第23話 凜風さんは、本当に事故で亡くなったんでしょうか

 翌朝十時過ぎ。僕のスマホがヒステリックに鳴る。

 僕はタオルケットから頭を出し、スマホに手を伸ばす。表示されていた名前を見てため息を漏らした。『ヨシオさん』だ。

 受話ボタンをタップして「どうしたんですか」と尋ねる。

『どうしたもこうしたもあるか! 見舞いにこんか!』

 暇なのか。また僕に説教をして留飲を下げようという魂胆だ。

「昨日倒れたばかりでしょ。朝っぱらからギャンギャン怒鳴らないで、安静にして寝てる方が良いと思うんですけど……」

『なにぃ俺に逆らう気か! 根性叩き直してやる!』

 目を擦って俯く僕。

「……勘弁してよ」

『早く来い! 美味いバナナも用意してあるぞ!』

 いまいち会話が成立しないまま通話が切られた。言葉は通じるが話が通じないのは相変わらずだ。


 朝食を摂って着替えた僕は、台鐵に乗り込んだ。

 僕は『千と千尋の神隠し』で有名な九份ジゥフェンへも、巨大な蒋介石の像が鎮座する中正紀念堂ツォンツェンチーニエンタンへも、台湾で一番高い台北タイペイ101イーリンイーにも行った事がない。

 だが港町の淡水へは二日連続で来ている。

 相変わらず賑やかな病院だ。老人たちがベンチに並んでテレビを見ているし、若い看護師が明らかに私用の電話をして笑っている。

 中央の受付から、僕を見つけた看護師が呼んでいる。問診表らしきバインダーを持っている。患者と思われているらしい。あの問診表を不用意に受け取ってはいけない。台湾の病院では受付をすると掛號費グァーハオフェイを払わなければならない。いわば事務手数料だ。ちなみに受診料も別途取られる。

 面会に来た旨を伝え、ヨシオさんの病室へやってきた。

「おじゃましま――」

「遅いぞ馬鹿者!」

 ドアを開けるなりいきなり怒鳴られた。

 すみませんでしたねぇ、と文句まじりに入る。昼下がりの日差しが窓から差し込んでいた。ほのかに香る花とフルーツの匂い。

「オー、ハルトサーン! コンニチワー」

 本物の欣怡シンイーも見舞いに来ていたようだ。嬉しそうに握手を求める彼女。僕と同じくらい大きな手だ。

「てか、何やってんですか。ヨシオさん」

「退院準備に決まっとるだろ」

 ヨシオさんはベッドから立ち上がり、カッターシャツにループタイを締めているところだった。

「まだ早いでしょ。一週間ぐらい安静にしといてくださいよ」

「お前らの前で情けない姿は見せられん」

 また意地を張っている。欣怡も苦笑いだ。欣怡はぶつぶつ文句をこぼしながら、ボストンバッグに荷物を詰めている。

「もう俺は元気だ。いつまでもこんな所で寝てられん。退屈だし飯も不味いし、金と時間の無駄だ」

 ヨシオさんはステッキを手に取る。いつもの偏屈爺さんの完成だ。

「どうしてそんなセカセカしてんですか。台湾人らしくないですよ」

「馬鹿野郎! 俺は日本男児だ!」

 ヨシオさんは「よっこらしょ」とベッドに腰掛ける。大股を開きステッキに両手を掛ける姿は、刀を携えた武士じみている。

「まあ、迎えが来るまで時間があるな。お前たち、そこに座ってバナナでも食べなさい」

 見舞いで貰ったバナナを食べる。日本で見る品種と比べてずんぐりとした形。甘みが強くねっとりとした食感だ。

「ところでヨシオさん。共産統一推進党――。この団体を、ご存じですか」

 その瞬間、ヨシオさんの目蓋が痙攣した。

「あの売国奴どもか。吐き気を覚える名前を出しおる……。血圧が上がって、また胸が痛くなるわい」

「凛風さんがトラブルに巻き込まれたのは、知っていますよね」

 ヨシオさんの眼球の動きが止まった。杖を握る指の血管が反応したように見えた。

「凜風さんは、台湾の独立を訴えて学生デモに参加していました。SNSを通して、彼女は独立派の人たちから有名だったそうです。もちろん、推進党からも――」

 僕はヨシオさんの反応を窺いつつ続ける。

「三ヶ月ほど前、凜風さんは推進党に連れ去られました。ヨシオさんもご存知ですよね」

 ヨシオさんは目を伏せたまま答える。

「ああ、知っている」

「実家から大学へ通わせるようにすれば良いじゃないですか。ルームメイトと一緒とは言え心配でしょう」

 普通はそうだ。孫がまた危険に晒されるかもしれないのに、放っておくのはおかしい。ヨシオさんは黙ったまま俯いていた。

「しかも凜風さんを誘拐した犯人は、翌日に死体となって発見されたそうです。五人が全員ですよ。事故として処理されたみたいですが、偶然の事故とは考えにくい」

 声のトーンを落として語りかける。ヨシオさんは無反応だ。

「一連の騒動は報道されなかった。犬が誘拐されてもスクープになる台湾ですよ。女子大生が誘拐されて、しかも犯人たちが謎の死を遂げて……マスコミが注目しないだなんて、妙じゃありませんか」

 僕はヨシオさんを覗くように見上げる。

「しかもですよ、凜風さんを救出したのは警察じゃありません。日桃幫ジッタオパン――。暴力団です」

 その名を口にすると、ヨシオさんの眉が微かに動いた。

「日桃幫も独立派の組織らしいです。凜風さんと主義思想が一致します。まさか凜風さんは、暴力団関係者と通じていたんでしょうか」

 病室の空気が凝ってゆく。僕は少し間を空けてから続けた。

「凜風さんは、本当に事故で亡くなったんでしょうか――」

「何だと!」

 はっとヨシオさんが顔を上げる。

「……ヨシオさん」

 僕はヨシオさんの前に屈み、しわだらけの顔を見上げる。吐息に近い小声で問いかけた。

「何か、隠してませんか」

 その瞬間、ヨシオさんの顔が紅潮する。目が血走った。

「この野郎、何を言い出すか!」

 ステッキを振り上げるヨシオさん。杖先が勢い良く振り下ろされ、僕の肩に直撃する。僕は思わず「痛っ」と声を漏らした。

 欣怡が弾かれたように立ち上がる。台湾華語で咎めているが、ヨシオさんは見向きもしない。充血した目で僕を睨みつけていた。

「すみません。失礼なのは分かっています」

 僕は杖先を握り、ヨシオさんを真っ直ぐ見返した。

「本当の事を、知っている事を全て教えてください。ヨシオさん」

「放さんか馬鹿者ッ!」

 ヨシオさんは力任せにステッキを引っ張った。それでも僕は放さない。ステッキを握り締め、じっとヨシオさんを見詰め続ける。

「いい加減にせんかっ!」

 僕からステッキをもぎ取り、大きく腕を振り上げるヨシオさん。

 ベッドに置いてあったタブレットが床に落ちる。画面には凜風の写真が表示されている。ひまわりのような笑顔の写真。僕は死んだ花嫁を見詰める。僕だって信じたくない。

「すみませんでした。ヨシオさん」

 ヨシオさんも凛風が死んで悲しいのだ。こうして画像を見つめているくらい悲しんでいる。それなのに僕はヨシオさんを疑って詰問してしまった。僕は馬鹿だ。

「ああ。俺も熱くなって悪かったな」

 ヨシオさんはタブレットを見詰めて溜息をつく。痩せ細った指で画面をスワイプし、別の写真を表示させてゆく。

「これは……」

 家族の写真だ。中にはモノクロの古い画像もある。

「俺の、人生だ」

 リウ芳雄ファンションという男の歴史だ。

 日本統治下の少年期の家族写真。宗傑ゾーンジェさんが子供の頃の写真もある。若いヨシオさんが宗傑さんを抱き上げていた。カラー写真になると、孫の姉妹も家族写真に加わる。

「便利な世の中になったものだ。大昔の擦り切れそうな写真でも、こうしておけば永遠に残しておける」

 家族のアルバムを全てスキャンし、クラウドに保存してあるという。九十歳とは思えないほど最新技術を活用している。さすがはIT大国台湾の老人だ。

「古い写真もあれば、新しい写真もある。もちろん動画だってある。見ろ、ここにお前もいるぞ」

 僕と凛風の結婚式の動画だ。

 あの時、宗傑さんがカメラを回していたらしい。引き攣った顔の僕や、目を輝かせて動画撮影する陽も映っている。凛風の友人たちも涙を拭っている。それだけではない。あの日、大勢の台湾人が世にも珍しい冥婚を見物しに来ていた。

「あれ。これって。もしかして……」

 列席者の一人に目が留まった。

「なんで、この人が写っているんだ――」

 凛風の友人や見物人たちから少し離れた所で、ぽつんと立っている一人の人物。じっと凛風の位牌を見つめている横顔。この顔に見覚えがあった。

 この人は――。

「劉欣怡を、名乗った子だ」

 僕が呟くと、ヨシオさんは「何っ」と身を乗り出した。

 間違いない。結婚式の夜、僕らのアパートを訪れた偽の劉欣怡。同じ顔だ。

「なんと、この時既に現れていたのか」

「そういう事になりますね」

 ヨシオさんは眉間に皺を寄せる。

「いったい、何者なんだ」

 僕とヨシオさんはじっと見つめていた。画面の中の謎の女を。

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