第7話 チーム

 右手に瞬時に現れたのは、丸く黒い棒状のものだった。木材ではなさそうだが、いつもと似た感触、馴染む手触り。だが一つ大きく違う箇所があった。それは上部が闇色に染まったものだった。ばさばさと大きな音を立て、そして、はためく。


 旗だ。

 

 とてつもなく大きな黒い旗がこの棍棒の上でなびいていた。このサイズでも不思議と重さは感じない。不気味に夜風に当たりながら、その長方形の布は僕の頭上でその存在を神々しく示していた。


「……このごうで、このカルマを断ち切る」


 僕は体内から溢れ出る熱と共に、その言葉を嚙み締めた。旗を握りしめている右手に力が入る。そしてすぐ側で蠢いている闇色の大蛇だけを睨むように真っすぐ見据えた。


「黒の旗、だと……? いや棒術か……?」


 大鎌を持ったままその場で立ち尽くした百道びゃくどう先生が言葉を漏らした。僕の異変に驚きを隠せないようだ。


「お、シュンのごうはアレなん? あんなんで戦えるん?」

「確かに戦いでは不向きそうですね。あの長い旗棒で殴るとかは出来そうですが」

「うわ~珍しいごうだね。なんだか面白そうだね、さすがシュン君!」


 口々に喋る3人をその場へ残し、僕はこの旗棒を両手で強く握りしめ、コンクリートを強く蹴った。向かい風を受けながらも駆け足で向かう。闇色の旗がバタバタと耳元で囁く。あの怪物が段々と視界へ大きく映り込む。怖くないと言えば嘘になる。震えていないなんて言えない。だけど――


「決めたんだ」


 気合を入れ直すかのように、ハリのある一声を上げると大蛇の顔の目前へ迫った。そしてあの部分へはっきりと狙いを定めた。


 思い出せ、思い出せ。何度も唱えるように呟いていた。僕が部活動で慣れ親しむ棒術の始祖は、元は槍使いの武将だった。だが、戦闘中に敵から自身の槍先を切られてしまったのだ。それは自身の致命的なダメージとなったはずだ。だが、彼は決して諦めなかった。その攻撃の要となる刃を失っても尚、戦意を喪失せず、この棒だけで戦い抜いたという。僕はその始祖へ想いを馳せた。彼のように僕は強靭でもないし、戦闘技術も低いだろう。だけど、その意思だけは、きっと僕にも。


 その武将は、勇敢にも敵の鎧の隙間から覗く、範囲の狭い身体部分へ狙いを定め、刃のない棒でそこを豪傑ごうけつに貫いたという。


 大蛇の牙がこの場所目掛けて目前に迫った。とてつもない速さだ。だが僕はこの瞬間を震えながらでも待ちわびていた。


「ここだ……!!」


 大蛇の牙の横を寸前の差で避け切り、荒い雄叫びを上げた。その声に順応するかのように闇色の旗棒部分を狙った小さな部分へねじ込む。ずぶりとした感触が旗棒から込み上げてくる。今まで感じたこともないその感覚に思わず力が抜けそうになるが、更に力を込めるようにありったけの腕力で握りしめ、旗を土の中へ埋めるかのように押し続けた。大蛇のどこよりも柔らかなその部分へ豪快に突き刺し続ける。黒色の血液が僕の身体中へ弾き飛んだ。

 

「目を狙ったのか……!」


 百道先生のその声が響いた時、僕はあの3人へ、真っすぐにこの想いを伝えた。


「己のごうを燃やせ……、そのカルマを断ち切れ……!!」


 僕は大蛇の目玉に更に深く、この旗棒を押し込みながら、力強くそう告げた。それに呼応するかのように僕の持つ旗、ごうが青黒く光り、暴風が吹き荒れ、闇色の旗が激しくなびき始めた。


 先程とはまるで別の場所にいるような、荒れ狂った、だけど熱気を感じる夜風だった。3人が持つ、ハンマー、大針、大槍、それぞれのごうともしびのようにゆっくりと淡く光り始めた。赤、青、黄色の色が混ざり合いながら次第に強く強く、輝きを増し始める。


 それらの業も持つ、彼らのまとう空気が変わった。次第にその瞳には意思の強さを光らせ、それぞれに燃え上がるような光る業を構え、戦闘体制を取り始めた。


 大蛇の目玉から旗棒をすかさず引き抜いた。その時、一番最初に動き始めたのは赤髪を夜風になびかせたスサオ君だった。真っ赤に光り続ける巨大なハンマーを振り上げ、怒りがはちきれんばかりに闇色の大蛇へ向かい、突進していく。


「はっ! なんかむしょーに腹立って来たき! シュンがあげん張り切っちょうのに、このまま見ちょうだけとかおれんし! きさん、おりがこのハンマーで潰してやったんに復活したんとか、ふざけちょんか!? くらしちゃる!!」


 次にロチア君が、いつもながらに眼鏡を指で持ちあげ、青く灯る大針を肩に乗せ、アスファルトを跳ねるように蹴った。


「この私としたことが。業色人への執着がまだまだ足りませんでしたよ。シュン様にも気持ちで負けてしまうとは。私の大敗を認めましょう。ですが、この大針で、業色人には勝たせていただきます……!」


 最後に微笑みを携えた、金髪のクニ君がふふっと可愛く笑い声をあげた。ずっと首に下げているロケットペンダントをぎゅっと右手で握って離したかと思うと、その手は再び大槍を力強く握りしめた。そして横目で僕をちらりと見ると、笑顔のまま大蛇へ向かって駆け出した。


「ふふっ、ボクは今、すっごくシュン君への興味でいっぱいだよ~? このカワイイ蛇さんをやっつけたらあとで一緒に写真撮ろうね~」


 3人は明らかにそのごうの色を強く燃やしていた。


「おい、真っ黒ヘビ!! イザミを吐けっちゃ!!」

「彼を食べてもおいしくないと思いますけどねぇ」

「ボク、ちょっとそれ見てみたかったな~なんて」


 彼ら3人は、闇色に染まった大蛇をそれぞれに攻撃し、打ち鳴らし、また弱らせていく。それぞれが別の場所で同時に攻撃を繰り返しているため、大蛇も右往左往しているようだ。それに片目が潰されている。それでも闇色に生まれ変わった大蛇は獰猛で、彼ら3人は先程よりも更に生傷を作っていた。何度も太い胴体に弾き飛ばされながらも、血を袖でぬぐいながらまた持ち場へ戻って行く。勇敢に何度でも立ち向かっていく。何かが先程と違う。そのまとう意思が。業が。


「行けるぞ……!」


 加勢した3人が作った隙のおかげで、百道びゃくどう先生が真っ暗の中で見つけたような一つの光を示した。その時彼は大きく飛躍した。タイミングよくその大鎌を振り上げると、大蛇の首へ狙いを定めた。そしてそのまま、月夜で美しく照らされた彼と大鎌は、その大きな一振りで、豪快に地へ落ちた。今まで聞いた事のないような切断音と、地へ無残にも崩れ落ちた旋律が鳴り響く。この闇の中でそんな音色だけが不気味にそして静かに響いた。あの大蛇を生み出した男性もこと切れたかのように力を無くし、アスファルトの上へ人形のように鈍い音を立て転がった。その時、あの声が再び周囲へ拡散された。


『俺は愛していた……。あの女を心から愛していた……。ただ二人で幸せになりたかった……。ただ……、それだけ、だった、のに……』


 最後の一声であろうその言葉が僕の頭の中で虚しくこだました。胴体から切り離された大蛇から発せられたものだった。彼の声はとても寂しい音色で、残された片目だけが僕達を虚ろに覗いているようにも見えた。


 百道びゃくどう先生は闇色の血液で溢れている形を失った瞳を見つめ、冷たく寂し気な一言を暗闇へ響かせた。


「闇に染まった君は、もうこの世界では生きられない」


 まだ光を失っていないもう一つの目は、一瞬鋭い色を見せた気がしたが、次第に生気を失っていく。完全にそのともしびが静かに消えると、チリのような黒い煙となりゆっくりと星空へ登って行く。この大蛇へ成り果ててしまったあの男性も同じく黒のチリとなり、天へ登って行った。


 そして、その地へぐったりと横たわる、イザミ君の姿だけが残されていた。


「イザミ君……!!」


 僕は慌ててかけより、彼のずっしりとした重たい体を支えた。戦いを終えたスサオ君、ロチア君、クニ君も走り寄って来た。その時、僕は知ってしまった。彼が全く息をしていないことを。


「そんな……」


 僕は目をいつまでも開けようとしない彼へ何度も声をかけた。だが、一切反応はなかった。


「救えなかったか……」


 百道先生が抑揚のない声でぽつりと呟いた。


 その時、目の前の地面に横たわる僕の旗、黒色のごうに変化が見られた。今までずっと青黒く光っていた灯がゆっくりと消え始めたのだ。段々と弱々しくなる命のような輝き。それはまるで永く灯り続けていた蝋燭が燃え尽きるかのように見えた。この消失は何かの終わりを告げようしている。なぜか僕はそれを強く痛感した。


「……そうでも、なさそうだ」


 思わぬ声が聞こえた。あの低音で心地よい声だった――。


「イザミ君!!」


 彼はズタズタになった学ランに穴を空け、手足から血を滲ませながらも、息を吹き返していた。


 自身の勢いに任せたまま、彼の汚れきってしまった身体を強く引き寄せた。鼻をくすぐる汗の匂いや泥の匂い、胃液の匂い、数多の見えないものから、彼の生をしっかりと実感した。抱き締めた身体からどんどんと体温が戻ってくる。とても優しく、暖かい。ゆっくりと溶けるように、凍り付いていた心の芯がゆるやかに温もり出す。何か彼へ伝えたかったけれど、ただ嗚咽を漏らすだけの情けない姿になっていた。でもこれだけは言える。とても嬉しかった。言葉にならない程に安堵し、嬉しかった。いつの間にか僕の頬にはたくさんの涙が染みついていた。


「シュン……、悪かったな……」


 力無い声で僕の耳元にその名を投げかけてくれた。それはとてもさわさわと耳に馴染みながら、僕の脳内へこだました。


「これは一体どういうことだ……?」


 百道びゃくどう先生が目を見開き、同時に口も開いた。


「こいつ……、シュンが、俺を救ってくれたんだ」


 イザミ君の柔らかくて緩やかな声が、僕を優しく包んでくれていた。

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