自分の仕事から逃げないもん

「だぁああああああ!」

 明け方の冷たい秋の風が涼気すずけふる工房にみつきの雄叫びが響き渡った。

「もうなんにもわかんなーい!」

 諸手を上げて床に転がるみつきを、彩雲あやくもはくすくすと笑って眺めていた。

 あれ以来、行恒ゆきつねが文を送っても晶姫あきひめから一切の返事は無く、相手の反応が無い為に行恒も次にどうするかを決められず、結果としてみつきも何も出来ないでいる日々が続いていた。

 やる事はないというのは、行恒の依頼が宙に浮いているだけで、工房全体として藩主の恒正つねまさの呪いを祓い快復を願う祈祷の支度は進められている。みつきも彩雲も日の半分はそちらの作業に手を動かしてはいる。

 けれど行恒と晶姫の間がどうなるのか気になって仕方ないみつきは、はっきり言って全く集中していなかった。

「うあうにゃあぁあんっ」

 みつきは知恵熱が出しそうになって床をのた打ち回り呻き声を捏ねている。

 そして不意にぱたりと動きを止めた。

 疲れて眠ってしまったのかなと彩雲が顔を覗くと、予想に反してみつきはぱっちりと目を開けていた。その瞳は何処を見ているのか知れず虚ろに光をえている。

 がばりとみつきが体を起こして、彩雲は頭をぶつけられそうになって大袈裟に身を引いた。

「もう分かんないから聞きにいこう!」

 みつきは勢い良くそう宣言して、ぐるりと彩雲に向き直る。

「行きましょう!」

 改めて、みつきは彩雲にやりたい事を告げた。

 こういう悪い所ばっかり親方に似るのは困るなぁと彩雲は遠い目をしていた。

「行くって何処に? 行恒様の所?」

「いいえ!」

 みつきはすっくと立ち上がり物分かりの悪い彩雲に詰め寄った。

「お相手のお姫様にどう思ってるのか聞きに行きましょう!」

「あーーーーーーーー」

 そっちかぁ、と彩雲は未声みこえを長く伸ばして発声の間で視線を彷徨わせて、みつきで終着させる。

「みつき」

 そして打って変わって清水のように冷えた声でみつきの耳がちゃんと自分の言葉を聞きいれるように促した。

 みつきはちょこんと正座をして真っ直ぐな眼差しを兄弟子に向けた。

「晶姫は近関藩このぜきはんの姫だよ」

 うぐ、とみつきは喉を詰まらせた。

 そこは先の厄災が蔓延った土地である。だからこそ、帛屋きぬや一門の誰もがその土地の名を決してみつきに告げなかったのだ。

 みつきは息を浅く繰り返し、額に脂汗を滲ませる。日差しも夏と違って熱を刺して来ないのに服がじっとりと汗を吸い始めた。

「みつきが無理しなくても、親方達もいるし、誰も何も出来なくても結局は結婚する事になるさ。それがまつりごとって奴で、人の意志なんか最後には無視して進むんだ」

 彩雲はみつきの肩に手を置いて優しく諭す。有耶無耶のままで終わってしまっても、それでいいのじゃないかと微笑む。

 こくり、とみつきは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

「でも」

 か細い声はきちんと聴いていないと外で鳴く小鳥の声に耳紛みみまぎれてしまいそうだった。

 みつきは、はく、と息を食み、飲み込んでから声に変えて響きを強めた。

「わたしは仕事を途中で放り出したくないし、出来る事はなんでもやりたいです! 親方は絶対! 自分の仕事から逃げないもん!」

 身を投げ出すように声を張り上げるみつきの言葉に、彩雲は全く以てその通りだと思わず頷いてしまった。

 この少女の憧れも、憬れに向かって懸命に身を重ねる健気さも、彩雲は好ましく思っているし、いつでも応援している。

 しかし今度ばかりはみつき自身の心労が深刻になるのが目に見えている為に、いつも味方でいる兄弟子も悩ましく頭を掻いて即決してあげられなかった。

 彩雲はみつきの目をもう一度見る。

 強く輝かしい目だ。この先に自分がどれだけ苦悩するかなんて今は考えていない、ただ我を徹したいという盲目な意志だけで前を向いている。

 彩雲は唸りながら歯軋りをする。

 みつきはじっと答えを待つ。

 駄目だと言えば、しょんぼりと引き下がるのは分かっている。だからこそ安易に拒否するにもいかなかった。

 彩雲がずっと悩んでいると、次第にみつきもしょんぼりと萎れていく。

「いやーーーーーー。っ」

 何時でも慇懃に振る舞う兄弟子が長く声を引き伸ばした後で舌打ちをした。

 機嫌を損ねたのかと思ってみつきが目を見開いて怯える。

 彩雲は震える妹弟子に対して苛ついた訳ではないと微笑みを作って、小さな頭に掌を置いた。

「ごめんごめん、違うよ、自分の不甲斐なさと馬鹿若様を呪いたくなっただけだから」

「それ、だけじゃないですよね!?」

 兄弟子が打ち首になり兼ねない罪を抱きかけていたと知ってみつきは絶叫した。自分のせいで彩雲が討たれるなんてとても許せない。

「ま、それはいいや。行こうか」

「え?」

 よっこいせと立ち上がる兄弟子の気軽さに付いていけなくて、みつきは一瞬呆けてしまった。

 そんな妹弟子に彩雲は掌を見せる。

「お姫様の所に行くよ。馬で駆ければ二刻で着くからがんばろうね」

 彩雲が願いを叶えてくれると知って、みつきは顔を輝かせた。

「はい!」

 差し出された手をぎゅっと握り、導かれるままに付いて行く。こんなに優しいからみつきはどうしてもこの兄弟子に甘えてしまうし、この兄弟子がいてくれるならいつだって恐ろしいものに立ち向かう勇気が出て来るのだ。

 みつきは彩雲が走らせる馬に相乗りし、広い丘に伸びる街道を進み、城の側に控える大きな屋敷の中へと足を踏み入れる。

 なんの不安もなく兄弟子の後をぴったりと付いて行き。

 そして連れて行かれた先にいた人物を見て、みつきはぴたりと動きを止めた。

「親方、どうも」

「ぁん?」

 彩雲に気軽に挨拶されて、彩光は不可解そうに応じた。その視界には彩雲の後ろに隠れるように引っ付いているみつきも入っている。

「彩雲さん、騙しましたね! 姫様に会わせてくれるって言ったのに!」

 みつきは子猫のように毛を逆立てて彩雲の背中に回って身を隠し、その着物をぐっと握り締める。

 彩光は興味無さそうに彩雲に隠れて見えないみつきの姿を目で追った。

「親方には内緒じゃなかったんですか!」

 彩光に怒られると思い込んでがたがた震えるみつきは、ぎゃんぎゃんと彩雲に噛み付いた。

 しかし彩雲はそんな子猫の喚くのを微笑ましく見下ろしている。

「いやいや、内緒にするなんて一言も言ってないよ。そもそも親方の依頼主に会うのに親方に報告しない訳には行かないでしょ」

「わたしがいないところで報告してくださいよー!」

 彩光は煩く喚く末弟子に困り果てて頭を掻いた。

 さっきからみつきの叫びは屋敷中に響き渡って庭を挟んだ向こうの廊下から女中に様子を伺われている。

「おい、小娘。他人様の屋敷でぴぃぴぃ喚くんじゃねぇ。声がそこら中に響いてやがんだろうが」

 彩光に上から睨め付けられて、みつきは両手で口を押えて、はぐと声を飲んだ。きょろきょろと辺りを伺うがもう遅い。

 彩雲はそんな少女の頭を撫でて少しでも落ち着かせる。

「で? 晶姫に会おうってのか」

 彩光はみつきに話しても埒が明かないと決めつけて彩雲に確認を取る。

「はい。みつきが何を考えてるか分からなくて何をすればいいのか分からないから、直接聞きに行こうと言うので」

「みつきが?」

 彩光は胡乱げに彩雲の服の裾を握り締めてこちらを睨んで来る少女を見た。

 彩雲が無理に連れて来るとは思えず、むしろ言い出しても一度は止めただろう。それでも此処にみつきがいると言うなら、なるほど、本人が言い出した以外に動機がない。

「ひぅっ」

 彩光が良く確かめようとみつきに向かって足を踏み出すと、みつきは短く鳴いてさっと彩雲に此方こなつまま身をずらし彩光の視線を少しでも避けようとした。

 そして身を隠した後に怖々と瞳を覗かせて彩光の動きを警戒している。

「おい」

 彩光の文句は、一応みつきにではなく彩雲に向けられた。

「日頃怒鳴りすぎなのが悪いんですよ」

 しかし一番弟子は親方の事なんかこれっぽっちも恐れてなくていけしゃあしゃあと言い返した。

 彩光は苦虫を噛み潰して、はん、と鼻を鳴らして二人に背を向けた。

織彩おりあやに言やぁ、姫様に繋いでくれんだろ。好きにしろ」

 結局、親方に怒られずに済んだみつきは、それはもう不安そうに彩光の背中と彩雲の顔に何度も首を往復させた。なんでどうしていいの、という疑問がありありと顔に出ている。

 そんな不器用な二人に彩雲は含み笑いをしつつ、言われた通りに織彩を探し出して取り次ぎを頼む。

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