女はお人形ではないというのに
雨上がりの未の刻に
籠持ちの二人に銭を渡して手を振り別れを告げているのは、彩光が呼びつけた女性で間違いない。
「悪ぃな、姐さん。こんなとこまで来てもらってよ」
「何言ってんの。そこらの女じゃこんな旅なんて気軽に出来ないんだもの、役得役得」
苦労を掛けたと詫びる彩光に、
直ぐ隣の藩でしかも今は立て直しも儘ならずにうち寂れた土地であっても、心底楽しそうに笑顔を見せる年上の女門下に、彩光はいつも助けられると息と一緒に気を緩めた。
「そりゃよかった。んじゃま、早速だが依頼主様にご挨拶してもらおうかね」
「はいはーい。仕事ばっかで女心のをの字も分からない可哀想な親方のために、お姐さん張り切っちゃうぞぉ」
「余計な口利いてんじゃねぇよ、お前ぇも仕事だけで女盛りに終ぞ男っ気がなかったろうが」
「へぇ、言ってくれるじゃない。別にあたしは男なんていらないから赤ちゃんさえ抱かせてくれれば満足なんだけどね? 早く可愛い赤子連れてきてくれないかしら。このままじゃあ十七代続いた一門が途絶えてしまうんじゃないかって、お姐さん心配で寝不足になっちゃうわぁ」
「ははっ」
「うふふっ」
お互いに腰に刀を佩いていたら手を掛けていそうな剣呑な空気が鬩ぎ合う。この場に工房の職人の誰かがいればそそくさと立ち去っただろう。
というか、籠持ちの二人は仕事の後の一服も慌てて踏み潰して逃げ去っていた。
「まぁ、でも、そもそもとして? 女の子の気持ちが分からないって泣きついてきた可愛い可愛い弟分が食ってかかってきたとしても? 確かに本気で相手するのはお姐さん大人げないね。それはもう可愛い、おねしょして泣いてるのを抱き締めて慰めたこともある弟分だものね」
「いつの時分の話してやがる!?」
先代当主に引き取られたばかりの彩光はまだ幼くて、年上の姉弟子にお世話してもらった話は幾らでもある。
そんな本人にとっては時効だ無効だと言いたくなる話題を出されて、彩光は顔を真っ赤にして吠える。
「その弟分がこんなにも唐変木な朴念仁になったのも、確かにお姐さんにも責任あるかもなぁ。元服前に熱っぽい眼差しを向けて来た時、先代の期待があるからってお相手してあげなかったのは良くなかったかもしれないねぇ。ちゃんと早めにオンナを教えて失敗も経験させてあげるべきだったかなぁ。ねぇ、どう思う、親方ぁ?」
「な、く、おま、それ」
元服間際の少年にとって
二十年ばかり前を疾うの昔と言うか、ついこの間と言うかは人によって別れるだろうが、どちらにしろ蓋を閉じてしっかり封印した黒歴史、裏を返せば仕舞っておいた苦い思い出を持ち出されて、彩光は呻くばかりで意味のある言葉が喉から出て来ない。
そして遂に彩光が押し黙れば、織彩は勝ち誇った笑みを浮かべて俯く相手を斜に見下した。
「さて、遊んでないでお姫様のところに案内してちょうだいな。籠に乗ってるだけでも遠出すると疲れるのよね」
織彩が
彩光も苦虫を噛み潰したような顔をして首に手を当てて凝りを
彩光が昨日も世話になった屋敷に戻り、女中の一人に
晶姫も直ぐに部屋にやってきて、恙無く織彩の紹介も済ませた。
「
そこから世間話が始まるのは、願ったり叶ったりだ。織彩に晶姫の
「いえいえ、
彩光は晶姫への返事を織彩に任せる。織彩も打ち合わせなくともその意を汲んで、彩光の背後から率先して言葉を晶姫へ渡している。
「そうなのですか」
晶姫は先代彩光も女と聞いて目を見開いた。女が男と同じように働くところなんていうのは、一国の姫には思いも寄らなかったに違いない。
精々が小間使いとして男の身の回りの世話をして同じ空間にいる、というのが晶姫にとっての常識の限界だろうか。
「そも、我が一門の祖は女であったと伝わっております。そうよね、親方」
「ああ、そうだな」
「なんと。詳しくお聞きしても?」
晶姫は興味津々と軽く身を乗り出すが、大して長くなる話でもない。
事実として、初代帛屋
しかしその話を聞いて晶姫は子供のように目を輝かせていた。
「素晴らしいお話です! 女性であっても国に仕え人に益する、なんと羨ましいのでしょう」
「羨ましい、ですか?」
晶姫の口から
虚を突かれて、晶姫は恥ずかしそうに口元を扇で隠し追及を避けようと試みる。
「藩の役に立ち、民に栄えを齎す。確かに女の身では家と血筋に身を費やすので精一杯、世のため人のために働くのは男ばかりに許されたものですからね」
しかし織彩の聡明さは果断無く晶姫の思想に踏み込んだ。
それでも貞淑な女性としての素養を身に付けた晶姫は扇で更に顔を隠し、黙する事で女が持つには不遜と罵られる考えを持っているのかどうかの真実を深く閉ざして隠す。
彩光も晶姫の態度、そしてその内にある志に目を細める。
女だてらに、等とは思わない。誰が持とうが立派な考えは立派であるのに変わりない。むしろその意気や良し、とまで思う。
それでも、彩光は晶姫の肩にやはり
「人はそれぞれですから。偶さか今の立場にいるだけですよ。お互いにね」
織彩は一先ず、和かな声で話題を差し止めた。
晶姫がちらりと扇を下げて織彩を覗き見る。
母が叱られた子供にそうするように、織彩はふわりと笑みを見せる。
「そもそも、姫にそこまでお覚悟がありながら、自分の求める人はそんなではないと跳ね退ける男の方が何様だという話です。女はお人形ではないというのに」
「そうですよね!」
続いて、はん、と鼻を鳴らして織彩が男の身勝手を非難すると、晶姫は我が意を得たりと前のめりになった勢いで畳に両手を付いた。
これは流石に見逃せないと、襖の前に控えた女中が咳払いして姫を窘める。
それで晶姫はいそいそと座の上で居住まいを正した。
「おい、織彩、お前どっちの味方してんだ」
「え? 何を仰いますか。わたくしは
織彩は涼しい顔で女性の味方に決まっていると言い退けるので、助けを求めて呼んだ彩光は頭を掻いた。
親方も一言で言い包めてしまう織彩の頼もしさに、晶姫は声を出して笑い出した。
彩光は憮然と姫のころころと笑う様を見る。織彩を呼んで良かったのか悪かったのか、どうにも分からない。
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