第2話

 天崎羽紅。その名が本当の名なのかも定かではない。

 なぜ、羽紅は嘘をつかなくてはいけなくなったのか。羽紅も好きで吐き続けているわけではない。


 羽紅は、それはそれは良い子だった。全く手の焼かない子。両親はをとても気に入っていた。


 ヤンチャだった。勉強より体を動かす方が好き。喧嘩もよくした。勝つのはいつだって自分。怪我もその分たくさんした。だが、それはいつだって勝利の証だと言って誇りに思っていた。


 言うことなんて聞かなかった。親の言うことなんて聞かぬが幸。そう昔から心に誓っていた。親の存在が鬱陶しかった。

 それより嫌いだった存在は病弱だが、誰よりも優しかった。誰よりも賢く、誰よりも何もかもが優れていた。だからこそ、憎んでいた。恨んでいた。


 自分の方が強いのに。自分の方が丈夫なのに。自分の方が、長くいるのに。


 子供ながらに抱いた憎悪は計り知れないものと成長した。

 自分という存在が遠回しに否定されているようで、それがどんなことより腹立った。その鬱憤を晴らすべく、日々喧嘩に明け暮れる日々だった。


 そんな悪夢のような毎日に終止符を打ったのは、自分自身が蒔いた種が芽生えたからだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「羽紅? 遅刻しちまうぞ、早く起きろー」


 家の外から大きな声が耳に、頭に響いて羽紅は目を覚ます。

 部屋の窓から玄関の方を見ると、そこには制服を着て焦っている様子の真斗がいた。

 羽紅はベッドに置かれたデジタル時計を見る。

 時刻は八時二十分。遅刻まで、あと二十五分。


「うわ、やっべ」


 羽紅は慌てて寝巻きを脱いで制服を着る。バターロールをトースターで温めないまま口に放り込む。歯磨きを高速で終わらせ、鞄に昨日洗っておいた箸を入れて玄関を開ける。

 そこにはそわそわしている真斗が先程と同じ場所で立っていた。


「は、なんでいんだよ。先学校行っててもいいのに」

「なんか一人で行かせんの可哀想じゃん。てかそんなこと良いから早く鍵閉めろって。あと五分で電車来っから!」


 羽紅と真斗は全速力で走り出す。今は帰宅部という名の無所属だが、中学はお互い陸上部に所属していたこともあり足の速さだけは他の通行人には負けない自信があった。


 なんとかギリギリ電車に乗れ、満員電車のピークが過ぎ去りつつある電車に乗る。

 あと二十分。電車が止まることなく動いててくれれば本当にギリギリで間に合うだろう。二人はまるで賭け事の行く末を見守っているかのような胸の高鳴りで通学をした。


「灰田だけならともかく天崎まで遅刻か。今日は雪でも降るんか? 電車も遅延はしてないようだし、寝坊でもしたんだろ。もうすぐ夏休みだからって気抜くなよー」


 二年三組の担任、体育教師の金田先生は無気力に声をかけて二人に座るよう言った。

 体育教師であるのに常にどこか上の空な教師。この遅刻を報告してくれるかも分からない。


「金ちゃんが担任で良かったー」

「待ってなきゃ、真斗は遅刻せずに済んだのに」

「別にいいって。俺たち幼馴染のマブだろ? 助け合ってこそ、マブってもんよ!」

「いや、君の単位が気になって気になってしょうがないんだ」

「そっちかよ」

「そこの遅刻した二人、うるさいぞー。先生の代わりに喋ってくれんのかー?」


 金田先生に注意された二人は話すのをやめ、前を向いた。

 一番後ろの席ということもあって隣には誰もいない。真斗もその真面目な性格故か、先程まであんなに喋っていたのに今は毎年聞かされている話を真剣に聞いている。

 羽紅は儚げに微笑むと窓の外を見つめてころ、と落ちていった蝉にその微笑みを向けた。


「お前も俺と同じだ」

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