ラブライクシェイク

我琉 澪

第1章

南雲 羊

 南雲ナグモヨウは、夢だったメイドカフェで働いている。しかし、憧れていた”この世界”は、羊の思い描くような”キラキラした可愛い世界”ではありませんでした。

 

「ご主人様がお出かけです。いってらっしゃーい!」

 ご主人様を見送ったら、次のご主人様を案内をする為にテーブルを片付けてから、一旦控室に戻る。

 控室に行くとサボって座っている店長がいた。「うわ、最悪。」という顔は一切せず、愛想よく挨拶をする。 

「…お疲れ様です。」

「あ、キミ、お客さんの要望にちゃんと対応してる?指名してくれてるんだから、わかるよね?」

「…はい、」

「もっとサービスしないと、ね?」

「…はい、」

「給料泥棒は困るよー?」

「…」

「ちょっとこっち来て、」

「…」

 店長の「ちょっとこっち来て」=セクハラだと気が付いたのは、羊がまだメイド見習いの時だった。同期の子たちは、店長のエスカレートしたセクハラが原因で皆一斉に辞めた。羊が辞めずに残っっている理由は、いつか店長クソ野郎を訴えるために必要な証拠を集めるためだ。もちろん、いつでも辞める覚悟はある。ただ、今はまだその時ではないだけ。

 羊は、このかなりブラックなメイドカフェで必死にホワイトなメイドを演じ、今日も闘っている。

「制服、ちゃんと着ろって言ってるだろ、直してやるよ、」

 そう言って、クズ野郎の手が伸びてきて胸元のリボンを解き脱がそうとしてくる。

「…やめてください。」

「俺が直々に直してやるって言ってんだよ、ほら、」

「…いや、」

 このクズ野郎はセクハラだけではなくパワハラやモラハラもする。自分の思い通りにならなかったり抵抗すると、すぐに暴言を吐くし、時には暴力も振るう。どうして、こんなクズ野郎が店のトップに立っていられるのか。それは、オーナーに気に入られているからだ。

「売り上げ最下位のお前が、俺に口答えする権利があんのか!?」

「…やめて、ください(気持ち悪い)」

 ちなみに、羊は売り上が最下位だったことはないが、ここで反論はしない。

「使えないお前を雇ってやってるご主人様に対する態度を一から教え直してやるよ!」

「…離してください(誰でもいいから来ないかなー)」

「大人しくしてれば…」

「…(やっぱムリ!限界!) て、店長!ダメです!先輩たちにバレたら、」

「バカ!大きい声出すな!誰か来ちゃうだろ!」

 大きい声を出すなと言ったクズ野郎の方が大きい声で、その声に気が付いたのかドアの向こうから数人の足音が聞こえてきた。すると、さっきまですごい力で掴んでいた羊の両手をぱっと放し離れ、何事もなかったようにPCに向かって仕事を始めた。羊もドアに背を向けて、解かれたリボンを素早く結び直し服装を整える。そこへ、勢い良くドアが開き、先輩キャストたちが流れるように入ってきた。

「店長、何かありましたか?」

「ん、いや?別に何もないよ、」

「店長の声、キッチンまで聞こえましたよ?ね?」

「聞こえたー。」

「あぁ、それは、この子に発声の指導をしていたんだ、な!」

 クズ野郎が「話を合わせろ。」とでも言いたそうな顔をした。

「あ、はい。(バーカ)」

「な。わかったら、はやく戻れ、」

「そうですか…わかりました、」

「さ、行きましょう…」

「はーい、」

「笑顔を忘れず、いってらっしゃーい、」

 自分の前を通り過ぎる時の視線で、先輩キャストたちが納得していないのが羊には分かった。羊も先輩たちの後に続いてフロアへ戻ろうとしたら、クズ野郎が背後でボソッと言った。

「お前、クビになりたくなかったら、わかってるよな?」

「…失礼します。」

 フロアへ戻り、何とかお給仕を終えたのだが、クズ野郎との出来事が気に入らない先輩キャストたちの機嫌が悪く、自分たちの分の仕事を押し付けられた。しかも、期日が明日までに片付けなければならないものばかりで、先輩キャストたちが、わざとやらずに残しておいたのだろうとすぐにわかった。あの人たちの性格の悪さにはもう慣れたけど、クソ野郎との関係を勘違いされる上に嫉妬されることには、どうしても慣れない。なぜ、嫉妬をするのかというと、あのクソ野郎と先輩キャストたちそれぞれは肉体関係を持っているからだ。初めはただの噂だと思っていたが、後で事実だと知った時は、本当に気持ち悪くて吐いた。

「はぁ…ついてないなー、今日は早く帰りたかったのになー、」

 期日があるものはやらないわけにはいかないと頭を切り替え、途中休憩をしながらなんとか片付けた。

 時計を見ると、今日だった日付は昨日に変わっていて明日だった日付が今日になっていた。時刻は深夜4時を回っていた。

「ふぁ~、終わった…やっと帰れる、」

 戸締りのチェックをして、お店の裏口から出ると冷たい夜風が羊の髪をなびかせた。

「さむーっ、」

 ただでさえ夜道が苦手な羊は、眠い目を擦って駆け足で家に帰った。


「あぁ~…もうむり…」

 靴を脱ぎ捨て、そのまま倒れるように玄関に置いてあるクッションの上にうつ伏せで脱力する。

「特に厄日だったな、はぁ…」

 今日もかなり心身共に疲労困憊ひろうこんぱいな羊は、すぐに意識が遠くなっていき、そのまま寝てしまった。

 アラームで起き、時計を見たら出かける30分前だった。

 大急ぎでシャワーを浴びながらメイクを落として、ざっとドライヤーをしたら、再び顔面を作っていく。

「んぁもう!カラコン入らん!」

 寝起きの眼になかなか入ってくれないカラコンと格闘していたら、もう出かける時間になってしまったため、髪はお店でセットすることにした。

 出かけることしか頭になく慌てている羊は、昨日、玄関に投げ置いたバッグをそのまま持ってドアを開けようとした時、自分がバスタオルを巻いただけで服を着ていないことに気が付いた。

「んわぁーっ服!」

 洗濯済みの服山の中からワンピースを取って急いで替え、今度こそ出発する。

 アパートから店舗までは、徒歩で約30分はかかる。いつもは余裕を持って行ける距離だが、今日は違う。寝起き30分後に走るのは辛い。だが、遅刻したら今の何十倍も辛い目に合うのを想像した羊は、できる限り全速力でお店に向かう。

 アパートと店舗のだいたい中間場所にある横断歩道は待ち時間が長いことは把握済み。しかし、今日の神様はご機嫌が悪いのか、羊にさらに試練を与えた。滅茶苦茶急いでいる時に限って、運悪く信号が少し手前で点滅を始め、羊が横断歩道に着いたときは赤に変わってしまった。

「はぁ、はぁ、はぁっ…しんどっ、」

 半乾きだった髪はもうほとんど乾いていた。スマホで時間を確認すると、あと10分で着かなければアウトだ。

「はぁ、はぁ、マジか…早く、青っ、はぁ、」

 羊は、視界がゆらゆら揺れているのを感じたが、眼を瞑り息を整える。

 信号が青になったのを確認し、人とぶつからないように注意しながら急いで横断歩道を渡り、そのまま全速力で進む。この先にある二つめのコンビニの角を曲がって100メートルほど直進すればお店に着く。

「はぁ、はぁ、はぁ、」

 走っている羊に、突然異変が起きた。急に全身から力が抜けていき、もう走れてはいなかった。立っているはずの体がふわふわ浮いている感覚になり、景色がぐにゃぐにゃと歪み気持ち悪くて眼を瞑る。そして、息苦しさを感じ心臓が破裂しそうな感覚に襲われた。

「うぅ…」

 羊は声をあげることもでず、その場に倒れた。

(…誰か、)

 そして、羊は意識が遠くなっていった。

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