第四章 ドラゴンシェルター

第18話

「わざわざ訪ねてきてくれるなんて」と、レクトアは紅茶を出しながら言った。「名乗っておいてよかった。もう会えないかと思ってたから」

 椅子に座る仕草の中で長い黒髪が流れ、それを耳に掛けながら、彼女は久悠に微笑みかけた。

「でも、なんていうか、その――ただ会いに来てくれたってわけじゃなさそうだね」久悠の表情を見て、彼女はなにかを察しているようだった。「大丈夫? 私でよければ力を貸すよ」

「その気持ちはありがたい」

 そう言いながら紅茶を啜る久悠。思った以上に熱くて、舌を少し火傷した。あはは、大丈夫? とレクトアが笑う。動じていない素振りを見せながら、久悠は悩んでいた。レクトアのことを信じ、リュウの話をしてしまっていいものだろうか。それを決断するために、彼女のことをもっと知りたかった。

「なにか深い事情がありそうだね」

「まぁ、そうだな」

「猫舌?」

「多少」

 するとレクトアは急に立ち上がった。

「来て。紅茶が冷めるまでの間、ウチのシェルター案内したげる」

 久悠の手を引いて、二人は事務所の外に出る。彼女が運営するドラゴンシェルターは山の中腹の森の中にあり、岩が多い立地だった。草原地帯として開けたエリアもあり、そこにいくつか舎が建てられている。

「現時点で保護している竜は全部で一七匹。大型竜一匹、中型竜一匹、小型竜一〇匹、微小竜四匹、超小型竜一匹。あ、あと、昨日から中型竜の幼体が一匹加わってたから、全部で一八匹だった」

 一つ目の舎はプレハブ造りで、入った瞬間に獣の臭いが鼻をついた。主に糞便の臭いだろう。この臭いを嗅いで、久悠はこっそり驚いていた。竜たちも獣なのだ。当然だ。生を受けた以上、彼らは生き物だった。しかし久悠が持っていた元来のその認識を上からさらに厚塗りするに足る生命の熱がこの舎には立ち込めていた。建物の中は二〇畳ほどの長方形の空間が背の高い鉄の柵で間仕切られ、竜用の小さな居住空間を一〇区画作っていた。床には藁が敷かれ、各区画に一匹ずつ小型竜が入っている。久悠たちが入るなり暴れ出す竜。背を丸め翼で顔を隠し怯えている竜。放心したようになんの反応も見せない竜。

「ここの子たちの半分くらいは、まだ心に傷を負っていて飼い主を探せるレベルにない状態」とレクトアは言った。「人間のことを警戒しすぎて、餓死するまでエサを食べない子も少なくないんだ。そんな中で、この子たちはよく生きている方。なんとか幸せになってほしいなって願ってる」

 レクトアは久悠を導いて舎の中央を移動し、続いて奥の戸へと案内した。

「驚かないでね」そう悪戯っ気のある笑みを見せて振り返った彼女に、久悠は若干の動揺を自覚した。

 はじめの舎から続く廊下を歩き、階段を下る。窓にガラスは嵌められておらず、明るい緑の森から涼しい風が吹き抜け、夜間、電灯に群がっただろう虫たちが通路の隅で死骸となっていた。階段を下るにつれ、窓は少なくなり、薄暗くなっていく。空気も遥か地下階層にでも来たのかと思うほど重く濃くなり、不思議な緊張感を纏っていた。その中であっても可憐なレクトアは、階段を下り切った先にある扉をゆっくりと開けた。

 途端に、黒い影の怨霊が無数に飛び出してきたのかと思うほどだった。重苦しい暗闇、先ほどの命ある臭いとは全く異なる死を連想する悪臭、重低音の息遣い。

「……ここは?」

「二つ目の竜舎。それで、そこに居るのが、世界的にも非常に珍しい大型竜――」

 竜王、バハムート。

 その大型竜が保護されている竜舎は巨大な倉庫のようだった。その建物一つが強固な鉄格子によって補強されており、奥の暗闇から真っ赤な目が二つ光を放っている。二人の人間の動向を観察している物静かな双眸。今は床に伏し顔を久悠に対して正面に向けているためその体躯の巨大さは伺い知れないが、それでも竜王との呼び名に恥じない立派な角と牙、そして黒い鱗の煌きだった。

「捨てられたのか」

「そう。信じられないでしょ」

 大型竜は、世界的な大富豪でもない限り個人所有は不可能だ。購入のための費用でプライベートスペースクルーザーが数台買える。飼育も組織で取り組む必要があるし、それらの人件費、日用生活品、そしてなにより食費の負担は莫大で、毎月そこそこの車を買うのとそう大して大差ない。そのため多くの場合、大型竜は企業や国家が権威や象徴を示すために所持していることが多い。また大型竜によるドラゴンスカイレースも熱狂的な人気を博していた。そのレースは賭けの対象になっており、それに参戦した大型竜の所有者は勝っても負けても賞金が手に入る。かつて世界に一匹だけ存在したというグレートセレストウィングドラゴンというセレストウィングドラゴンの上位品種はレースに全戦全勝し、月の必要経費を遥かに上回る賞金を得ていたそうだ。

「この竜を飼っていた国家が破綻したんだ」とレクトアは言った。「その国はこの竜を売却して少しでも資金を得よとしたみたいだけど、国家の飼育なんて企業に比べてあまりに熱意のないもので、レースでも大した結果が上げられていなかった。そのうえレース中の事故でケガを負ってるし、捨てられた心の傷はそれ以上に酷くて、もう飛べる様な状況じゃない。バハムートは大型竜の中では人気種だから、大金を払ってでも他のバハムートを育てたいって思う国や企業ばかり。結局、この竜の買い手は見つからず、今は次の飼い主が現れるか処分されるかの決定待ち」

「それまでの間、おれたちの国がおれたちの税金でこの竜を養うことにしているってことか」

「そ。いい国だよね。だから私はこの国に来た。といってもうちは指定管理って仕組みで国からこの事業を請け負ってるからね。資金繰りは非常に厳しいんだけど」

 そしてレクトアは次はこっちだよとシェルターの案内を続けた。立ち去る久悠の背中を静かに見つめるバハムートは、ゆっくり大きく、重低音の吐息を繰り返していた。

 中型竜の竜舎から微小竜以下が暮らす温室に差し掛かった頃、小型竜たちが区画から解放されシェルターの草原エリアを走り回っている様子が木々の隙間から見て取れた。

「うん、あそこまで走り回れるようになった子たちはシェルター卒業間近だね」

 満足そうな表情で、自身に満ちた表情で、しかしどこか切なそうな表情で、レクトアはそういうと久悠に微笑みかけた。

「久悠くんは飼ってるんだっけ。竜」

「いや」

「そう。じゃあ一匹、里親になってみない?」

「……いや。最近、中型竜の幼体の世話をしている」

「中型竜の? へぇ。それはまた冒険したね」

「不本意だった」

「どういうこと?」

「今から説明したいが……」

「種類は?」

 久悠は返答すべきか迷い、沈黙した。レクトアは悪い人物ではなさそうだ。しかしだからこそ逆に久悠では計り知れないものが彼女にはある。それが吉と出るか凶と出るか……ウェルメやマイナのように昔からの知り合いというわけでもない。いや、そもそもウェルメやマイナに知られてしまったのは事故だった。運よく彼女らはリュウの味方になってくれたが、果たしてレクトアも同じようにいくだろうか。

 久悠が悩み、冷めた紅茶を口にした時だった。

「もしかして、セレストウィングドラゴン?」

 レクトアの言葉に久悠の手が止まった。

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