それは男の方の言い分です

 彩光あやみつ晶姫あきひめの覚悟の一端を見せつけられて、吸う息で歯の隙間を鳴らした。

「んじゃあ、お姫さんの気持ちってのは? どんな色に空を染めて欲しいんだ?」

 彩光の問い掛けに、晶姫は深く息を吸い込んだ。

 その張り詰めた表情に彩光は少しばかり嫌な予感がして背筋が冷えた。

「我が藩の方角の空を鴇色に染めて行恒ゆきつね様の元まで繋げて頂きたいのです」

「ぁん?」

 彩光は姫が口にした意図を誤りなく理解して低い声で唸った。

 鴇は彩空藩あやぞらはんが象徴とする鳥である。戦国の世では都へ攻め入ろうとした保野やすの家を土岐とき家が領地内で迎え討った際に一面の空を鴇が覆い尽くし、見事保野智高ともたかの首級を上げた。

 鴇色の空とは彩空藩そのものを表すものであり、彩光も毎年藩の祭りで鴇色に空を染める。

 晶姫が行恒に向けて空を鴇色に染めるというのは、身も心も、家までも土岐家と一つになる決意だと言えよう。口汚い言い方をすれば、邑上むらかみ家を捨てて土岐家に身を差し出す人身御供に甘んじる決意だ。

 彩光は不作法にも頭の後ろを掻いて難色を示す。

「おい、姫さんよ。別にどっちの親もそんな重てぇ考えじゃなかろうよ。災い転じて何とやらってんで、中々くっつかねぇ子供の背中を押してやろうってそういう腹だと俺ぁ思うがね」

 空を染めるにしたって幾らでも他の色があろうし、想いを伝えるにしたって幾らでも他の心情があろう。

 その中から態々それを選ぶのを彩光は承服しかねた。

「彩光様、それは男の方の言い分です」

 しかし晶姫は抜刀のように速く鋭く言葉を返した。

「地位ある家にとって、生まれてきた女は繁栄のための道具です。それは貴族とて武家とて変わりません。今や金を大きく動かす商家とてそうでしょう。今この時、我が藩は紛れもない窮地です。この時に邑上の女としてこの身を役立てるのは本望です」

 胸に手を添えて勇ましく宣言する姫の姿は都で東門に屹立する持国天の巨象よりもなお、威光を放っていた。

 その眩しさに彩光は目を細め、そのために姫の膝の上にいる小さな存在に目を止めた。

 その言霊は憮然とした顔付きをして横目で彩光を睨んでくる。

魔溢まこぼす、お前ぇよぉ」

 眉を顰める彩光が漏らした未言みこと彩緋あやあけの眉がぴくりと反応する。

 その態度に二人の気を損ねたと感じたのか、晶姫ははっと前のめりになった体をさっと引っ込めて乱れてもいない襟の袷を指で直す。

「失礼をいたしました。はしたない真似でした」

「ああ、いや。そうだな、否やともさ。誰とても、それこそ食うに困る乞食でも殿上の御簾向こうのお方でも、己の本心をはっきりと言えるのに越したこたぁねぇさ」

「親方。乞食と貴き方々を並べるのは不敬です」

 彩緋の揚げ足取りに、彩光ははんと鼻を鳴らした。

「仏説に曰く我観一切、普皆平等だ。人の本地において天も人も餓鬼も並べて真意じゃねぇってことがあろうかよ」

 彩光の説教に彩緋は唸りながらも反論の言を持たなかった。

 彩光が姫の膝上を盗み見れば、そこにはもう何も存在していない。

 押し黙る彩光を前にして晶姫は本当に機嫌を損ねてはいないのかと内心はらはらしている。

そのせいで部屋の空気が焦げ付いているのに気付き、彩光はおっとと肩を竦めた。

「相分かった。鴇満ときみつ空染玉そらぞめだまなら材料も工房に幾らでもある。一週間もあれば仕度は整うさ。だがまぁ、打ち上げる前に気が変わるやもしれねぇし、打ち上げてもまだ伝え切れてねぇと思うこともあろうさ。暫くこちらに滞在しようと思うんだが、許してくれるかね?」

「え、いえ、それはむしろ願うばかりですが、よろしいのですか?」

「おうよ。ついでにもう一つ仕事をしてぇが……こっちは藩主様に申し出るべきだな。ま、やりてぇ事もあるから気にすんな」

 仕事は引き受けた、話は終わりだとばかりに彩光は立ち上がり、彩緋を連れて庭に出て行く。

「彩光様、ありがとうございます!」

 姫ともあろう者が離れてゆく背中に届くようにと大きな声を上げる。

 それに彩光は振り返りもせず、肩越しにひらひらと手を振って見せるばかりだ。

「彩緋、調合から打ち上げまで道具一式工房から持ってきてくれ。若いの二人くらい荷運びで使っていい」

「こちらで仕事を全て執り行うのですか?」

 この近関藩の城下から工房まで馬を使えば二刻で着く。往復でも半日あれば足りる距離だ。

 それでいて工房で作業をすれば弟子の手も存分に使える。

 それを差し置いて道具を持ち込むのかと彩緋は確認を取った。

「おうよ。どっちにしろ打ち上げはこっちだ。未言の仕込みもそこらで見繕わにゃならん。それと荷物運びとは別に織彩おりあやの姐さんもこっちに寄越してくれ」

 彩光はあの姫様が一人魔溢して嫁に行くのがどうにも気に食わなかった。

 どんなに縁談が良い条件ばかりであっても、今の晶姫には僅かばかりの苦悩が染み付いている。それは正しく白絹に跳ねた染みだ。容易には消えず、人目には隠せても気付いている自分はどうしても気になってしまう。気にすればする程、小さな染みなのに目を反らせなくなり何時までも苦悩する。

 折角真っ白に幸福ばかりの婚儀が成りそうなのに、態々そんな染みを付けて行くのは馬鹿らしい。

 かと言って彩光にはどうにも女心を変える自信は無い。だから彩緋と同じく先代から工房にいてくれている姐さん職人に頼ることにした。

「では、織彩には籠を使って明日中には着くように手配しましょう。荷は二日三日の間を見てください」

 彩光の意を汲み取って彩緋はてきぱきと算段を付けた。

「頼む。いつもありがとさんよ」

「いいえ。先代から預かった大事な親方様のお願いであれば、爺は励みますとも」

「だーれが爺だ、馬駆けるのに俺よか生き生きしてたろうが」

 彩光の軽口と共に背中に拳を受けて、彩緋は夕忍ゆうしのび始めた光寂しい午後の景色へと歩んで行った。

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