第二章 源平合戦 義経 雌伏の時

第11話 平家の政変と『源氏蜂起』騒乱。


治承3(1179)年11月 奥州平泉高館 衣川館

九郎義経 (21才)



 この年の夏、慌ただしく、都の異変を報せる急使が届いていた。


「去る6月17日に、清盛公の娘の白河殿盛子が逝去。盛子殿の摂関家領の帰属問題を巡り、院と清盛公の対立しているとのことです。」


 近衛基実亡き後、正室の盛子が領地を所有していたが、院が清盛に無断で没収していた。

 さらに翌々月、平家一門の訃報が続く。



「去る閏7月29日、春から病に伏せっていた清盛公の嫡男 平重盛殿が、亡くなりましてございます。」


 清盛の嫡男 平重盛は、次代の平家の棟梁であったが42才で病死した。

 重盛は、平氏一門では唯一親院政派であり、清盛との対立を抑える最後の歯止でもあった。



 やがて急使は都の政変へと続く、変異の報せと化して行った。

 

「重盛殿の知行国であった越前国が没収され、院の分国となりましてございます。

 また、清盛公の推挙した20才の近衛基通でなく、清盛公に敵対する関白氏長者の松殿基房の8才の師家が、権中納言とされました。

 この横暴極まりない措置には、摂関家の九条兼実殿でさえ『法皇の過怠』『博陸の罪科』と国の政を乱すものと批判しております。

 さらに院と基房が平家を滅ぼす密謀を練っているという噂も流れております。」


 この師家の権中納言就任は、師家が氏長者となり、後白河院の管理下に入り摂関家領の継承をすることを意味している。


 

「御曹司っ、一大事にございますっ。平家が、清盛公が謀反っ。軍勢を率いて入洛しました。

 11月14日に松殿基房、師家父子を罷免。

 後白河院は驚愕して、清盛公に『自身は今後二度と政務に介入しない。』と謝罪したと聞き及びますが、清盛公は後白河院を洛南の鳥羽殿に連行し、幽閉しましてございます。」



 これは『治承3(1179)年の政変』だな。

 平家の没落が始まる。平家に連なる栄華とは縁のない者達まで、やがて追われて散りゆく。

 雌伏を余儀なくされた源氏の者達は、ただ、義憤を晴らすだけの蜂起で、良いのだろうか。

 

『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。』



 翌年の治承4(1180)年2月、高倉帝が譲位、高倉院政が発足する。

 これは後白河院から院領を没収し、高倉上皇領に組み込む措置である。


 高倉上皇の厳島神社参詣に宗教的地位の低下から反対する延暦寺、園城寺、興福寺がは猛然と反発し、三寺が連合して高倉院・後白河院の身柄を奪取する企てが露顕し、平家による警護が厳重になされた。


「大変、大変ですぞっ、御曹司っ。ついにっ、ついにっ、平家打倒の令旨が出ましたぞっ。


 4月9日に、後白河院の第3皇子 以仁王が諸国の源氏と大寺社に平氏追討の令旨を下しましてございます。

 皇位を騙し取る平氏を討てと。


 熊野に隠れていた源行家が、4月9日に京を立って、諸国を廻って伝達しております。

 4月末には伊豆北条館を訪れ、兄君源頼朝様にも、この令旨を伝えた由にございます。」


 この令旨、皇太子どころか親王ですらない。  

 一人の王に過ぎない以仁王の奉書の命令書は本来は御教書と呼ばれるべきもので、令旨には形式に甚だ不備があるものだった。

 しかしそんなことは関係ない。令旨が出た、それは蜂起が朝敵とならないことを意味する。

 各地に閉塞する源氏ゆかりの者達は、小踊りして喜んだ。雌伏20年、長く重く苦しかった20年間の鬱憤を、今こそ晴らす時だと。


 源行家は4月から5月にかけて東国を廻り、その間に以仁王の計画が露見した。

 熊野別当湛増の密告である。令旨で熊野勢力が二つに割れ争乱となったため、湛増が平氏に以仁王の謀反を注進したのである。


 5月、以仁王は臣籍降下処分となり、土佐国への配流が決った。

 以仁王は軍勢を差し向けられて、御所を女装して脱出。大津の園城寺に逃げ、さらに南都の興福寺を目指した。

 しかし、宇治平等院に辿り着いたところで、追っ手と宇治川を挟み対峙。

 源頼政一族、一来法師ら一千騎が、以仁王を逃がそうと矢戦で奮戦するが、万を超える追討勢の前に破れ去る。

 以仁王自身は、山城国光明山鳥居の前で追いつかれ、敵の矢に当たり落馬、討ち取られた。


 

 以仁王の令旨は全国各地に飛び火して、8月には伊豆に流されていた源頼朝や、武田信義を棟梁とする甲斐源氏、9月には信濃国において木曾義仲が挙兵した。


 これに対して、平清盛は頼朝らの勢力拡大を防ぐため、平維盛を総大将とした平家の大軍を関東に派遣したが、富士川の戦いで交戦をせずに平家軍は撤退してしまった。


 その後清盛は、敵対勢力で囲まれる京を捨て福原へ後白河院を連れての行幸を強行。

 そして、後白河院の復権を取り計らう。

 この時期、高倉上皇の病状が悪化し、崩御すれば幼児の安徳天皇が政務を執れない以上、後白河院の院政再開しか道はなかった。


 清盛は後白河院の院政を無条件で認めた訳ではなく、園城寺・興福寺を焼き払い、東大寺・興福寺の僧綱以下の任を解き寺領荘園を没収、院近臣の危険分子を解官するなど可能な限り後白河院の勢力基盤削減を図った。


 この南都焼討では数千もの民衆が犠牲となり東大寺大仏殿と大仏が焼失、大破させる惨事となり、清盛自身も「仏敵」の汚名を着ることとなった。



「御曹司、東大寺の大仏様が清盛がために焼亡致しましたぞ。寺社は清盛を仏敵と、この奥州まで伝え広めておりますっ。」


「弁慶、大仏様とは崇拝すべき仏像なのか。」


「某は僧籍ゆえ、仏の像は数多の年月の万民の願い籠っておる仏道の宝物と思うております。 

 仏そのものではありませぬが、仏の身代わりに近いものかと。」


「ふむ、なるほど。それを焼亡させた首謀者が仏敵か。しかし、清盛は大仏を焼亡せよとは、申してないのではないか。

 ただ、敵対する宗徒の本拠を焼き払えと命じた、だけではないのか。」


「御曹司、それは詭弁にございます。

 寺を焼けば、そこに鎮座する仏像もまた焼亡を免れませぬ。」


「弁慶、仏敵とはなんだ。」


「御曹司、仏敵とは仏の教えに敵対し、仇なす者にございます。」


「ほう、延暦寺と興福寺は互いに仏敵なのか。  

同じ仏の教えを司る寺が、面白いものだな。」


「 • • • • • 。」


「やれやれ、弁慶。大仏を焼亡させたことは、単なる焼亡の罪だと思うぞ。

 東大寺に敵対したことが仏敵ならば、仏の教えに背いて、ことを行う東大寺もまた仏敵ぞ。 

 所詮は仏敵など、坊主が振り回す警策よ。

 まったく、破戒僧が蔓延るばかりだな。」



………………………………………………………



 治承5(1181)年1月 高倉上皇崩御(21歳)。

 閏2月、平家の反撃の準備が整えられていった中、清盛は後白河院に今後のことは宗盛に諮るべしと言い残して死去した。

  

 清盛が死亡したこの年の8月、頼朝が密かに院に平氏との和睦を申し入れたが、宗盛は清盛の遺言が

『 我が子、我が孫は一人として生き残っても骸を頼朝の前に晒せ。』

 として、これを拒否、頼朝への激しい憎悪を露にした。



 この時、宗盛が取るべき道は、他になかったのだろうか。

 清盛は、京の都での不利を悟り、福原に遷都しようとしたぞ。宗盛はこの父親がしたことの意味を何も学ばなかったのか。

 平家の本拠は伊勢。伊勢に戻り防御に徹するという選択肢はなかったのであろうか。


 この年はまた、養和の大飢饉により大軍派遣のための兵糧の徴収が思うように進まず、院宣で追討が停止されていた。




✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢✢



治承4(1180)年2月 奥州平泉高館 衣川館

九郎義経 (22才)



 俺は養和の大飢饉のこの年、奥州各地の米作困難地域や不適作地域に、蕎麦や雑穀の栽培に加えて、養蚕のための桑畑や『カラムシ』の作付けを奨励していた。


 古代日本では朝廷や豪族が糸を作るための麻績部おみべ、布を織るための機織部はとりべを置いていた。

 日本では約五千年前の縄文時代から、一般の衣料は麻であった。麻織物だけの期間は長く、約3200年も続いた。

 日本で絹利用が始まったのは2世紀の初頭、つまり、卑弥呼の時代の頃であったらしい。

 そして、麻と絹の衣料の時代は、16世紀末に綿が栽培されるまで続いた。

 戦国時代、越後は日本一の青苧の生産地で、上杉謙信は、青苧で莫大な利益を上げている。


 長く雪に閉ざされる奥州、特に出羽国は、蚕の飼育や織物の家内工業に適しているのだ。

 加えて俺は、18世紀の登場するはずの飛びを職人に作らせた。

 布を織るためには、縦糸に横糸を交互に通すのだが、横糸を通す糸巻シャトルきは、両手を用いて布の端から端へ渡されていた。

 飛び杼は、この糸巻シャトルきを飛ばす機構のもので、片手で紐を握り、ただ上下に引くだけで遠くまで飛ばせ、より速く、より幅の広い布を織ることができる。


 これで明年以降は、絹と麻 (青苧) の生産で庶民にも衣服が手に入りやすくなるだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る