第27話『精霊の森(後編)』

 マシュー・レインは小屋のような住居を見て最初はその狭さに驚いたが、中へ入ってみると豊かなハーブの香りや、手の込んだ調度品の数々に出迎えられ、恋人がよい環境で育ってきたことを感じ取った。

 普段の食卓でレイン家当主を示す夜空色のアフタヌーンドレスに身を包んだ母イザベルと、古い型の藍色と真珠色のアフタヌーンドレスをまとった恋人の母シャルルが対面し、一同はやや緊張する。

 同じく次期当主の夜空色の一枚着に身を包んだマシューは、向かい合った恋人サシャの顔を見て微笑んだ。

 熊のようなずんぐりした恋人の父ディオンが妻の背後で騎士のようにたたずんでいるところを見るに、彼は家長ではないらしい。

(女主人の家か)

 最初に口を開いたのは無論、アッシュ伯爵イザベル・レインだった。

「突然のお話で困惑なさったと思いますが、経緯をこちらにしたためましたのでご確認なさってください」

 イザベルは息子のマシューとサシャが月神と太陽神の生まれ変わりであることを言外げんがいに匂わせつつ、一連の出来事を時系列順にまとめた書類を差し出した。

 書類に目を通したシャルルは深く長い息をつき、背後に立つ夫ディオンを見上げた。

「うちの事情も話すべきね」

主人あるじの思うままに」

 二人の発言にまず娘のサシャが驚いた。


 ディオンは一度工房へ戻り、古い巻物を持って戻ってきた。食卓の上に広げられた紙には家系図が描かれていたが、それは装飾性の多いもので、かつ男性の名はなかった。

太陽神を祖とする女たちの系譜。太陽騎士団のみが保管している古い古い伝承。

「な、なにこれ……」

「我が妻シャルルはベルフェス家傍系ぼうけいのお方です」

 サシャはこの巻物に自分の名が記されていることに驚く。目で追うと母シャルルの顔の上に祖母マリルーがベルフェス姓で書かれていることに驚き、さらにその上にいる曽祖母の名に目をく。

「ソル・ベルフェス……」

その女性は太陽神と同じ名を持ち、似顔絵はサシャに瓜二つだった。

「ソル・ベルフェス様は我らが主人、太陽神さまの生まれ変わりです」

「私のひいお婆ちゃんが私……」

サシャは思わず頭を抱えてしまった。

「やっぱり生まれ変わるにしてはかなり短期間だよね、俺たち?」

「えらいこっちゃになってる……! て言うかこれを持ってるお父さんは何!?」

「ディオンは私の騎士なの。子供の頃はそうとは知らなかったけどね」

 シャルルとディオンは幼馴染おさななじみだった。バレット家は爵位はないものの中流階級のブルジョワで、貴族の一端であるマリルーを迎え貴族界へ食い込もうとしていた。

 その皺寄しわよせを食らったのはシャルル。マリルーが貴族であったために本格的な教育をされたものの、シャルルは貴族の男にびる気など毛頭なかった。

「高等部までにわざと成績を落として繰り上がりの一貫校から普通の学校へ転校。寮生活のついで、卒業までに一人暮らし先と就職先を探して実家とおさらばよ」

「お母さんが波乱の人生送ってる……」

膝折礼カーテシーもピアノのレッスンも私にとっては価値のないことだった。ディオンとも別れたらそれきりのつもりだった。でもこの人、内緒にしてたはずの私の引っ越し先にある日ひょいっと現れたのよ」

「当時は、主人あるじをただ純粋に心配しておりました」

シャルルはふっと笑って、肩に乗せられた大きな手を優しく撫でる。

「この人、元は太陽騎士団なの。ま、暴露されたのは昨日なんだけど。何となくは察してたわ」

「えええ……」

 シャルルはさらに、母マリルーはバレット家にとっては後妻で、子供は自分という娘一人しかいないことを付け加える。

マリルーははにはお二人のお姉さまがいらっしゃったそうだけど、長女のソル二世様にはお子様がいらっしゃらなくて、次女さまには息子様しかいらっしゃらないから、女系の子孫はサシャだけです。うちの事情はざっとこんな感じ」

 サシャは驚きの連続で言葉を失い、マシューは恋人の手にそっと手を重ねた。

「やっぱり親戚は親戚だったね、サシャさん」

「うちのお父さんとお母さん何者……!?」

「いま喋ったでしょ」

 事情を聞いたアッシュ伯爵イザベルは巻物を手の平で示す。

「この情報は他家、特にベルフェス家へ周知してもよい内容ですか?」

「いいえ、他言無用でお願いいたします」

元太陽騎士団ディオンが頭を下げるとイザベルはわかった、と肩をすくめた。

「ではベルフェス家やスロース家からの相続は放棄ほうきする形ですね」

「ええ、最初からそのつもりです。だからうちの娘には大した遺産はないし、嫁入り道具だってろくな物はない。そんな家ですが、いいのでしょうか?」

 シャルルは特にマシューへ視線を投げかける。

「構いません。なんなら、俺がこちらへ婿むこ入りしてもいいです」

「ま、マシューそれはさすがに……!」

「うちも女系だから、本来は絶えてるんだよ。俺がたまたま月属性だから保ってるだけ」

「それに関しては、すでに息子と話し合っています。家を出ても構わないし、どなたか月の家系の女性を妻として迎え入れても構わないと」

 サシャは驚いて恋人の顔を見た。

「うん、サシャさんに出会わなかったら月の姫と結婚するはずだった。まぁ、アガサ様かアリス様のどちらかだね」

「三人って婚約者候補だったの!?」

「貴族の幼馴染おさななじみって大体そんな感じだよ」

「お、オルフェオとジョゼットさんも……!?」

「そう、爵位は違うけど家格がふさわしいのはベルフェス家、フローラ家、ティアラ家かうちくらいだからね」

「わぁお……」

改めてとんでもないメンバーと付き合ってしまった、とサシャは顔を青くした。

 対してマシューは嬉しそうに恋人の手を握る。

「ね、みんなにも温かく迎え入れられてるし、うちへお嫁に来る分には何も問題ないよ」

「そ、そうだね。て言うかお家の事情を考えると私がレイン家へ入ったほうが絶対いいよね……!」

「サシャさんとの結婚が待ち遠しいよ」

 若い二人が仲良く、お互いを信頼しているのを見た親たちは大丈夫そう、と静かに頷き合った。




 田舎すぎて何もない場所へアッシュ伯爵親子を置いておく訳にはいかない、とバレット家は思ったのだが、マシューが周辺の探索をしたいと好奇心を見せたためサシャは仕方なく普段着へ着替えて隣町へ足を伸ばした。マシューも普通のシャツを持ってきてよかった、と笑顔でサシャと手を繋ぐ。

「ほんとーに何もないよ? しかも、ここ二ヶ月で急に二つ隣のリュカントロポス駅にテーマパーク出来ちゃって、より閑散かんさんとしてるし」

 少女と少年の後ろからは二羽のカラスと白フクロウの騎士が歩いてついて来る。

「二ヶ月で急にってところが不思議だね?」

 マシューが視線を投げかけるとアミーカとフラターはうなずく。

「大型商業施設を短期間で仕上げてるなら、貴族が魔法使いを大勢やとって建てたんだろう」

「まあそうなるだろうね。魔法なしにそんな短期間の建築は無理だよ。でも、そこまでする旨みのある土地なのかな?」

「いやぁないと思うんだけど……」

 カラスの代わりにサシャが答え、マシューは視線を恋人へと戻す。

「リュカントロポスってコンテナハウスが多くて。て言うか資材置き場みたいな場所なんだよね、昔から。この辺は畑ばっかりだけどあっちは資材とゴミ置き場って言うか……」

「なるほどね。そんなところに大型テーマパークを突然? 土地の印象を払拭ふっしょくしたかったのかな?」

「そうじゃない? 分かんないけど」


 サシャとマシューは畦道あぜみちをある程度進んだあと、使い魔たちと呼吸を揃えて隣町まで飛んだ。

 だだっ広い駐車場に降り立ったサシャは、通い慣れたショッピングモールを両腕でわざとらしく強調する。

「買い物も遊ぶのもぜーんぶココ! さびれたショップモールでーす!」

「自分でそれ言っちゃうの」

マシューはくすくすと笑い、ジェミニを影へしまおうと片手を上げた。

「あ、そのままでいいよ」

「ん?」

「だって人いなさすぎだし。誰も気にしないよ」

「そう? ならいいか」


 アミーカもフラターもジェミニも気楽なシャツ姿になり、サシャはクレープ屋のエリーヌの元へ顔を出した。

「よっ、昨日ぶりー」

「うわ、何そのイケメンたち!? ずるーい!」

「ふっふっふ、うらやましかろう。なんてね。マシュー、クレープ屋さん初めてじゃない?」

「こう言う場所のは初めてかなぁ。こんにちは」

 少年が明け方の月のごとく微笑むと、エリーヌはでられたエビのように赤くなる。

「は、初めまして……」

「中等部まで一緒だったの。幼馴染おさななじみのエリーヌ」

「マシューです。サシャさんにはお世話になっております」

「ど、どうもこちらこそ……!」

 マシューはサシャお勧めのイチゴ生クリームを頼み、サシャは一番安いカスタードクリームを頼む。

「サシャさん、俺には生クリーム勧めておいて自分はカスタードなの?」

「そっちは旬で美味しいから。こっちは一番安くてお腹ふくれるから」

「そう言うこと」


 注文のクレープを待つ間、マシューたちはそばの丸テーブルを五人で占領する。フラターが目ざとくリュカントロポスに出来た大型遊園地と商業施設のパンフレットを持ってきたため、少年たちは一枚の紙をのぞき込んだ。

 リュカントロポスのテーマパークは大人から子供まで楽しめるように遊園地、カジノ、ビヤホールから豪華なレストランまで揃っているらしい。

「抜かりはない、って感じだな」

「でも、この周りコンテナだらけだよ? 殺風景な中にどかーんと建ってるんだろうなぁ」

「景観としては全く上手くいってないよね」

「お待たせしましたー」

「お、ありがとうー」

 エリーヌは例のパンフレットをのぞいているサシャたちの上から自分も加わる。

「何よ、気になるの?」

「まあ一回くらいは行きたいなって」

「親父さんが駄目だって言ってたろうが」

「うーん、でも好奇心がうずうず」

「あたしも気になるには気になるのよね。でもさー、そこそこ遠いし?」

「それねー」

 サシャとエリーヌはパンフレットから顔を上げると見つめ合う。

「でもほんと、なんでここ? って感じしない?」

「それよね。コンテナしかないところよ?」

「海辺のコンテナタウンと違って釣り場もないし楽しいところじゃないよね」

「そうそう、まさしく資材置き場だもの。あとゴミ」

「ゴミくさいのは直したのかなー……」

「直ってないに一票」

 エリーヌは片手を上げると厨房へと戻っていく。

 マシューはクレープを頬張り、イチゴの豊かな甘酸っぱさに舌鼓したつづみを打つ。

「本当だ、美味しい」

「この時期ならご近所の牛乳と畑で作ったものになるから。イチゴは特に朝採れたてで美味しいの」

「なるほどね。時期が違うと地元産じゃなくなるの?」

「うん、美味しくない」

「そっかー」

 マシューはイチゴで生クリームをすくうと、ジェミニの前へ差し出す。ジェミニは主人がサシャの真似事をしたため珍しい、と目を丸くしつつ口を開けた。

「どう?」

「美味しゅうございます。あ、このイチゴ好き……」




 マシューは親たちが話し合いを終えた頃合いに母イザベルの元へ戻ると、すぐに馬車へと乗り込んだ。恋人との一時的な別れを惜しみつつ、少年は精霊の森をあとにした。

「母上、あの後なにかわかりましたか?」

「ええ。あの土地は古くから精霊が多く、実り豊かな場所だそうよ。シャルルさんが逃げ込む場所としてディオンさんが情報提供したのだとか」

「やっぱり。シャルル様も神の花嫁ですものね。花嫁を隠すには丁度いい土地柄だったのでしょう」

「人間より精霊に守らせるほうが安全だったようね。サシャさんも同じ理由で、これまで上手く人に知られずにいたみたい」

「納得しかないですね」

 マシューは微笑みながら、通り過ぎた景色の向こうにいる恋人の顔を思い浮かべた。


 恋人を追うように学校へ戻る支度を整えたサシャは、両親とハグをして別れを惜しむ。

「何かあったらすぐ連絡しなさい。貴族問題はめんどくさいんだから」

「大丈夫だよ、友達もいるし!」

「……そうだ、サシャへ渡す物があった」

「ん?」

 ディオンは工房へ戻り、木製のものを持って戻って来る。

「何これ、ドアノブ?」

馬の首を模した取っ手だけを手渡され、サシャは首をかしげた。

「魔導具だ。一日三回まで使える。行きたい場所を思い浮かべて壁にり付けると魔法の扉が開く」

「え、何それ便利! 何でもっと早くくれなかったの?」

「原理が瞬間移動テレポートと一緒だからだ。今のお前なら使える」

「そっか! ありがとうお父さん!」

 サシャはディオンから、馬のドアノブは目的地が遠すぎると魔法が上手く発動しないと説明され、首都駅の改札出口を思い浮かべる。

 家の何もない壁につけたドアノブを押し込むと、少女の眼前に駅の喧騒けんそうが現れた。

「うおお……!」

 通りすがりの人々は突然道へ飛び出た木製の扉に驚いて、迷惑そうに避けていく。

「すっご! 便利〜」

「ほら、忘れ物のないように」

「あ、うん!」

 少女は旅行カバンを手にして両親へ笑顔を向ける。

「じゃあまたね! 誕生日には帰って来るから!」

「いや、誕生日はこちらから向かう」

「えっ? お父さんたちこっちに来るの!?」

都会そっちでパーティしたほうが楽しそうでいいじゃない?」

「やったぁ! じゃあ待ってるね! あ、行きたいお店とか決めておいてね!」


 娘がカラスと共に人の中へ消え、家の中に静寂せいじゃくが戻るとシャルルは隣に立つ夫の顔を見上げた。

「今の道具使って私のアパートの前に来たのね?」

「うん、まあ」

「あげちゃって良かったの?」

「俺はもう太陽のしもべではない。サシャにはサシャの騎士たちがいる。彼らに、任せる」

「……そう」

 シャルルは夫のたくましい二の腕を撫で、家事へ戻るべく背を向ける。

 ディオンは娘が消えていった街中を思い浮かべながら、熱い視線で壁を見つめた。

(サシャ、お前と母さんを愛しているよ)

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