第15話

 これはおもしろくなってきたぞと、ACMS庁舎内でヒールの音を鳴らすマイナは思っていた。諜報活動。スパイ。これがバレたら私は別に大した処分はないけど久悠さんが終わる。退屈な業務に湧いたスリリングな展開。でももし仮に私が失敗しても、あの人は自由に生きている感じがするしこれ以上終わりようもない人生だろうから大丈夫。唯一可哀相なのはリュウくんだ。セレストウィングドラゴンの謎の亜種。孵化なんてありえないはずなのに生まれた命。彼の存在の暴露は彼の人生の崩壊を意味している。私に懐いて肩に乗ってくれたリュウくんの顔が忘れられない。私がミスれば、彼は終わる。きっとその細胞を各所から求められ、すべての鱗が引き剥がされて、最悪、身体も細切れにされるかもしれない。貴重なセレストウィングドラゴンだが、細胞が無防備とわかれば彼は不要だ。いくらでも複製クローニングできるから、もはや個体としての命は大して重要ではない。そんな運命に彼を導きたくはない。けれど細胞の状況確認は必須作業だ。この懸念が杞憂に終われば一番いい。そんな願いも込めた確認作業。

 大丈夫。いつも通りに業務をこなしていれば、こっそり細胞を調べるチャンスは巡ってくる。いつも通り、いつも通り。

「おはよう、マイナ」

 今日は不運にも廊下でラツェッド補佐と行き会った。特段、細胞調査の任務に影響はないが、心理的ストレスからすると多大な不幸だ。はっきり言ってマイナはラツェッドのことが嫌いだった。なにを考えているのかわからないし、その言語化にも誠意を感じられない。なにを考えているかわからないと言えば、今朝の久悠もそうだった。名前を聞いた時によくわからないことをうだうだと言っていてイラっとした。久悠さんと上司はどこか似ている? いやいやそんなまさか。久悠さんは私の憧れの人間だ。上司は嫌いだ。

「マイナ?」

「はひ」考えごとをしていて変な声が出た。立て直せマイナ。がんばれ私。「おはようございますラツェッド補佐。ご、ご機嫌麗しゅう」

「なにを言っている」

「いえ。今日は天気がいいなと思い」

 そして外が雨であることにマイナは気付いた。

「……いつもと様子が違うな」

「別にそんなことは」

 動揺しているのか? いやそうじゃない。なぜか今日に限ってラツェッドは私に絡んでくるのだ。なにかを察知しているのだろうか。どうして男はこういう時に限って鋭いのだろう。

「シェルターの監査が連続していて疲れが溜まってるのか」

「そ、そうかもしれないですね。シェルターから提出された遺伝子検査しないといけない竜のサンプルがまだまだ大量にあって」

 自然と自分がそういう仕事を担っていることをアピールする。これで少しは動きやすくなるはずだ。

「そうか。手伝うか?」

 マジやめて。いつもは〝フン、そうか。ご苦労だな〟とかしか言わないくせになんで今日に限って。

「だ、大丈夫ですー。機械の数は限られてますしー、淡々黙々とロボットの如く作業した方が効率いいのでー」

「そうか……」

 あせあせとするマイナを見て、ラツェッドは頷いた。頷いた……が、今日のマイナはやはりどこか様子がおかしかった。いつもはベージュのスニーカーにラフな装いで出勤する彼女が、なぜか今日はヒールにスーツ姿。化粧も髪の毛もいつもより気合が入っている。

「なにか……悩みがあったらいつでも言ってくれ」

 そうは言ったものの、こういう場合に異性のしかも上司にあたる自分にできることなど限られている。それはできる限り待つことだ。おれは応援しているぞと影ながらメッセージを送ることしかできない。

 一方のマイナは、いやジロジロ見てないで早くどこかに行ってくれと思っていた。


 久悠は例の森に足を運んでいたが、レクトアには会えなかった。すでにセレストウィングドラゴンの亡骸は埋葬されており、ブドウ棚の中央に不思議な文字でなにかが書かれた石の墓標と、まだ新しい花束が置かれている。入れ違いの差だったかもしれない。まぁ、仕方ないだろう。ここで会えなくても彼女は所属を明かしているので問い合わせは可能だ。久悠は近くに生えていた花を一輪摘むと、供えられた花束にそれを添えた。そして手を合わせ、失われた命が人間から解放され自然の元に戻れるよう祈りを捧げる。肩から斜め掛けにしているタオルの中から、埋葬された竜の子が顔を出す。お前の母親がここで眠っているのだと久悠はリュウに教えてやる。リュウは眠そうに顔を掻き、またタオルの中に顔を戻した。

 喫茶竜に戻り、腹をすかせたリュウにミルクを与える。銃の手入れをして、そろそろ射撃場で調整したいと思っているうちに陽が暮れる。

「行ってきました」と、マイナはいつもよりもキッチリした服装をいつもよりもボロボロにして、夜の喫茶竜に戻ってきた。「私、任務達成してきましたよ」

 そう言った彼女は、リュウの鱗が一枚入った透明袋とメモリーカードを久悠に手渡した。店はウェルメさんが気を利かせて臨時休業にしてくれている。店内にはテーブルの上にひっくり返った椅子が置かれ、マイナと久悠とウェルメの三人しかいない。

「データは専用のアプリがないと開けませんが。でも私が確認した限りでは、結果として、リュウくんの遺伝子は無防備です」

 遺伝子は無防備。久悠はその言葉を心の中で繰り返した。

 久悠の懸念は当たっていた。つまりリュウが置かれた状況はマイナが纏う雰囲気よりも圧倒的にまずいということだ。リュウの細胞一つ一つが金の生る木と言える。この事実が世間に知れ渡れば、リュウを巡る争いがはじまってもおかしくない。

「大変なことになったわね」カウンター席に座るウェルメは頬杖をつきながら言った。「リュウくんの遺伝子情報は、たとえそれがセレストウィングドラゴンの亜種であっても欲しい人はたくさんいるでしょうね。解析すれば複製の過程で黒色化メラニズムを正常な状態に戻すことも簡単だろうし」

 マイナがだるそうに頷いた。「セレストウィングドラゴンの遺伝子が無防備な状態で市場に流通した場合、きっと多くの人がペットとして飼育を希望します。流通過程、繁殖過程で非常にずさんな管理が予測されることに加え、今まで飼いたくても飼えなかった人が安価でそれを手に入れることができるので、職業柄、私が最も心配するのは、やがて訪れるペット竜の違法遺棄の加速と野生問題の深刻化です。特に後者についてはこれまでとは異質の問題になると思います。というのも、捨てられた竜の中にリュウちゃんのお母さんみたく単為生殖が可能な個体がいた場合、その個体が産んだ卵は正常に孵化するでしょう。つまり、野生化した竜が繁殖する可能性があるんです」

「竜はペットフードしか食べられないって話だけど」と呟くウェルメだが、その答えはすでにわかっているようだった。

「たしかに竜は胃が弱いので基本的にペットフードしか食べられません」

「だが森の中には竜でも食べられる柔らかい植物や木の実がある」

「それもあります」と久悠の返答に頷くマイナ。「ただ繁殖可能となると、それとは別の話も出てきます。……久悠さんは辛い物とか食べられますか?」

「ある程度はな」

「ウェルメさんは」

「私、激辛大好きなの」

「私は無理です。七味唐辛子一振りで腹痛です。もともと人間の身体って辛い物を拒絶するように作られているんだろうなって痛感します。きっとこういう個体差は竜も同じ」

「ほとんどの竜は餓死して死んでいくが、中には胃が強い竜も生まれる可能性が――」

「絶対にあります。先天的にそういった身体で生まれてくる個体もあれば、後天的にそういった腸内環境を獲得する場合も考えられると思います。いずれにせよ、繁殖って神秘ですから。種が生き残るためなら何でも起こると思った方がいいですよ」

 マイナが言い切ると、しばらく三人の間に沈黙が走った。

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