血ゲロのひとつも吐かされたことのない野郎がry 死地

「諏訪原くん、それは……!」

「か、かわいそーでごわすよさすがに……」

 明らかな難色を示す女性陣。

「そりゃ確かにそのほうがいいだろーけどよ……お前はいいのかよ篤この野郎」

「攻牙の言うとおりだよ。だいたいその手のプレイは本人同意じゃないとへぶぅっ!!」

 攻牙と射美のダブルアッパーを受けてぶっ飛んだのち、何度も踏みつけられる謦司郎。

「よくは、ない。だが必要なことだ。たとえ体は霧華でも、主導権を握っているのはあのディルギスダークだ。どんな油断もすべきではない」

 藍浬は何か言い返そうと口を開いて、何も言い返せなかったのか、うつむいた。

「それに、霧華は他人の意のままに自分を動かされることを望まない。俺は不甲斐ない兄貴だが、それくらいはわかる」

「……ごめんなさい。その、勝手なことを言って」

 篤は無言で首を振った。そして胸に渦巻く思いを断ち切るように立ち上がる。

「俺がやる。霧沙希たちは先に特訓をはじめていてくれ」


 その後しばらくして、篤はリビングに戻ってきた。

 一同は特に何も言わず、篤を迎え入れた。


 ●


 七月二十二日

  午前八時三十二分十八秒

   霧沙希家リビングにて

    引き続き「 」のターン


 それからの毎日は、まさしくゲーム漬けの日々だった。

 朝起きてメシ食ってゲームしてメシ食ってゲームしてメシ食ってゲームして寝る。

 素晴らしきダメ人間サイクル。

「いや、正確には起床して排泄して……」

「そのあたりは言わんでいい!」

 しかしその甲斐あってか、一同の上達ぶりは眼を見張るものがあった。

 篤は操作キャラクターの特性を最も早く掴んだ一人だった。相手の隙を見抜く能力が激しく求められるこのメイドロボは、奇しくも篤と抜群の相性を持っていたのだ。相手の攻めが途切れるわずかな隙間にドリルだのガトリングガンだのを捻じ込むさまは、まるで未来予知でもしていたかのようだ。

 射美はバリバリのコンボジャンキーとなった。狙うのはコンボ。一にも二にもコンボ。それもヒット数の多いコンボがお好みである。代わりに設置技を用いた立ち回りやトラップ構築に関しては非常に不得手。しかし特訓の最終目標である「即死コンボ習得」に最も近い奴なのは違いない。

 藍浬は対照的に設置技が気に入ったようである。四人の中では最初に「択一攻撃」の概念を理解した一人であり、相手の操作ミスを誘う手腕に長けている。任意のタイミングで攻撃させられる設置砲台と自分自身とで、交互に相手を空中に打ち上げるコンボ、通称「バレーボール」が強力である。

 謦司郎はたったひとつの技に執着していた。頭のビーム触手で相手を絡め取って体力を吸収する投げ技である。この技が決まるたびに「ホーッ! ホーッ! オッフゥーッ!」と奇声を発するので大変うっおとしい。すべての行動がこの技を決めるための布石であり、立ち回りの精度は意外に高い。

「グッフェヘヘ……この人の頭はいろんな用途に使えそうですよね……長いの、短いの、太いの、細いの……まったくこのエロナイトめは本当にエロいな。救いようがない」

「救いようがないのはお前の頭だ!」

 そして、攻牙は。

「うー……ん……」

 攻牙は他の四人に先駆けて、即死コンボの練習に入っていた。

 使用キャラクターはアトレイユ。左右に巨大なガントレットを浮遊させた少年であり、バックストーリーでは主人公的な立ち位置にいる。

 現在、触手甲冑男ヴァズドルー(with謦司郎)と対峙していた。

「好きなように攻めていいのかい?」

「あぁいいぜ」

「というか攻牙? 君はなぜ女性キャラを使わないんだい? 信じられないし、意味がわからないよ。一体何を考えているんだい? 軽蔑に値するね」

 なんで男を使ったくらいのことでそこまで言われなきゃならないんだろう。

 ちなみに、謦司郎はエオウィン(with篤)に対する勝率は妙に高い。素晴らしくウザいと心から思う。

「ほざいてろ! 行くぜ!」

 攻牙はダッシュで即座に間合いを詰めた。

 アトレイユの即死コンボルートは、大きく分けて二種類存在する。

 ひたすら地上での高火力コンボを「ガイキャン」と呼ばれるテクニックで強制接続してシメに超必殺技を叩き込む「オーソドックスルート」。

 処理システムにキャラの向きを誤認させることで成立する「キモピタルート」。

 このうち、難易度が高いのはオーソドックスルートである。自分のパワーゲージが満タンで、しかもコンボ工程を半分ほど消化した段階で相手を壁際まで追い詰めていることが条件だ。なんとなく見た目がオーソドックスなのでこんな名前がついているが、タイミングがシビアすぎるため、実戦の中で狙うのはかなり厳しい。

 反対に、一種のバグを利用したキモピタルートは一旦ハマれば楽に完走できる。アトレイユの弱パンチはかなり攻撃範囲が広く、自身の体内にまで判定が及んでいるので、密着状態なら背中を向けていてもヒットしてしまうのである。すると相手はアトレイユの背中に押し付けられるようにのけぞるので、楽々と次の弱パンチを当てられる。後はもう弱パンチを連打しているだけで勝ててしまうのである。

 ――だがひとつ問題がある。

 この最凶バグ技は家庭用移植版では修正されて使えなくなっているのだ。つまり、ここでは練習が出来ない。

 ――決めるしかねーなぁ! オーソドックスルート!


 ~約二時間後~


 二ラウンド先取の設定で計四十回の対戦を行った。攻牙の戦績は三十五勝四敗一分け。

「あかん……決まらん……」

「くっ……僕の触手が男なんかにやられるなんて……くやしい! ビクンビクン!」

 嬉しそうに悶えている謦司郎を尻目に、攻牙はいらだたしげに頭をかく。

 ネックとなるのは「ガイキャン」である。

 ガントレットで足元を殴りつけ、地面から間欠泉のごとく光の奔流を噴出させる必殺技〈ガイアプレッシャー〉。これの予備動作が、実はダッシュを行うことで中断可能だったりするので、

 攻撃A→〈ガイアプレッシャー〉→ダッシュ→攻撃B

 ……と、素早く入力することで、普通なら繋がらないコンボが繋がったりするのだ。このテクニックを「ガイアプレッシャーキャンセル」略して「ガイキャン」と呼ぶ(地域によってはプレキャンと呼ばれることもある)。しかしかなり難度は高い。実戦投入できるだけでも尊敬の目で見られたりするレベルである。

 また、ガイキャンが成功したとしても、状況によって若干コンボレシピを変えなくてはいけないことが発覚した。

 どうもこのゲーム、キャラクターが攻撃を食らってブッ飛ぶ際に、物理演算じみた複雑な処理をもって軌道を算出しているらしい。つまり普通の2D格闘ゲームであれば無視されるような要因によって、コンボが繋がったり繋がらなかったりするのだ。

 オーソドックスルートの最初の一撃がヒットした時、相手が立っていたかしゃがんでいたかで浮き方が少し異なってくる。しゃがんでいた場合、途中で落としやすくなるのだ。

 対処法としては、今よりもっと早いタイミングで攻撃を出しまくるか、上方向へのベクトルを継ぎ足すような攻撃を組み込むか。

 ――クソッ! 頭痛え!

「もっかいだ謦司郎てめーこの野郎!」

「ひぎぃ! も、もうゆるしてぇ……」

「はいはい、夕ご飯できたから休憩っ」

 後ろから藍浬の手が伸びてきて、コントローラーを取り上げられる。

「むぐぅ」


 ●


    引き続き「 」のターン


 お約束というものがあり、それを求める何がしかの層が存在するとしよう。

 そして「ヒロインと一つ屋根の下で生活を共にする」などというアホな状況が仮に実在し、そのシチュエーションにおける主役を務める栄誉にあずかったとしよう。

 ならば必然的に導き出されるのは、着替え現場に遭遇して「○○くんのえっち!(ばしーん)」系列のハプニングであり、これなくして物語を終わらそうなどと片腹痛いと言わざるをえず、お風呂場関連の状況変化には細心の注意を払わなければならない。

 むしろ「ヒロインと一つ屋根の下で生活を共にする」状況は「覗け!」というネタフリに他ならず、我々男児は不断の決意を持って、かかる神聖な義務を粛々と遂行しなければならないのだ。

「だというのに……」

 謦司郎の声が、湯気に反響した。その顔には無数の引っかき傷があった。

「何なのこの状況? 誰が求めてるの? クオリティ低いよ? 神は死んでるの? むしろ死んでいいですか? 死んでいいですか?」

 その声は憔悴し、今にも浴槽の底に沈んでいきそうだった。

「沈むな謦司郎。狭い」

 膝を抱えながら、篤がつぶやく。こっちも同じく傷まみれである。

 二人は狭い湯船の中で背中合わせにひしめき合っていた。お湯がざぱざぱ溢れている。

 フル裸である。

「誰のせいだと思ってんだよったく」

 体を洗いながら二人を見ていた攻牙も、ため息をつく。これはひどい。

 ごく手狭な展望風呂である。天井と二面の壁がガラス張りとなっており、ちょっとしたプラネタリウムの趣であった。

 攻牙は、やるせない思いを消化しながら、こんな誰も幸せになれない状況になった経緯を思い出そうとした。


 霧沙希邸には、浴場が三つある。

 ・一階に存在する、プールじみた大浴場。

 ・紅深の瞑想部屋に備え付けられたシャワールーム。

 ・屋上の一人用展望風呂。

 これらのうち普段使われるのは一階の大浴場である。

 晩ごはんののち、引き続き即死コンボの修練に勤しんでいた攻牙と、それに付き合っていた謦司郎。

 すると、藍浬と射美の声が偶然廊下から漂ってきた。

「藍浬さんっ♪ 今日は一緒にお風呂入るでごわす~♪」

「あら、ふふっ」

「藍浬さんに髪洗ってもらうとめっさぽんきもちいいでごわす~♪」

 その会話は、甘美な桃色の共感覚を伴って、二人の耳に入ってきた。

「きッ、ききき聞いたかい攻牙! あ、あ、あの二人が……ッ! 一緒に……ッ!! もうこれ覗くしかないってマジマジ! ここで覗かないとか意味がわからないよ実際!」

 鼻息がウザい。

「一人で行け! そして死ね!」

 そして本当に覗きやがった謦司郎。

 屋敷内を駆け抜ける悲鳴。

 「すわ敵襲か」と篤が浴場に乱入。

 この時点で藍浬は卒倒。

 フシャーッ! と眉目を逆立てる射美によって、顔に無数の引っかき傷をつけられる篤&謦司郎。

 屋敷中をめぐる逃走劇の中で、なぜか巻き込まれる攻牙。

 阿鼻叫喚。


 そして現在。

 浴槽の中で、謦司郎はにこやかに快哉を上げていた。

「いやぁ、いい覗きだったね! バレて、ボコられる! これがあって初めて覗きという行為は完結するんだよ。これこそ男の本懐げふぉっ!」

「なんでボクまでここに押し込められなきゃならないんだ!」

 変態の頭を蹴り飛ばす攻牙。

 そのまま頭頂を足で抑えつけ、ぐりぐりとお湯の中に沈みこませる。

「ちょっ! 熱っ! 傷がっ! 傷がしみっ!」

 三人は現在、この狭い展望風呂に監禁されていた。

 ――射美たちがお風呂からあがるまで、そこで反省してるでごわすッ!

 鬼気迫る闘気を放射しながら、鋼原射美は三人をここまで追い立ててしまったのだ。

 しかも扉をガムテープで固定しまくったらしく、普通の方法では出られそうになかった。

 でまー、しょーがねーから風呂にでも入るべ、という話になったのだった。

「いっやー、タオル一枚でぷりぷり怒る鋼原さんは最高にエロ可愛いかったね!」

 追っかけてくる射美の姿が脳裏に浮かぶ。ぴらぴらと捲れそうになるタオルの裾部分が拡大表示されかけたので、慌てて頭を振る。

「もうなんか生きてて良かったァ~って感じだよ。ラオウの辞世の句いっていい?」

「やめろバカそんな冒涜ボクは許さないぞ」

 ばしゃり、と篤が顔を洗った。

「霧沙希は……大丈夫だろうか」

「あー、まさか卒倒するとは予想外だったねー」

「ちったぁ反省しろよ性犯罪者が……ええい寄れッ! もしくは出ろッ! ボクが入れない!」

「やれやれ」

 篤と謦司郎が身をよじると、攻牙はその隙間に潜り込んだ。

 攻牙の体積分のお湯があふれ出す。

 背中合わせの男三匹。ガラス越しの夜空を見上げるの図。

「ふむ……久しぶりだな」

「何が?」

「こうして三人で話すことがだ」

「あ~、まーね」

「このごろは霧沙希と射美の野郎がだーいたい一緒だったからな」

 攻牙は、浴槽のふちで組んだ腕にアゴをのせた。

「いいことだよ、うん。今にして思えば、なんで僕はこんなムサいパーティで満足していたんだろうって感じだね。ありえないよ、女の子がいないとか」

「さよう。仲間が増えるのは良いものだ。だが……」

 篤があるかなしかの微笑を浮かべる。背中越しだが、なんとなく、それがわかる。

「こうして原点に立ち返るも、また良し」

「なんじゃそりゃ」

 攻牙は苦笑する。

「まー、確かに、いろんなことがあったねぇ」

 しみじみと謦司郎がつぶやく。

 そして、攻牙も想いを馳せる。

 この三人で、それはもうさまざまな無茶を通してきたものだ。

 『普通でない者は生かしておかない』などというトチ狂った反動思想に邁進する鉄血少女「歌守かもり朱希奈あきな」と、入学早々死闘を強いられたり。

 他人の眼相から思考を読む悪魔的頭脳の天才少年「頼耶識らやのしき執我しゅうが」と、ある少女の眼球を賭けて三日三晩にわたるにらめっこ勝負をしたり。

 体感時間を自在に操る特異体質を持つ地獄のアウトロー「姫刃咬きばがみごう」と、彼が率いる超高校生級武闘派不良集団『衛愚臓巣徒』によって学校がマジ占拠されたり。

 そういうヤバい事件の他にも、ひょんなことから知り合った後輩に付きまとっているストーカーを殲滅したり、ひょんなことから校内のいじめグループを殲滅したり、ひょんなことから街に巣食う悪のエセ宗教団体を殲滅したり、ひょんなことから『衛愚臓巣徒』の崩壊によってのさばってきた暴走族を殲滅……って殲滅しすぎだろオイ!

 びっくりした。

 何だこの血塗られた高校生活。

 ――というかボクたちは何回「ひょんなこと」に遭ってんだ。

 そして、攻牙は思う。

 いかなる苦境の中でも揺るがず、泰然と自らのペースを保ち、決して軸がブレない。

 諏訪原篤と闇灯謦司郎は、常にそういう男たちであった。

 背中に二人の存在を感じ取りながら、思う。

 自分より格段にでかい背中達。

 それは、単に体格だけの話ではないように思えた。

 ――きっとこいつらは……たとえボクがいなくとも……

 今まで胸の底に抑えつけてきた、その思考。

 決して表に出るはずのないコンプレックス。

「思い返せばさまざまなことがあったな」

「三人でいろんな敵をやっつけてきたよね~」

「そんなこと言って……お前ら……」

 どうせボクがいなくても平然と戦い続けちまうんだろ?

 ……と、言い返そうと思った攻牙であったが。

 ――あれ?

 なんか。

 浴室が広い……?

 ていうか。

 意識が。

 遠い

「むっ、いかん」

「どしたの」

「攻牙がのぼせている」

 そんな声も、遠い。


 熱いお風呂に長いこと入っていると、血圧がなんかスゲーことになって脳みそが煮えたりする。

 のぼせているのである。ちっこい奴ほど体温が変わりやすいので要注意である。

 すぐに風呂から引っ張り上げて安静にし、こうしてデコに氷嚢を乗せたり、うちわで煽いだりしてやると良い。

 ……みたいなことを考えながら、攻牙は頬に当たる風の感触をぼんやりと受け入れていた。

 まだちょっと頭の働きが鈍い。

 どこか遠くで、聞きなれた打撃音や爆音が鳴っ『閃滅完了-K.O.-』あ、終わった。

 重い瞼をこじ開け、視界を確保しようとする。あたりは、照明を抑えた薄暗い一室のようだった。

 横から断続的に風が来る。誰かが攻牙をうちわであおいでいるのだ。

「……うぅ……」

 みじろき。

「気が付いたでごわすか~?」

 ささやくような声。

 ぼやけている視界に、何かが映っている。眼をしばたいて見直すと、射美の顔が目の前にあった。

「……ぅぁ……?」

 呻くような声を出す。

 くりくりと良く動く瞳。にゅい、と笑みを浮かべる小さな口元。しかし眉尻は申し訳なさそうに下がっている。

「ごめんなさいでごわす~、監禁はやりすぎたでごわす~……」

 そしてこの至近距離からは、普段は特に意識されなかったディテールが、鮮明に見て取れた。

 きめ細やかな肌。かすかに震えるまつ毛。柔らかそうなほっぺ。鼻先をくすぐる茶色っぽい髪。

 ほんのり桜色の、薄い唇。

 まだ残っているシャンプーの甘い香りが、攻牙の思考を優しく撫でていった。

「んがーッ!」

 ベッドを転がる。額に乗っかっていた氷嚢が落ちる。

 射美から十分に離れたと思った瞬間、攻牙は床に落下。

「ふぎゃ!」

 全身を打つ衝撃が、意識を完全に覚醒させる。

 ベッドのふちに手をついて起き上がる。野暮ったい半袖のパジャマを着た射美が、体全体で首をかしげながら(妙な表現だ)こちらを見ていた。超怪訝そうだ。

「……ハードボイルドな自殺の練習?」

「お前の脳内では『転がる=ハードボイルド』か!」

 攻牙も、じっと射美の全体像を見る。

 彼女はうちわを持って、ベッドの上にぺたりと腰を下ろしていた。

 特にどうということもない、やかましくてうざったい、いつもの射美である。

「……別に変わりはねーな」

「ほえ?」

「なんでもねえよ! リビングに戻るぜ!」

「あっ、ちょっ、攻ちゃん?」

 なんとなくいたたまれなくなって、駆け足でその場を立ち去る。

 ――ちくしょう。

 胸の中には、悔しさがある。

 きっとあの二人なら。

 ――こういう時でもいつもと変わんねえんだろうな……!

 篤は眉ひとつ動かさずに看病の礼を言っていたことだろう。

 謦司郎は異常興奮して変態的言動に走るだろうが、それはいつものことであって、「常態を保っている」という点で篤と何も変わらない。

 なんだか不意に、あの二人と距離が開いたような気がした。

 そんな思いを振り払いながら、寝室のドアを開けて廊下に飛び出した瞬間、

 たゆん、たゆん、ゆん、ゆん、ゆん……

 そんな神話的擬音が攻牙の脳内で流れ、視界が百パーセントふさがれた。

「むぎゅう!」

 プリンともマシュマロとも異なる、「弾力ある海」としか形容のしようがない感触が顔面を包み込んでいる。

「あら、良かった……目が覚めたのね」

 慌てて離れると、藍浬が両手を合わせて微笑んでいた。

 普段なら、その瞬間は顔を赤くするものの、すぐに立ち直れるハプニングであったが……

「うううぅぅぅぅ……!」

 今はちょっと、そんな余裕はなかった。

「こ、攻牙くん……?」

「なんでもねえ!」

 ぷい、と顔をそむけ、走り去った。


 ●


    引き続き「 」のターン


 弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉→一瞬だけダッシュ→強パンチ→〈ルミナスピアサー〉

 ……以上がアトレイユの主力となるコンボである。これだけで三割ほどの体力を奪えるので、アトレイユ使いであれば習得は必須と言えよう。

 同時に、長大な即死コンボ「オーソドックスルート」を構成する一単位でもある。

 上記の基本コンボを、ガイキャンによる強制接続を用いて三回繰り返し、とどめにロック系超必殺技〈ワールドスカージ〉を叩き込むのが基本的なコンボ構造である。

 つまり、

 弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉→ダッシュ→強パンチ→〈ルミナスピアサー〉→ガイキャン→弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉→ダッシュ→強パンチ→〈ルミナスピアサー〉→ガイキャン→弱キック→しゃがみ弱パンチ×3→強キック→〈クラックヴォイド〉→ダッシュ→強パンチ→〈ルミナスピアサー〉→ガイキャン→ルミナスイレイズ→ガイキャン→〈ワールドスカージ〉→祝・完走→スタジオ騒然→観客総立ち→全米が爆泣き→いろいろあって世界から戦争がなくなる

 ……と、言う流れになる。

 常々思うのだが、最初にこれを編み出した人はできるかどうかもわからない即死コンボを延々と練習しまくったということであり、一体どこからそんな根性が沸いてくるのか実に不思議である。

 さて、この即死コンボ、ガイキャンを四回も成功させねばならないので一見して難しいと判るが、さらに難しい要素がある。

 ダッシュで接近した後に普通の強パンチを出さねばならないのだ。

 そのどこが難しいんだよと突っ込まれそうだが、このゲームにおいてはかなり難しい。なぜならダッシュ(→→)の直後に強パンチ(B)を押した場合、出の遅い中段攻撃(→B)が暴発してしまうのである。普段ならガードを揺さぶる手段として使いでのある攻撃なのだが、コンボ中に出てこられるともうおしまいだ。ヒットカウントは途切れ、せっかくのチャンスがパーと化し、観客席からブーイングが上がり、世界は核の炎に包まれ、時代は乱世に突入し、ジード軍団みたいなアホが暴虐を振るい、ユリアはさらわれ、世紀末救世主としての第一歩を踏み出すことになってしまう。

 これを防ぐには、→→とBの間に一瞬インターバルを置く必要があるのだが、待機時間の見極めがとても難しい。長すぎると相手が地面に落ちてしまうし、短すぎると中段攻撃が暴発する。

 まさに糸の上を渡るような試練だ。しかもオーソドックスルートではこの試練を四回もくぐり抜けなければならず、回数を経るごとに入力猶予時間が短くなってゆく(なぜならコンボ全体として相手の体は徐々に落ちていっているからだ)。

 超絶難易度。そうとしか言いようがない。実戦の中で完走できる人間は、全国でも片手で数えられる程度しかいないであろう。

 ――クソッ! やってやらあ!

 クリームスープパスタを物凄い速度で殲滅しながら、攻牙は決意を固めた。

「ふふ、今夜のクリームパスタは自信作なんだから」

「射美も手伝ったでごわすよ~♪」

「そして俺はサラダの野菜を延々と刻んでいたのだった」

 なんかお前ら所帯じみてきたな、おい。

「つーかあっくん! ボクのサラダ食うな!」

「いいぞあっくん。もっと食べるのだ」

「てめーのを食べさせろよ!」


 ●


    引き続き「 」のターン


 次の日から、攻牙に続いて他の面々も即死コンボ課程に入った。

 本来ならばもう少し立ち回りを磨いて欲しかったところであるが、期限はもう三日後である。時間にあんまり余裕がないのだ。

 ……ところが、ここで意外な事態が発生する。

 藍浬がごくあっさりと即死コンボを成立させてしまったのだ。もちろん、相手側の全面協力(何もせずじっとしておく)があってのことだが、それでも好都合な誤算である。あとは実戦の中で完走できるかどうかだ。

 また、篤も予想以上の成長を見せている。間合いの取り方とか隙の見出し方とか、そういう実戦感覚(リアルファイト的な意味で)に優れており、これが予想外の方面に力を発揮した。

 こいつが使用するエオウィンは、3ゲージ消費のガード不能即死技を持っている。あまりに出が遅すぎて実戦ではまず決まらない技なのだが――篤は決めてしまったのだ。

「相手が油断する瞬間というのは、手を合わせてみればだいたいわかってくるものだ。あらかじめ扇風機と地雷で壁を作っておき、相手の攻めの枕に重ねるように出せば、おおかた当たってくれる」

 よくわからんがそういうことらしい。こちらも実質即死コンボをマスターしたのと同じであろう。

 射美と謦司郎はさすがに苦戦している。というかそんなホイホイ即死コンボがマスターできるようなゲームはクソゲーというほかなく、この二人が正常なだけである。

 ――いや……ボクも……か……

 攻牙もまた、壁に突き当たっていた。

 全然できやしねえ。

 基本コンボの2ループ目まではわりあい簡単に安定する。問題は3ループ目だ。ここでの通常ダッシュ→強パンチの接続猶予はかなり短く、体感的には3F(二十分の一秒)程度。普通なら知覚すら難しい極微の一瞬だ。

 ダッシュしてから一瞬待ってBボタンを押すというただそれだけの行いが、まるで砂漠に撒かれた伯方の塩を集める作業のように途方もなく感じられる。

「んがーっ!」

 何度挑戦し、何度失敗したことだろう。

 相手の体が地面に落ちる時の「とすっ」という効果音。空しく宙を殴る強パンチの「ぶぉん」という効果音。

 その落胆は、腹の底の焦りを掘り起こす。

 ――ちくしょう……ようやくボクのターンだってのに。

 ゾンネルダークとやらは篤が倒した。

 射美は篤が倒した。

 タグトゥマダークも篤が倒した。

 ――主人公に……なりてえんだ。

 ちびっこくて弱っちい少年。今までも理不尽な暴力にブッとばされたことは何度かあった。

 そのたびに、篤と謦司郎は助けてくれた。アホなことを言い合いながら。

 ――だけどボクは……あいつらを助けられたことがあったか?

 その考えは、ぞっとするほど冷たく、胸に染み込んできた。

 瞬間、攻牙の携帯に、メールが着信した。

「……?」

 開いて見る。

 息を、詰まらせた。


 差出人:ディルギスダークだおwwwwwwww

 件名:無駄な努力はマジで無駄だおwwwwwwwww

 本文:

 ――ていうか別に即死コンボやんなくても勝てるんじゃね?wwwwwwwww

 ――ていうか別に一週間過ぎても大丈夫なんじゃね?wwwwwwwww

 ――ていうか別に人質の奴ら助けなくていんじゃね?wwwwwwwww


 ――じゃあな、ただの足手まとい。


「……」

 全身を襲う、かすかな震え。吹き出す汗。

 疑問その1、なぜ攻牙のアドレスをあの男は知っているのか。

 疑問その2、なぜこの携帯にディルギスダークの名が登録されているのか。

 疑問その3、なぜこいつは攻牙が壁にぶつかっていることを知っているのか。

 足元がゆっくりと溶け出し、暗黒の淵へと沈んで行くような感覚。

 よせばいいのに攻牙の脳みそはフル回転をはじめる。

 つまり、どういうことなのか、と。

 これまでに幾度か経験した、かすかな違和感。

 ホーミング八つ裂き光輪(仮)の不可解な射程の長さ。

 召喚限界時間などの、自分でもいつ仕入れたのかわからないバス停知識。

 ピンポイントで攻牙の行動を先回りしたディルギスダークの先見の明。

 それらを総合する、統合する、糾合する。

 ――誰でもわかる。誰でも理解できる。

 この茶番の影に隠された陥穽。

 吐き気が、喉をせりあがってくる。

「……っ」

 恐怖は。

 予想だにしなかった方向から襲い来る。

 やがて生まれいずるひとつの仮説。

「……おい……」

 恐らくそれは正しくて。

 だからこそ、攻牙を打ちのめした。

 自分たちはずっと、ディルギスダークが仕掛けた壮大な罠へと一直線に突き進んでいたのだ。

 そして、それは今や回避不可能で。

 喉が締め付けられる気がした。

 自分の心臓から、毒液が染み出してくるような心地。

 頭を抱える。

 呼吸が乱れる。

 刺々しい焦燥が暴れまわる。

「……おいおいおいおいおい……!」

 黒々とした自己嫌悪で、胸が腐ってゆく。

 なんだこれ。

 なんなんだよ。

 噛み締めたはずの歯が、ぎりりと鳴る。

 今の思考は、自分がここにいる理由へのダメ出しに思えた。

 お前何やってんの? という冷静な声。

 ――馬鹿なことやってねえでとっとと帰って追試の勉強でもしてろ。アホが。

 ――何が即死コンボだよ。そんなもん習得して将来の役に立つのかよ。

 ――度し難い。馬鹿馬鹿しい。

 攻牙は頭を抱える。

「何がヒーローだ……っ!」

 篤の姿が、脳裏に浮かび上がる。謦司郎、射美、藍浬の姿も。

 それらは皆、攻牙に背を向けていた。

 ――ボクがやったことと言えば下手に策をこねくりまわしてアイツらを泥沼へと突っ込ませただけじゃねえか!

 ろくに戦えもしない自分。こんな程度のことで心揺さぶられる自分。

「……ちくしょう……!」

「――ヒーローとは」

「ぎゃあ!?」

 静かな声。真夏の森の中を吹き抜ける、一条の風のような声だった。

「迷いを抱かず戦う者のことではない」

 振り向くと、篤が腕を組んで仁王立ちしていた。

「それは容易に独善へと堕ちてゆく、危うい正義だ」

 まっすぐに攻牙を見据える。こっちの心まで研ぎ澄まされてゆくような、透徹した眼差し。

「――ヒーローとは」

 この声。強い力を持つが、他人を威圧しない声。

「迷う者のことだ。悩む者のことだ。挫折を知る者のことだ。その上でなお立ち上がり、戦おうとする者のことだ」

 攻牙はひと声呻き、言葉を絞り出した。

「……立ち上がれなかった奴は……一体どうなるんだ……?」

 根源的な、問い。

 ふ、と篤は表情を緩めた。

「別段どうもならない。そういう者は、立ち上がれなかったのではない。立ち上がらないことを選んだのだ。立ち上がらずにただの人として生きても良いし、またいつでも立ち上がることは出来る。俺はそれで良いと思う」

 くるりと踵を返すと、肩越しに言った。

「攻牙よ、少し付き合え」

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