其の什

 そのうち番屋ばんやから人が来て、馬太郎たちを引ったてていった。

 先んじて人相書きが出まわってて、後々聞いた話じゃあやつら押込強盗おしこみも働いていたそうだぜ。

 まあ軽くて島流し、悪けりゃ打ち首の大罪だあな。

 およねは竜之介に礼を言って帰っていった。

 この三日で初めての礼だったが、涙で顔をくしゃくしゃにした、心の根っこから出た、本物の礼だったさ。

 あの女も、乞食におちてからは情けをかけられることもなかったんだろう、ひねちまったおよねに人の心をとりもどさせたのは、竜之介の仏心だったのさ。

「竜之介さん」

 お鈴ちゃんが、たたずむ竜之介の背にそっと声をかける。

 からり、竜之介がつっかえ棒をとり落とす。

「お鈴さんすまない。私は未熟者だ。約束を守れなかった」

「ううん、いいの。あそこであの人を助けてこそ、あたしが好きになった竜之介さんだもの」

 お鈴ちゃんが大きな背中にそっとよりかかる。

 竜之介は悲しそうに、足元を見ている。

「この勝負、俺の勝ちだ」

 みんな息をのんだ。

 割りこんできたのは銅鑼を鳴らしたみたいな強え声よ。

「約束だ。お前さんがお鈴を持ってくわけにはいかねえ」

 野次馬を押しのけて、辰政親分がやってきた。

 なんて無粋な野郎なんだと、この時ばかりは親分が鬼に見えたそうだぜ。

「おとっつぁん」

 水をさされ、お鈴ちゃんが悲しげにする。

「お前さんは三日三晩、あすこでじっとしていられなかった。だからお鈴を連れてくわけにはいかねえ。そうだな」

「その通りです。私の負けです」

「なら、俺のことばを聞き入れてもらおうじゃねえか」

 二人は見るだに悲しそうにうなだれている。

 いまにもあすこに見えてる左衛門橋から水に身を投げそうな有様よ。

 ああこん畜生この世には神も仏もねえ、この二人は今生では結ばれねえんだなあと思うと、いっそとそうした方がよかったのかもしれねえとすら思ったもんさ。

「ちょいと辰さん、そいつはひどいんじゃないかい」

「そうよ、この人はなんにも悪いことはしちゃいないんだ、虫のエサにもなりゃしない我慢くらべなんか忘れておあげよ」

 気のつええ女房どもからそんな声があがる。

 だがよ、辰政親分はそんな無体なお人じゃあねえ。

 着物のすそからげてその場に膝ついて、

「お前さんのその真っ直ぐな性根には、俺もまいった。心意気もよし、腕っ節もあり、どこをどうひっくり返しても、気持ちいいぐらいに俺の負けよ」

 言いおわると辰政親分、ぐっと頭をよお、そこの地面にこすりつけた。

 木枯らしが耳元で聞こえるほど、みんな息することも忘れて呆気にとられてた。

 なんせ辰政の土下座なんて、この俺ですら初めて見たってえ代物だ。

「おとっつぁん」

「お鈴をもらってやってくれ。世俗の埃にまみれちゃあいるが、中身はぴかぴかの、俺の自慢の一人娘よ。お前さんになら喜んでくれてやる、いやいや、お前さんの方こそ、お鈴には勿体ねえ位のいい男だ。俺の持ってるもんなら何でもくれてやる。是非ぜひ、是非もらってやってくんなせえ。これはお前さんの願いをかなえるためじゃねえ。この俺、おとこ辰政の願いを通すための、一世一代の土下座よ。どうか、どうか聞きいれてくんなせえ」

 歓声があがった。

 竜之介も男なら、辰政親分も男よ。

 決めるところはびしっと決めた。

 しばらく呆気に取られていた竜之介も、やがてお鈴ちゃんと顔を見合わせ、それから親分に負けじと深々頭をさげた。

「ありがとうございます。この竜之介、若輩じゃくはい未熟者みじゅくものではございますが、全身全霊お鈴さんにささげましょう」

 みんな泣いてたね。

 お鈴ちゃんも、竜之介も、辰政親分も、野次馬もみいんな。

 あんなに晴れやかな涙は、極楽浄土でも味わえねえだろうなあ。

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