第10話


 自然と目が開いた。カーテンがうっすら明るく見える。ああもう朝なのね。時計を見る。……まだ六時じゃないの。普段こんな時間に起きないわよ。やっぱり枕が違うからかしら。さすがに朝から夕焼けは見えないわよね。ふと横を見ると、丁寧にたたまれた服が置かれていた。オフショルダーのカットソーとショートパンツ。サイズは、やっぱりあたしにぴったりだわ。寝ている間にどっちかが部屋に入ったってことよね? うーん、あんまり考えないでおこう。

 あたしは着替えを済ませてから部屋を出た。廊下はしん、と静まり返っていて、足音がゆっくり聞こえる。洗面所で顔を洗って、うがいをしてから、あたしはリビングへと向かった。リビングの照明が点いている。誰かいるみたい。

「おはよ。早いんやね」

「おはよう。貴方も早いわね。あの、ここってずっと夕方じゃないのね?」

「ここでも朝は昇るし夜は降りてくる。あと、俺は寝てないからな。いや、眠れないって表現が正しいか」

 リビングには景壱がいて、ノートパソコンを弾いていた。部屋にデスクトップパソコンがあるのに、何でここでパソコンを弄ってるのかしら。テレビがついてるから、テレビを見ながらパソコンしてるの? いやでも、そうは見えないのよね。しかも「眠れない」って何で? あたしがジーッと見ていると、景壱は紅茶を注いでくれた。あたしはとりあえずティーカップを手に持つ。良い香り。

「こやけが起きるまで後四十三分ぐらい。俺が何を言いたいかわかるよな?」

 分刻みで起床時刻がわかるって怖いわね。パソコンを覗いてみたら、文字がずらっと並んでいる。あたしにはチンプンカンプンだわ。紅茶を飲み干してから、あたしはキッチンに立つ。

 そろそろ朝食の準備をしようと思う。昨日の味噌汁を温めて、冷蔵庫に鯖の切り身があったから、それを焼いておこうかしら。あと漬物もあったわね。それとほうれん草もあったからお浸しにして――……。

「へえ。まるで料亭の朝ごはんのようやね」

「文句あるの?」

「いいや。文句は無い。ただ、こやけがどんな顔するか想像に容易いな、と」

 景壱は笑った。どうやらこの子はこやけちゃんが絡むと可愛い笑顔を見せてくれるみたい。

 景壱はノートパソコンを閉じて、テレビのリモコンを弄っていた。いつも見ている番組でもあるのかしら。テレビには昨日までずっと見てきたような番組が流れている。ここは不思議な場所だけど、映る番組は同じなのね。毎週見てたドラマも追えそうで良かったわ。

 それから少しして、こやけちゃんが起きてきた。あたしは解凍したご飯を盛ってテーブルに置く。

 こやけちゃんは朝食を見ると、目を輝かせていた。良かった。喜んでくれてるみたい。

「おはようございます! 美味しそうです! 頂きます!」

「ちょっと! そんなにがっつかなくても良いのよ」

「おいひいのれす!」

「口に物入れたまま喋るな」

「はい! ご主人様、おはようございます」

「うん。おはよ。いただきます」

「おかわりくださいです!」

 空っぽになったお茶碗にご飯を盛ってあげると、またすぐにがっつき始めた。見た目は可愛いのに、体育会系みたいなのよね。こう、食べ盛りの男子部員のような感じ。その横で景壱が上品にちょっとずつ食べているから見てて微笑ましい。

 食べ終わった食器を片付けながらテレビを見ると、戦隊ものの特撮ヒーロー番組がやっていた。幼稚園の子達がよく話してるやつだったわね。ママさん達にはレッドが人気だったかしら。あたしはテレビリモコンに触ってないし、こやけちゃんも触ってなさそうだから、景壱が設定してたのはこれってこと?

「わーっ! ピンチなのです!」

 爆発音と共にヒーローは地面をゴロゴロ転がってる。それをこやけちゃんが手をぎゅうっと握りしめて、食い入るように見ている。……なるほど、こやけちゃんが見るから設定してあげてたのね。その横で景壱はこやけちゃんにもたれて目を閉じていた。寝ちゃってる?

「こやけちゃん。景壱ね、さっき『眠れない』って言ってたんだけど……」

「そうなのです。彼は不安で眠れないのです。悪夢にうなされるのです。不眠症なのです。だから、こうしてウトウトしている時はそっとしてあげてください」

「それって、薬とか飲んだほうが良いんじゃないの?」

「使用量を上回った飲み方をしている内に効かなくなってしまったのです。それに人間用の薬なのですから、神である彼にはそう効かないのですよ」

 何で使用量を上回る飲み方をしたのか聞きたくなったけど、色々ありそうだからあたしは聞くのをやめた。精神的なことって難しいって言うし、あたしの専門分野ではないわ。

 こやけちゃんはテレビに夢中のようだし、景壱は寝ているし……ちょっと外に行っても良いかしら。

「ねえ、あたし、外に行って良いかしら? 散歩したいの」

「良いですよ。お友達ペットはお散歩するものですからね! ただし、私が昨夜渡したリボンを着けていくのです。リボンを着けている限りは、誰も貴女を襲わないのです。何かあったらスマホで呼び出すのです!」

「ありがとう」

 こやけちゃんはテレビに集中したいらしく、あたしの話を半分くらい聞いていないような感じだった。

あたしは自室でリボンを胸に着けてから、屋敷の外へ出る。

 空気がとっても澄んでいる。肺いっぱいに新鮮な空気を取り入れた。空気が美味しいってこういうことを言うのかもしれない。

 あたしは道なりに歩く。坂を下り、お地蔵さんを拝んで、ひたすら歩く。一面に田んぼが広がっていて、年配のかたが農作業をしている。挨拶を交わして、ひたすら歩く。しばらく歩くと、看板が刺さっていた。『訪ねてください。歩いてください。知ってください。』と記されている。どういう意味かしら?

 またしばらく歩くと、川が見えてきた。川原には子供達がいて、石を積んでいる。ここでは石を積んで遊ぶのがブームなの? よく見ると、見知った顔を見つけた。

「タケちゃん!」

「せんせー。どうしてここにいるの?」

「貴方こそ何でここにいるの?」

「わかんない」

 タケちゃんは石を積む手を止めて、あたしに抱き着いてきた。橋ですれ違ったから、いるのはなんとなくわかってたけど、本当にいるとは思わなかった。

あたしがタケちゃんと話していると、他の子達も石を積む手を止めて寄って来た。

皆、目に光が無い。まるで死んだ魚のような目――ここであたしは思い出した。タケちゃんは川で溺れて亡くなった。それじゃあ、ここにいるのは――……。

「誰が石を積むのをやめて良いと言ったの?」

 声に驚いて、子供達は再び石を積み始めた。

聞き覚えがあるこの声――白檀の香り――紫色の和服が風に揺れている。

「弐色さん」

「……どうしてキミがここにいるの? 何でまた来たの? ここはキミのような子が来るところじゃないよ」

「この子達は遊んでるんじゃないの?」

「僕の質問は無視なの? まあ良いや。キミの質問に答えてあげる。この子達は遊んでないよ。この子達は親よりも先に死んだから――って、キミに話しても無意味だね。で、キミは川原に何しに来たの?」

「散歩してたらここに着いたのよ」

「……そっか。そういうことか。こやけのペットになったなら、散歩くらいするよね」

「何よその言い方」

「事実でしょ。このリボンは、こやけのお気に入りの証だよ」

 弐色さんはリボンを引っ張りながら言う。

あたしは驚いた拍子に弐色さんの手を軽く叩いた。胸の近くを触られるのも嫌だし、このリボンを取られでもしたら、誰かに襲われちゃう。それだけは避けなきゃ。

「キミさ。僕を叩くのが好きなの? 嫌になっちゃうよもう」

 手を振りながら弐色さんは回れ右をする。あたしはすかさず彼の袖を掴んだ。

「ちょっと待って」

「何? 僕があんまりにも可愛いから秘訣を聞きたくなったの?」

「違うわよ。会ったついでよ。あたしがあの後どうなったか聞きなさいよ」

 あたしは弐色さんと別れた後のことを話した。

少し捲れた袖から無数の傷が刻まれた肌が見える。明るい所で見ると目立つわ。所々赤い傷もある。瘡蓋ができかけのものも。これ、やっぱり自傷の跡かしら? それとも誰かに傷つけられたもの?

あたしの話を聞き終わった弐色さんの口が、まるで三日月を横倒しにしたかのように弧を描いた。

「きゃははははは! それで、母様はこやけに助けられたんだ? 笑い過ぎてお腹が痛くなってきたや」

「どうしてそんなに笑えるのよ。実のお母さんが死にかけたって言うのに」

「その実の母親に殺されそうになった子供が僕だよ。だから、呪い返しをしてあげたんだ。まさかこやけが助けるなんてね」

「え」

「永心からのお守りなんて嘘だよ。アレは僕が作った強い呪いを込めたお守り。キミが橋の上で息を止めていれば、術式は完璧で、キミの身内は無傷のままだったんだけど、何であそこで声を出しちゃったかなァ。お蔭でキミはこやけに見つかったよね」

 あーあ。おしまいだね。と続けて、弐色さんは微笑んだ。

なにそれ。どういうことよ。本当に性格悪いわねこの人。あたしは右手で思いっきり左頬を打ってやった。弐色さんはふらついた。

「何でそんなことするのよ! 貴方の所為で、あたしはこんな、よくわかんないところに住むことになったのよ!」

「っ、元を辿れば、キミが僕にお守りなんて持ってくるからだよ」

「それは、その、知らなかったんだもん」

 あのお守りにそんな呪いがかかっているなんて知らなかった。あたしは何も知らずにいた。何も知らないほうが幸せだったのかもって思うほどに知らなかった。

あたしが俯いていると、弐色さんはあたしの両頬を引っ張った。

「キミが思い悩むことは何も無いよ。これは僕と母様の問題だよ」

「痛いわよ!」

「きゃははっ。怒らないでよ。笑ったほうが可愛いよ。まあ、僕のほうが何百倍も可愛いけどね」

 手を放して、弐色さんはケラケラ笑いながら橋を渡って去っていった。文句も言い返せなかったわ。

 川原では子供達が石を積み続けている。邪魔してはいけないってことはわかったから、あたしはそっと遠ざかった。橋を渡って弐色さんを追いかけても良かったけど、どうもそんな気分にならない。そういえば洗濯物を干してなかったから、一度戻ろう。

あたしは来た道を逆に歩き始めた。思ったより歩いてたみたい。坂を上るのも一苦労だわ。

 少しして、小さな女の子が道の真ん中に立っているのが見えた。女の子からなんだか白檀の香りがする。

「こんにちは!」

 女の子に会釈して通り過ぎようとしたら、挨拶されたので足が止まる。振り向くと女の子は笑った。

なんだか見覚えのある笑顔ね。

「こんにちは」

「あーちゃんね、じんぐうあやかっていうの。よろしくね!」

「あたしは菜季。よろしくね」

 神宮って何処かで聞いたことが――あ! 弐色さんと同じ名字だわ。ということは、この子は弐色さんの親戚かしら? 妹? お嫁さんじゃないわね。あまりにも年が離れすぎているもの。この子は幼稚園児くらいだし、お嫁さんは絶対に違うわよね。

「あーちゃんね、にーさまのことだいすきなの!」

「そ、そうなのね」

「おねーちゃんのおなまえ、もういちどきかせて」

「菜季よ」

「なきちゃん、うえのおなまえはなんていうの? あーちゃんはね、じんぐうっていうの。なきちゃんは?」

「え。上の名前? えっと……」

 あたし、名字……。何で思い出せないの……?

「きゃはっ。にーさまがいってたよ。けーいちにはきをつけてって。じゃあ、あーちゃんいくね!」

 ぴこぴこぴこ。靴の笛を鳴らしながらあーちゃんは去っていった。

 いったい何だったの? それに、あたしの名字……何だったかしら? あれ? どうして思い出せないのかしら。それに、景壱に気をつけてって言ってた……?

 あたしは再びモヤモヤを抱えながら道を歩く。屋敷に戻ると、庭の物干し場には洗濯物が干してあった。

中に入って、リビングへ向かう。ソファで景壱が寝ていた。肉球の柄のタオルケットがかけられている。こやけちゃんは冷蔵庫の前にいた。

「おかえりなさいです」

「ただいま。あの、洗濯物干してくれたのね。あたし洗ったままなの忘れてて……ごめんなさい」

「別に良いのです。いつも私が干しているのです。麦茶あげます」

「ありがとう」

 こやけちゃんは冷蔵庫からガラスポットを取り出して、麦茶をグラスに注いでいた。あたしの分も注いでくれた。外が少し暑かったから冷たくて気持ち良い。

「白檀の匂いがするのです。弐色さんに会ったのですか?」

「え。ええ。あと、あーちゃんって子にも会ったわ」

「あーちゃん……。彩加あやかですね、神宮彩加。いろどりくわえると書いて彩加なのですよ。とても良い名前だと思うのです。それはさておいて、菜季さんは、弐色さんのことが気になるのですか?」

「ちょっとだけ」

 気にならないと言えば嘘になる。見た目が良いだけで性格が悪いお兄さんとしか思っていない。

本当に外見はとても良いのに、性格は最悪。あたしの言葉を聞いたこやけちゃんはクスクス笑った。

あたし、笑われるようなこと言ったかしら? ちょっとだけとしか言ってないのに、笑われるなんて思わなかったわよ。

「ふふ、教えてあげるほど私は優しくないのでございます。でも、これは教えて差し上げましょう」

 と言いながら、こやけちゃんはあたしに何か差し出してきた。

保険証だわ。退職したからもう使えないんだけど……ここには、はっきり記されていた。

「寺分菜季。貴女の名前です」

「そう! あたし、さっき名字が思い出せなかったの! これですっきりしたわ」

「人を操るには、名を奪うのが手っ取り早いのです。真名を知れば、術者なら簡単に操ることができます。こういうのは弐色さんが得意なのです。しかしながら、ここで眠っている主人も似たようなことをします。菜季さんは私の所有物ものなのですから、勝手なことをしないで頂きたいです」

「そうなのね……」

「これは貴女が持っていたほうが良いでしょう。たまに見て思い出してください。主人は残念ながら優しいふりをするのが得意なだけです。心根は私よりも――イエ、この話を貴女にする必要は無いですね」

 こやけちゃんは景壱の頬をぷにぷにしながら話を続けている。景壱が起きる気配は無い。

どれだけ寝てなかったの? と思う程度に熟睡してるように見える。

「そういえば……菜季さん。おばあさまのことが気になりませんか?」

「そりゃあ気になるけど、もう帰っても会ってくれないと思うわ。あたしは傷の手当てもせずに逃げたって思われてるみたいだし」

「それでは、ここに連れて来てあげましょうか?」

「そんなことができるの?」

「はい。貴女が願うなら私は叶えて差し上げます。ここはそういう願いを叶えるミセでございます」

「願いを叶えるミセ?」

「そうでございます。しかし、夕焼けの里を訪れる人間の願いは、大半が復讐なのです。嫌いな奴を不幸にとかです。地味な呪いもあります。カップラーメンを作るのに規定量のお湯まで達しないとか、タンスの角で小指をぶつけるとか」

「思ったよりも地味で嫌ね」

「そうでしょう。それでは聞かせて頂きましょうか。貴女の願いは何ですか? 私が叶えて差し上げます」

 願いなんて、さっき、こやけちゃんが言ったことくらいかしら。

おばあちゃんがあれからどうなったのか気になるし、きちんと話し合って誤解を解きたいというのもある。それに、何で話してくれなかったのかも教えて欲しい。知らないほうが良かったって言うなら、何で知らないまま終わらせてくれなかったのか。言いたいことはいっぱいある。

「おばあちゃんに会いたいわ」

「了解しました。それでは、おばあさまをここに連れて来てあげましょう。代価として昼食の準備をお願いします。一時間半程したら戻ってきます」

「わかったわ」

 こやけちゃんはクスクス笑いながらリビングから出て行った。

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