ホラー短篇2022

桃山ほんま

「お便りの悪意」

『――地元の村で語り継がれている呪文を紹介します。「願いが叶う呪文」です。その呪文を使うのは日照りや災害で作物が育たない時です。村の人間は子供の頃から教えられるのですが、村長の許し無しで絶対に使うなと教育されます。勿論、子供はそんな言いつけを嫌いますから呪文を使おうとする子も出てきます。私もそうでした。しかし、呪文を使った人間が早死にしたり姿を消したりすると、流石の子供もただならぬ事だと気付いて怖気づくものです。私もそうでした。


 ――呪文の使い方を教えます。ラジオを用意して、それに向かって「ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここのとう」と数えてから、叶えたい願いを口にして、最後に「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」と唱える。

 私は呪文を使い、願いを叶えました。


 ――皆さんにも同じ想いをしていただきたくて、紹介させていただきます。』


         (FM深夜ラジオ《大河原のラジオBAR》に届いたメールより)




 真夜中、急いで車を走らせるボクは深夜ラジオで読み上げられたお便りの一部始終をカーラジオで聞いていた。


 なんてタイミングだと、ボクは思わず生唾を飲み込む。

 望みを叶えてくれる呪文。それが急に、向こうから窮地に立つ自分の手に飛び込んできた。渡りに船。いや、祝福、幸福招来だ。

 

「神の思し召しじゃないか!」


 沈んでいた気分も幾分晴れてボクは車を飛ばし、人の気配がない山に入った。

 一般的な道から外れて、崖が近くにある場所で停車した。車のエンジンを付けたままにして後部座席を見やる。


 そこには、ボクがはねてしまった女が横たわっている。

 やせ細った手足、傷だらけの裸足、手入れのされていない長い黒髪。汚れ切った部屋着。明らかにまともな女じゃない。ずっと外に出ていなかっただろう女だ。

 

 ボクは、この女を山に埋める。

 

「お互い最悪の日だよな。あんたが急に車の前に現れたから」


「元々靴も履いてないし、身なりも外出するような物じゃない。自殺しようと車を待っていやがったんだ。偶然、ボクの車がこの女が死のうってタイミングで通りがかっちまった。自殺志願者をはねちまったボクはお先真っ暗だ、警察に連絡なんてしたらボクは殺人者だ」


「わかってるか!? ホント全部、あんたのせいなんだよ!?」


「このままあんたを埋めてやりたいよ、微生物に食われて醜く腐っていけばいい。けど、そしたらボクはこれから先の人生、いつかあんたが掘り起こされてボクの人生が本当に終わってしまうんじゃないかって。その時に感じている幸福がいとも簡単に崩れ去るんじゃないかって、いつもビクビクしながら生きることになる」


 だから、埋めるつもり。だった。


「……恐怖に支配された人生は御免なんだ。だから、あんたは嫌がるかもだけど、ボクのために生き返ってもらうよ」


 女をじっと見る。肌も血の気を失って白くなり、座席から手が力なく垂れている。


 コレ・・を生き返らせる。

 願いを叶える呪文があれば、それもできる筈だ。

 自分じゃどうしようもない不幸を前にして、ボクは幸運と奇跡を手にしたのだ。

そのことに期待の熱が背中を駆けあがる。


「ボクは救われる……!」


 姿勢を直してから、呪文をカーラジオに向かって唱える。




 まず数を数える。


「ひい、ふう、みい、よ、いつ、むう、なな、や、ここのとう」


 次に、願いを口にする。


「どうか、後部座席の女を生き返らせてください」


 最後に。


「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」


 と、唱えた。


 カーラジオから反応はない。

 ミラーで後部座席の女を見てみるも生き返る感じはしない。

 それでも、待ち続けていると、


――ジ……ジジ……


 と、ラジオから音がした。唾を飲み込んで喉が鳴る。

 ラジオの音はどんどん大きくなって、チャンネルをいじる時みたいなバリバリいう音が耳をつんざく。

 やがてして音が収まり、カーラジから火が弾ける音が届く。

 火の音に混じり、厳格で重々しい声がラジオから響く。


『――次の判決を保留とし、〈招き言おきごと〉を解決する。願い事は女の蘇生』


 ラジオの向こう側に、確かに神様・・が居る。

 それを理解したと同時に、ボクは自分の身体に起きた異変に気付く。


 金縛りを受けている。指一つ動かせず、声も出ない。身体が石になったみたいな不快感の中、この声を聞いている事しかできない。


(ちょっと待て。こんなの聞いてないぞ、ラジオのメールじゃ説明されてなかった。何か……視線を感じる)


 視線の気配はボクの真横から感じる。何かがボクを見ている。

 視線の正体を探ろうにも、眼だけでなく瞼も閉じる事が出来ないボクにどうすることもできない。


『では、〈招き言おきごと〉を使った者の生涯を倶生神ぐしょうじんの報告から査定する。査定の結果、その者が善き者であれば担当の神へ願い事の受理を申請する。


 まず、〈招き言おきごと〉の代価を徴収する。人間の命に係わる願い事であれば、内容に依らず寿命の半分を代価とするが決まり。報告書によれば、その者の寿命は残り七〇年、齢一〇二で天寿を迎える。よって、代価として三五年の寿命を徴収する』


「う!? うあぁ……」


 ラジオの声がそう告げると同時に、木槌を打つ音が響いて、ボクは唐突に強烈な虚脱感に苛まれた。と、同時に身体を縛る感覚がなくなり、突然の異変にハンドルに項垂れかかってしまった。


 何とか頭をもたげて上を見ると、ミラーに映った自分にまとわりつく何かを見た。

 そいつは甚平みたいな服を着た角を生やした男で、ミラーに映っているのに現実では何も居ない。だが、ずっとボクの方を見ている。


(こいつだ、こいつがずっとボクを見ていた……!)


 今に男はボクから白いモヤを掴みだし、鎌でそれを刈り取った。白いモヤが刈り取られた瞬間、またごっそりと強い喪失感を感じて、体力が一気になくなった気がした。


(何だコレ何だコレ。何を奪われた、ボクの身体に何が起こった!? ラジオの声は寿命を徴収って……まさか寿命を奪われた!? 呪文の代償なんて聞いてない! まずいまずい。この呪文はまずい。ボクは触れちゃいけないものに触れている。相手は本物だ……!?)

 


「ま、待って……」


 今すぐに呪文を止めないと。


「もう、もう止める! 呪文を取り消す! だから、寿命を返して……!」


『確かに徴収した。次に査定である。倶生神ぐしょうじんの記録を此処に』


「お願い……しま、す……!」


 ボクは必死に何度も取り消しを懇願する。

 しかし、カーラジの声は一方的に――ラジオなのだから当たり前だと気付けないほど一生懸命だった――査定と称してボクのこれまでの人生を一つ一つ読み上げて、大小の区別なく罪を列挙していく。

 アリを踏み殺した殺生や小さな嘘、そして女を轢いた事件まで。

 

「お願い、お願いします! 寿命を返してぇ……」


 何度も、何度も。

 カーラジから響く声の主に縋り付く。


 けれど、声は厳しく淡々と、


『――査定を終える。汝、罪人である』


 と、明瞭に告げた。


 そして、


『己で轢いた女への許しでなく、蘇生を神に願うなど言語道断。ましてや、神を罪の共犯にしようなど傲慢にも程がある。償いの心など皆無であり、神を侮る不遜は罪である』


『〈招き言おきごと〉は善き者の願いを聞き届ける。が、罪人であれば死を待たずして地獄へ堕とし、その罪の清算を以て願いを聞き届けるが決まり。罪人の〈招き言おきごと〉であるがゆえ、此度の件は男を地獄堕ちの上で女を蘇生が相応しい』


『判決を言い渡す。喜ぶがいい、この判決を以て神が人間の願いを聞き届けよう』


「そ、そんな!? それじゃ願いが叶っても意味がない、ボクの人生が――」


「い、嫌だ! 地獄になんか行きたくない! ボクは何も悪くない、この女が勝手に!?」


『女は既に蘇っている故に、自死の罪は不問とする』


 不服を申し立てようと顔を上げたボクは、ミラーに映る角の男がボクを嘲笑っているのを見た。

 角の男が腕を後部座席に伸ばす。その手には白いモヤが握られていて、白いモヤは後部座席で横たわる女の身体にスルスルと吸い込まれていった。


「――う、うぅん……」後部座席の女が息を吹き返す。


 角の男が蘇った女を掴むと車の外に放り出した。

 そして、ミラーの中で男がボクの方を蔑みの目で見下しながら、にやけた笑みを浮かべた。


 カーラジから声が届く。


『罪人よ、視ているぞ。鏡でお前の歪んだ顔を。己が罪、悔いて堕ちてくるがいい。――待っているぞ』


「い、嫌だァァァァ!!」


 突如、何かの力でアクセルが一気に踏み込まれて車は急発進し、木に何度も衝突しながら加速しつづけて――遂には、山の崖から落下した。

 爆発音が山に響き渡り、その音で女が目を覚ました。


「ここは……?」


               ――――


 その翌日のニュースで、特定のエリアで一夜にして不審な死亡事故が連続したと報道された。そのエリアは《大河原のラジオBAR》が放送されていた地域と合致する。


 とある声が愚痴ぐちる。


「昨夜だけで何件も招き言おきごとが使用されるとは実に何百年ぶりだろうか。今頃、八百万の神々は大忙しだろうな。こちらも急遽堕ちてくる罪人が多くて、てんてこ舞いだがな」

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