第5話 兄と妹

 伝統に則り、決闘が行われることになった。

 俺は自室に戻ると、そこで決闘の発案者である妹に苦情を申し立てる。


「エレン、おまえはどうしてそんなに俺を困らせるんだ」


「リヒト兄上様と一緒にいたいからです」


 彼女はそう言うと俺の胸に飛び込む。

 花のような香りが俺の鼻腔をくすぐる。

 彼女の黒髪を撫でながら、彼女の肩に両手をやり、距離を取る。


「こら、はしたないぞ」


「はしたなくなどありません。兄妹同士の触れあいです」


「おまえのハグは艶めかしいんだよ」


「ずっと昔のエスターク家では近親相姦が盛んに行われていたそうです」


「ずっと昔は、だろう。今は家訓で禁止されているはずだ」


 家訓集をそらんじる。


「エスターク家家訓集、第四五条 修正七項 聖歴六九九年著述 二等親間の婚姻を固く禁ずる」


「まあ、そんな家訓があったなんて知りませんでしたわ」


 わざとらしく白を切る姿は可愛らしいが、悪い娘なので頭に指弾(デコピン)を加える。


「痛いです。リヒト兄上様」


「お仕置きだ」


「抱きついただけで酷いです。もしも本当にお仕置きをするならば、淫らなお仕置きがいいです。官能小説のような」


 さあ、私を淫らに、激しく折檻してください、と俺のベッドに大の字になるエレンにさらにお仕置き。今度は頭をげんこつでぐりぐり。


「い、痛いですわ、リヒト兄上様。か、堪忍してください」


 涙目になる妹、可哀想なのでお仕置きはここまでにするが、一言、注意はする。


「もう過ぎたことだから言わないが、〝家訓〟をねつ造までして俺に決闘をやらせるのは感心しないな」


 ギクッ! という擬音が漏れ出そうなくらいエレンは表情を固まらせる。


「――なんのことでしょうか?」


「そのままの意味だよ。たしかにエスタークの家訓に決闘追放の条項はあるが、あれは落とし子には適用されない」


「…………」


「よくもまああの場であんなに堂々と嘘をつけるな。すごい肝っ玉だ」


「――リヒト兄上様を守るためですわ」


「気持ちは嬉しいけど、妹に嘘をつかせたくない」


 そう言うと俺はエレンを抱きしめる。家族のハグだ。兄と妹のハグ。


「……ずるいです。こんなときに優しくするなんて」


「こうすればもう変なことはしないだろう」


「……はい。――ところでどうして私が嘘をついているのが分かったんですか?」


「エレンは嘘をつくとき、鼻をヒクヒクとさせる」


 自分の鼻を慌てて押さえるエレン。顔を真っ赤にさせるが、賢い彼女はすぐにそれが嘘だと悟る。


「もう、リヒト兄上様!」と頬を膨らませるので、種明かし。


「鼻は冗談だよ。俺はエスターク家の家訓をすべて覚えているんだよ」


「まさか!?」


 と驚愕する妹。


「リヒト兄上様の記憶力が天才的ということは知っていますが、このぶあつい古文書を全部覚えているというのですか?」


「ああ」


「信じられません」


「ならば諳んじてみせよう。エスターク家家訓集、第八条 修正七項 聖歴七一一年著述。 エスターク家のものは借りを返す。繰り返す、エスターク家のものは絶対に借りを返す」


「…………」


 沈黙する妹。一言一句違っていないのでエレンはぐうの音も出ないようだ。


「……さすがリヒト兄上様です。その記憶力、三国一。その推察力もです」


「どうも」


「ならば私の意図も分かるでしょう。私はマークス兄上様に喧嘩を売り、決闘で追放の有無を決めさせたいんです」


「さすがにそれは分かる。なぜ、エレンがそうしたいのかも」


「リヒト兄上様とずっと一緒にいたいからです」


「気持ちは嬉しい」


「しかし、それには問題が。決闘に勝たねばなりません」


「それは難しいな。なにせ俺は無能な落とし子だから」


「嘘です。リヒト兄上様は無能ではありません。マークス兄上様など片手で倒せます」


「過大評価だ」


「過大評価なものですか。私は知っているのですよ。リヒト兄上様が神剣を抜けることも」


「…………」


「問題なのはリヒト兄上様が勝つ気でいるか、それだけです。兄上様はわざと負けて追放を選びそうな気がします」


「…………」


 そう寂しげに漏らす妹のエレン。


 完璧な上に正しい指摘だったので沈黙によって答えるしかない。


 俺は再び、妹を家族として抱きしめると、時計台の鐘の音が鳴るのを待った。正午の鐘が鳴る。午後一時には決闘が始まるから、準備をしないといけないだろう。


 エレンはそれ以上なにも言わず、決闘支度を手伝ってくれた。

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