることになった。数日後には喫茶竜のシェアハウスに置いてきた久悠の荷物が届き、そのなかに猟銃もあった。しばらく使っていなかったから、そろそろ照準調整ボアサイティングが必要だと考えた久悠は、アオとリュウが微小竜たちと一緒になってシェルターの草原で遊びはしゃぎまわっている中、銃のメンテナンスを開始した。

 都市部の喧噪から離れた穏やかな森の日差しが、久悠に割り当てられた寮の一室の窓から注ぎ込んでいる。竜たちと遊ぶシェルター職員たちの笑い声が響く。六畳の部屋は久悠のいつもの部屋よりも二倍の広さがあって明るく、どこか落ち着かない。その部屋の中央に置かれた正方形のローテーブルの上に、銃とそのメンテナンス道具一式を無造作に並べていく。他人がみたらガラクタの詰め合わせとしか思えないだろう道具箱から、洗い矢、歯ブラシ、セーム革、布、それにオイルを取り出す。

 まずは銃を綺麗にしなければならない。いくら照準を念入りに調整したとしても、汚れやサビなどで銃弾の軌道が変わってしまっては意味がない。オイルを洗い矢の先端にあるブラシに塗布し、銃腔ボアの内部をゴシゴシと磨く。ボルトを外し、薬室側から洗い矢を差し入れて、磨き残しがないようにする。

「おはよう久悠くん。入ってもいい?」

 久悠が銃腔内部を覗き磨きの腰がないか確認していたとき、レクトアがドアをノックした。久悠は彼女の言葉に応じ、部屋の中にレクトアが入ってくる。

「今日はお休みの日だよね」

「あぁ」

「なにしてるの?」

「銃のメンテナンス」

「自分でやるんだね。うわ、こんなに分解できちゃうんだ」

 テーブルの上に置かれた銃のパーツに驚きながら、レクトアは久悠の向かいに座った。「これ、もとに戻せるの?」

「そりゃな。銃の中でもボルトアクション式ライフル銃は仕組みが単純だ。銃のパーツとその役割、組み立て方を覚えておけば、万が一、猟の中で銃にトラブルがあっても比較的容易に対処することができる。メンテナンスをショップに任せる猟師も多いが、いざという時に銃のことを知らないと不便だからな。こいつのことをちゃんと理解し、そしてちゃんと理解できているか確認するためにも、おれは自分でやることにしている」

「久悠くんらしいね」

 レクトアは笑い、久悠の作業を見つめた。

 久悠はテーブルの上にあったスコープを手に取り、柔らかい布でレンズを丁寧に磨きはじめた。レンズを前後から覗き込み、気になる曇りがないか確認する。次いで銃身を手に取り、引き金やスコープをセットする隙間に入ったごみを歯ブラシで取り除いた。そしてボルトを戻し、機関部がスムーズに動くか試してみる。

「古いよね。その銃」

「そうだな。もう何世紀も前に作られた代物だ」

「気に入ってるの?」

「そういうわけじゃない。仕方なく使ってる」

「仕方なく?」

「猟銃は戦争用の銃と違って、主に銃床が長いんだ。短ければだれでも使える汎用性の高いものになるが、その分、使い勝手が落ちる。銃床をはじめ、銃は自分の体格に合っているものを選ばなければいけない。自分が欲しい銃があっても、それが自分に合うとは限らない。そうしてたどり着いたのがこの銃だった。古臭い銃で定期的にメンテナンスしておかないとすぐにフレームががたつく。手間がかかる不便な銃だ」

「そうなんだ」と、レクトアはどういうわけか微笑んだ。「次はなにをするの?」

照準調整ボアサイティング

「なにそれ」

「照準を直すんだ。狙ったところに弾が飛ぶようにする」

「へぇ。見てていい?」

 別に構わないが、つまらないぞ――と久悠は言った。別に構わないぞとレクトアが答えると、久悠は磨き終えた銃と布を一枚、それに三脚を一つ持ち、寮の外へと出た。

「ここは木が多くていいな。風もないし、気持ちいい日だ」

「そうだね。なんだか休日って感じ。実際に私たち休日だし」

 久悠は手近な木の枝にその布を垂れ下げ、そこから大股に十歩、布を背にして移動した。

「なにしてるの?」

「一〇メートル離れた地点からあの布の中央に照準が合うように調整するんだ」

 三脚を広げ、その上に銃を固定した。これは久悠がカメラ用の三脚を改造して作った銃の調整用の台座だった。そしてボルトを外した機関部から銃腔を覗き込み、木の枝に垂れ下げた布の中央に描かれたバツ印が筒の中央に来るよう三脚の位置や高さを合わせる。

「まるで映画のワンシーンみたい」

「こんなことをしている映画があるのか」

「うん。『星を見上げて』っていう古いSF映画。二つの惑星が向かいあっている世界で、向こうの星に暮らす女の子と交流するために、主人公が望遠鏡を調整する冒頭のシーン」

「仕組みは一緒かもな」と、久悠は銃身に取り付けられた小型望遠鏡のようなスコープを覗き込んだ。そして中の十字線レティクルが布のバツ印の中央にくるよう、スコープのつまみを回して縦軸と横軸を調整していく。

「これで完成?」

「いや。次は射撃場でゼロ点修正だ。実際に弾を撃って照準を最終調整したり、銃の癖を確認したりする」

「なんかすごそう。一緒に行っていい?」

「免許がなければ銃は撃てないぞ?」

「うん、見てるだけで大丈夫」

「その間、リュウは」

「うちのスタッフに任せなさい」

 荷物をまとめた久悠の腕を抱きしめ、レクトアは楽しそうに久悠を連れ出した。

 マイナは帰ってしまったので車はなく、久悠のバイクは喫茶竜に置きっぱなしだったので、レクトアの水素エンジン搭載のアンティークバイクに二人乗りタンデムして移動した。髪を後ろでまとめ、ハーフヘルメットを被り、大げさなゴーグルをかけ、レクトアは久悠を後ろに座るよう親指で促した。掴まる場所は、彼女の身体しかない。渡されたハーフヘルメットのベルトを顎で固定させながら、久悠は慎重に彼女の後ろに座った。

「行くよ。掴まって」

 仕方なく、そっと彼女の両腰に手を添える。

「それじゃ山道で振り落とされるよ。遠慮しなくていいって」

 腕を回して、彼女の細い腰をホールドするように抱きかかえる。

 彼女がアクセルを回すと、バイクはブロロロと大げさな音と振動を立てながら、座席の下部に配置されたエンジンが水素を爆発させ、ピストンが上下し、その往復運動がタイヤの回転運動へと変換され、動き出した。未舗装のでこぼこの土道。空を覆う森の木々。座席のクッション性は優れもので、厚く柔らかい素材はどんなに長時間座っていたとしても痛みや疲れを感じない。シェルターの敷地内から出ると、舗装はされているものの曲がりくねった山道が続く。一八〇度近いカーブでは、どうしてもレクトアを抱く腕に力が入る。彼女は細身だからそれほど脂肪はないはずなのに、その服越しからでも伝わる柔らかさは、皮膚と肉の間に女性特有のなにかが仕込まれているかのようだ。風にそよぐ甘いような香りは彼女のものかカツラの木のものか。レクトアは紋白端末のナビに従い、高原を縫うスカイラインを移動する。道中、複数台のバイクで構成されたツーリング集団とすれ違う度に彼らは「ヤエー」と多様なハンドサインをこちらに向けていく。珍しいバイクのためか、彼らの反応は明らかに高揚していた。小さな山々を上から見下ろし、高い山を同じ高さから眺める爽やかな直線道路に差し掛かった。白らばむ大気の先にフジヤマが見える。青い北アルプス山脈が自分たちと同じ高さにある。都市部が遥か下界で小さく群生している。道はやがて下りに入り、山の中から郊外へ、郊外から都市部へと移動した。途中、巨大な湖の脇を走り、再び郊外、そして山道へと至り、バイクは総合射撃場に到着した。

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