第4話

 竜の散歩は好きだった。けれど、どうして自分がそういう風に思っているのかは久悠自身もよくわかっていない。ミドリの飼い主に向けた言葉に嘘偽りはなく、純粋に竜のことが好きではあるが、だったらなぜ竜を飼わず散歩ボランティアによって竜と触れ合っているのだろうか。収入的に困ることは今の所ない。竜討伐を専業とした生活は自分の成果次第なので不安定だが、ACMSが各地の討伐対象竜の情報を報奨金込みで公開してくれているので予定を組みやすい。長期間討伐されずにいる竜は報奨金に加算もある。近年は久悠のような竜撃ちが増えてきたため同じ獲物を狙う競争も起こりはじめているが、それら新参者と久悠とではキャリアが違う。現状、久悠が狙った竜を討ち漏らし報奨金を貰い損ねるという事態は発生していなかった。年間二十匹を討伐し、平均年収を少し超える程度の収入は確保できている。そのため無理にシェアハウスに住み続ける必要はないし、そこまで生活を見直さなくても竜を飼うことも可能だ。

 では、なぜ自分は今のような生活を続けているのだろうか。

 竜の命を奪う仕事をしているからそれを負い目に感じていて、多くの竜に少しでも時間を使いたいと思っているのかもしれない。逆に、竜のことをこうしたボランティア活動を通じて熟知し、仕事を遂行しやすくしているのかもしれない。いずれにせよ久悠は、あまりこの部分を深く自己覚知したいとは思っていなかった。

 理由も目的地もない。それが散歩だ。

 人生も同じようなものだろう。

 竜の散歩は、基本的に店がある都市部から郊外へと向かうルートになることが多い。散歩に目的はないが、竜にとってこの散歩の時間は単なる移動の時間だった。散歩とは異なる移動というものには、理由も目的地も伴うことが多い。そしてほとんどの竜が、二十分ほど歩いた先にある広大な公園で遊びたがっていた。そこで竜は思う存分走り回り、時には空高く舞い上がり、振り返って久悠の存在を確認する。今日のミドリも同様だった。その公園では比較的竜の自由が許されている。ミドリも久悠の正面にちょこんと座り、首元に取り付けられた不自由な紐が取り外されることを期待しているようだった。

「悪いな」と久悠は言い、竜の頭を撫でる。「それはご主人様にしてもらえ」

 竜を預かる立場として万が一のことを考えると、久悠はミドリのリードを外せない。これだけが、竜の散歩の中で久悠の苦手とするところだった。できることなら自由にしてやりたい。それだけの場所がここにはある。けれどもし、ミドリがそれで逃げてしまったら。

 竜は猫や犬に比べてさらに人に懐きやすい性格だが、逃げ出したまま行方不明になってしまう事例もないわけではない。竜が逃げてしまった責任問題で、ボランティアの久悠がお世話になっているウェルメさんに迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 ごめんな、と久悠はもう一度ミドリの頭を撫でる。

「その代わり、一緒に走り回ってやるから」

 久悠の言葉を聞いたミドリは、その意味を理解したかのようにおもむろに駆けだした。リードがピンと張らないよう久悠も後に続く。温かな午前の日差し。公園にはたくさんの家族連れやペットと飼い主がいる。カラフルなシートを広げ、ピクニックを楽しんでいる子どもたち。一人で横になり本を読んでいる人。伝統的な犬を連れ、フリスビーを投げている若い女性。芝生にはまだ朝露が残っておりダイヤモンドをまき散らしたかのようにあちこち煌いていた。ミドリがその緑面に楽しそうにダイブして、次いで後ろ足で強く地面を蹴って羽を広げ、空を飛ぶ。さすがに空についていくことはできないのでリードが伸びきるが、ミドリはそれを楽しむかのように高く高く空へと向かおうとして久悠を引っ張り続けていた。こうした遊びを三十分ほど続けると、普段から体力を作っている久悠でもくたくたになる。そろそろ帰ろうかとミドリに告げるとその竜は嫌そうにして久悠と反対方向に走ろうとする。リードの綱引きを五分ほどして、諦めたミドリを抱いて公園を出る。

「おかえり。ミドリちゃんと久悠ちゃん」

 喫茶竜に戻るとウェルメさんが声をかけてくれ、ミドリを飼い主に引き渡した。その飼い主がまたチップだなんだと言いはじめ久悠が困っている中、ウェルメが次の竜の散歩を依頼した。散歩代行を希望する客は次々に入れ替わり、昼を挟んで陽が傾く頃には久悠はくたくただった。

「久悠ちゃん、今日もありがとうね。本当に助かっちゃった」

 建物の二階にあるシェアハウススペースに戻ろうとしていた久悠の背に、ウェルメが言った。

「いえ。好きでやってることなので」

 喫茶竜はすでにデイタイムの営業を終了している。竜は人間のペットとして作られているため、人間の生活リズムに合わせ、日が暮れてからは活動量が極端に低下する。そのため喫茶竜も散歩代行が不要になる夕刻以降の時間帯で散歩代行を含めた喫茶店の時間は終了し、夜にバーとしての営業が開始する。その時間になると久悠以外のシェアハウスの住人たちも戻り、みなで酒を飲むことも多い。

「一応、お誘いしておくけど」と、ウェルメは遠慮がちに言った。「今日のボランティアの謝礼として、何杯かお酒をおごるけど?」

「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで」

「うん、了解」

 ニコッとウェルメは笑い、二階に上がる久悠に手を振った。

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