第5話 一人で何やっていたんですか?

 時は流れ、冬になった。

 タツヤは俺の指導で少しずつ筋肉を取り戻し、病室まで歩いて帰れるようになった。

 そして今、その甲斐あってか布団の中で寒さにガクガク震えるタツヤに、いや俺に、朗報が舞い込んできた。

 なんと、春までに退院できるというのだ。


 やったー!!やっと暇から解放される!今日の予定は医師と面談するだけ!


『タツヤ!今日は雪降るんだろ!?遊ぼうぜ、うまく丸めるコツ教えてやるよ』

「ロンの故郷だとどうだったか知らないけど、ここだと数センチ積もればいいほうだよ」


 タツヤは興味なしといった具合で開いていたマンガのページをめくる。

 そうそう、マンガとは素晴らしいものだ。言葉が分からなくても、いや多少は分かるが、出てくる人物の表情で大体何を言っているか、どんな感情かを精巧に表している。非常に興味深いし、現実離れした動きもまた面白い。

 うん?マンガ、かあ。


『なあタツヤ、じゃあマンガの技の真似しようぜ。多分再現できるやつがある』


 タツヤはそれをパタンと閉じると、

「へえ、どんなの?」

 どうやら興味を持ったようだ。


『以前、読んでいたやつの修行シーンで木から落ちる葉っぱを取るみたいな描写あったろ。あれの雪バージョンだ。綺麗だしできたらかっこいいぞ』

「ちょっと面白そうなのやめろよな。でも、まあ」

 タツヤはニィっと口を歪めて、

「やるかぁ?」


 そんなわけで中庭にきた。白銀の世界が目を刺激する。なんだ、意外と積もっているじゃないか。

 まあいい。ターゲットは並木だ。

『まずは雪の落とし方なんだが..』

「オラアァ!」

 人の話を聞く前にタツヤは木を蹴飛ばした。その反動でよろめきながらも、降ってくる幾つかの雪を捕まえる。


「どうよ」

『甘いな。もう少し軸となる左足に力を込めて踏ん張るんだ。そしてつま先を浮かせて半回転、そのまま右の足裏で蹴りを入れるんだ。あ、蹴りを入れる瞬間はちゃんとつま先も地面につけろよ』

「謎に本格的だな。まあやってみる」


 その瞬間、タツヤの才能を垣間見た気がした。こいつの中に確かに存在する俺の心が張り詰めるほどに。

 タツヤが踏ん張ると当たりの雪は一斉に逃げ出すように宙を舞う。その雪を仕留めるかのように切り裂きながら足は加速していく。

 あれだけ軟弱で、すぐに音を上げていたのが信じられない。


 タツヤが蹴った木は比較的細いものだった。それでも11のガキが蹴っても動かないのは確かだ。なのにその木は、ドンっと鈍い音を立てて小刻みに震えた。まるでタツヤに怯えているかのように。


「フォウアチャア!アイス回転蹴りぃ!」

 掛け声がダサい。やっぱりこういうところはまだガキだ。


 さあ、ここからはキャッチだ。お前はどこまで見せて..ん?

 思考が追いつかなかった。瞬きの間にタツヤを覆うようにして影が形成されたのだ。

「あ、やばい」

 タツヤも数秒遅れて反応する。木の上に詰まっていたであろう雪たちが一斉に降り掛かってきたのだ。


 視界は白い闇に包まれた。

「お、重い」

『うーん、ナイスキャッチ』

「潰されてるんだよ、何がキャッチだ。おえ、口に雪が入った」


「だ、大丈夫ですか?」

 白いような、黒いような視界の向こうに影が覗いているのが微かに確認できた。

「ちょっと、引っ張って」

「はい!」


 ようやく頭を出せた。これは、なんというか地球を体とした雪だるまみたいだな。


 タツヤはその子を見上げる。

 腰まで伸びた黒髪と、どこか遠くを見つめるような優しい黒い瞳。暖かそうな黒のタートルネックのセーターにデニムジャケットを羽織っていて、どこかボーイッシュな印象を受ける。


「あ、ありがとう..」

 タツヤはその子の姿を確認するなり顔を伏せた。ほほう、さてはこいつ。


「一人で何やっていたんですか?木を蹴ったりして」

「べ、別になんだっていいだろ」

「ふふ、不思議な人ですね」


 しかしなんだこの小悪魔な感じは。その上見た目らしからぬ淑やかさがある。なかなか読みづらいやつだな。

 ここはひとつ、人生の大先輩からアドバイスでもしておくか。

『おいタツヤ、明日から会う約束したほうがいいぞ』


「うるさ..いや。お前、名前は?」

「美琴です。よろしくねっ」

「う、うん。俺は達也、よろしく。..その、ああえと、なんでここにいるの?」

「うーんと..私、体弱くて..それで」

「そっか..俺はもうすぐ退院するんだ。だからさ!あの」


 頑張れ少年。その意気だ。


「明日とか、空いてる..?その、友達いなくてさ..はは」

 よく言った!後で褒めてやろう。

「ええ、大丈夫ですよ!このくらいの時間でいいですか?」

「お、おう!じゃあまたな!」


 タツヤは逃げるように顔を伏せたまま歩き出した。

『やるじゃねえか、タツヤ』

「うるっさい」

『今度、走る練習もしような。教えてやるよ』


 タツヤの口の中に残っていた冷たい雪の感触は、すっかり溶けていた。

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