其の陸

 それから竜之介はちょくちょく薬を買いに来た。

 道場でこしらえた打ち身の薬を買うにしちゃあ、やたら足しげくやってくるんで、お店のほうでもその辺を察してやって、お相手にはいつもお鈴ちゃんをつけてやるようになった。

 といってもそこはお武家様と町娘だ。

 軒先でじっと見つめあうってわけにもいかねえ。

 第一そんなふしだらな真似されちゃあ店のほうも迷惑めいわくだ。

 だから二人は段々と人目をしのんで逢うようになった。

 そうなってわかったのは、実は先に見初めたのは若旦那のほうからだって言うじゃねえか。

 菊屋に綺麗な娘さんが働きはじめたって噂は耳にとどいていたが、物見高い道場の朋友につれられて、こっそりとお店の中をのぞいてみたそうだ。

 するとどうだい、身なりはそこらの町娘だが、まあ身にまとった気品がある。

 それ以来竜之介はお鈴ちゃんのことが忘れられなくなった。

「女人なぞに心を奪われた自分が不甲斐無く、一層剣に打ち込んでみたが、その合間合間にもお鈴さんの面影が現れて、狂おしいほどであった。だからあの夜からまれているお鈴さんを見て、考える間もなく飛びだしてしまった」

 言いやがるね竜之介も。

 なるほどねと思うところもあらぁな、なにせお鈴ちゃんを送るときに、店づとめのこと、竜之介も知ってやがった。

 で、言われたお鈴ちゃんもこの一言でまいっちまった。

 この人とそいとげられないのなら、自ら命を絶とう、そこまで思い切っちまったらしい。

 だけどそいつをそのまんま相手に伝えるのは、骨っぽさが売りの東女あずまおんなにゃできねえ相談だ。

 で、くやしまぎれに、

「竜之介さまの意地悪」

 すねた顔で袖をちょいと引っぱってやったんだとよ、そしたら今まで涼しげにしていた色男が、顔を真っ赤にしちまったってよ。

 なんだか話してるおいらも照れちまうような初々しさだあね。



 二人は逢瀬おうせを重ねた。

 おっと無粋な勘ぐりはなしだぜ。

 お鈴ちゃんはそこいらの尻軽娘とはちがうし、竜之介は賽子サイコロより角ばった野郎だ。

 間柄あいだがらはあくまで清く美しく、祝言前しゅうげんまえのつまみ食いなんざありゃしねえってことよ。

 お鈴ちゃんは覚悟していた。

 町娘が竜之介の正妻になるのはかなわねえ夢だ。

 だったら囲われの身でいい。

 いや、最近はお武家様の生活も苦しいと聞くから、働きにでて子供を育ててもいいと。

 だけど思い切ってその話をしたら、竜之介はしれっと言いやがった。

「お鈴さんにそんな辛い思いはさせない。そもそも私は武士になるつもりはない」

 とよ。最初はおどろいたお鈴ちゃんだが、話を聞いて得心とくしんがいった。

 大きな声じゃあ言えないが、なんでも坂東様のお家には、三男坊に持たせてやるほどの金子は残ってないそうだ。

 家督かとくは今のご長男がつぐと決まっていて、ご次男坊は早くに他界しちまった。

 で、お家には残り物もなにもない。

 竜之介のお家が冷てえって思うんなら、そいつは大きなまちがいだ。

 父親殿もご長男も駆けずりまわって、そりゃあ借金でも何でもして可愛い末っ子の養子の口やつとめ先を探しはしていたそうだ。

 ただよう、そんなのは竜之介の望むところじゃあなかった。

 お武家でなくなるだけってんなら今日びそんな話は珍しくもない。

 当の龍之介も、一度は剣で身をたてることも考えたが、太平楽のこの世の中、真面目に打ちこめば打ちこむほど、武芸十何範だかなんて、時代おくれの道楽にしか思えなくなっちまったらしい。

 それならいっそ剣を捨て町人として生きよう、浮き草の、肩肘はらない生き方をしてみよう、ってよ。

 市井しせいへの憧れってやつかねえ、生まれながら町人のおいらにゃよくわからねえや。

「本当にそれでいいのですか。後になってくやまれるのではありませんか」

「お鈴さんがいてくれればそれでいい。それ以上なにを望むことがあろうか」

 やがて菊屋の女房も元気なやや子を産んで、お鈴ちゃんは奉公をあけた。

 菊屋をでて竜之介とまちあわせ、その足でここにやってきたってえわけさ。

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