1章 君を幸せにするために来たんだよ②

 結局、その後も似たような交流が続いた。どうやらこの悪魔は実に上手うまくこの村にけ込んでいるらしい。ねこかぶりならぬ人かぶりである。

「あ、あなたはいったいなにが目的なんですか!」

「目的?」

 教会にもどり、周囲にだれも居なくなったのをかくにんしてたまらず問いかける。クラウスはじんちくがいそうな顔でり返った。ネリネはその顔面めがけて指を突き立てる。

「とぼけた顔で人々の生活にもぐり込み、悪い事をそそのかすつもりなんでしょう!」

「いいや、私は神の教えを説いているだけだよ」

「悪魔が!?」

「悪魔だけど。これも『クラウス神父』としての役目だからね」

 どうあってもその主張を押し通す気らしい。けいかいを解かぬまま身構えるネリネは、しんちように切り出した。

「……それなのに、わたしにだけ正体を明かしたのはけいやくうながすためですか?」

「そうだね、私はその為にかいからやってきたのだから」

 彼のブラウンのひとみの奥で赤い色味がぐるりとうずを巻く。少しふんを変えた悪魔は、ようえん微笑ほほえみ片手を広げた。

「神父はあくまで仮の姿。ほんの少したましいをくれるだけでいい、契約を結んだ悪魔は君の手となり足となり、いかなる命令もこなす忠実なしもべとなるんだ」

「……」

「私はすべてを知っているよ。首都に憎い相手がたくさんいるだろう? ふくしゆうを望むならいくらでも力を貸そう」

 甘いささやきと共に、じんじようではないあつかんがビリビリとはだの表面をかすめていく。なるほど、これが悪魔のじようとうしゆだんか。やさしい言葉で手を差しべ、契約を持ちける。その手には乗るかと、ネリネはもつれそうになる舌をなんとか動かし、にらみつけてやった。

「ありえません。悪魔と契約を結ぶだなんて……曲がりなりにも聖女候補だったわたしがするとでも?」

「でも失格になってせんされてきたんだろう? もう聖女じゃないんだし、君をしばるものは何もないはずじゃ?」

 きょとんとした顔で言われ、言葉にまる。確かにそういった意味では自分は悪魔にとってかつこうの的かもしれない。だが、

「だとしても、お断りです」

 せっかく苦労しておおかくした気持ちをし返さないで欲しい。自分はもうこの村で大人しく生きると決めたのだ。

 春先のひんやりとした風が、二人の間をざぁとき抜ける。しばらくして目をせたクラウスは、しようかべながらこう続けた。

「わかった、その意思は尊重しよう。君が最終的な判断を下すまでは私も大人しく神父でいるよ。だけどね──」

 わずかに両手を広げた彼の周りで空気が渦を巻く。熱を帯びた風がほおを撫で、ネリネはのどの奥で上がりそうになった悲鳴を必死にかみ殺した。

「全てをひっくり返せる切り札が、君の手の中にあるということだけは覚えておくといい」

 ここでニコッと人らしい笑顔に切りえた彼は、おだやかな神父クラウスに戻っていた。

「長旅でつかれただろう、仕事は明日あしたからでいから今日はゆっくり休みなさい」



 この教会は礼拝堂の奥に居住区があり、ネリネは向かって右奥の一室を割り当てられた。決して広くはないが、清潔で住みよさそうな部屋だ。かぎもついている。正面にはよろいのついた窓がありベッドがその下に横向きで配置されていた。

 ふらふらとそこまで歩いて行ったネリネは、荷物をほどくこともせず顔面からたおれ込んだ。そして頭をかかえ込んでうめき声をらす。

(ありえない、ありえない、どうしよう……)

 左遷先の神父が悪魔だったなんて悪いじようだんにもほどがある。どうして自分ばかりこんな目にわなくてはいけないのか。ただへいおんに暮らしたいだけなのに。

 そこでハッとした彼女は、ゆかに放置していたトランクの中から様々なアイテムを取り出し始めた。れいげんあらたかな聖水をせっせと部屋中に振りき、神聖文字の記されたロープを張りめぐらし、とどめとばかりに聖書と神具を抱えこみベッドの上にじんる。

 さぁどこからでも来いと身構えていたが、昼から夕方になっても何かが来るということは無かった。木窓のすきから差し込むの光がオレンジ色になり始める。

(初日は油断させるつもりなの?)

 警戒を解かず、荷物の中から一冊のノートを取り出す。日記用にと持ってきたそれを広げると、ある計画を立てた。

(仕方ない、すぐには危害を加えて来る様子は無さそうだし、しばらくはかんしよう。やつの真の目的や弱点、何かあやしいところがあればすぐ書きとめておくこと)

 そうだ、これもまた神があたえた試練なのかもしれない。このこうぼうせんしようさいに書き留めておけば、教会本部から信用してもらえるはずだ。いわば密告ノートである。まずは、あのさいだんで見た特徴からメモしようとしたしゆんかん、ノックの音が室内にひびいた。続けてあのやわらかい声がとびらの向こうから聞こえてくる。

「ネリネ? 夕食の準備ができたよ、食堂においで」

 ベッドから転げ落ちそうになるのを何とかこらえたネリネは、裏返りそうな声をなんとかおさえて冷静に返した。

「すみません、あまりしよくよくがないので、今日はちょっと……」

「……」

 ドアの向こうのあくはどんな顔をしているのだろう。しばらくして聞こえてきたのは穏やかな声だった。

「そうか。何か欲しい物があったらえんりよせずに言うんだよ」

 少しだけさびしそうなこわに良心がチクリと痛み、用意された二人分の食事を前にぽつねんと座る彼の姿がのうに浮かんでしまう。だが、すぐにハッとして自分に活を入れた。あんなもの演技に決まっている、そもそも悪魔が作った食事などおそろしくて口にできるものか。

 気配が去っていったのを見計らい、今後の生活を考える。

(明日から料理はわたしが作る。せんたくさわらせたくないから自分でやる。あの悪魔はそうが苦手と言っていた?)

 その仕事量を思ったネリネは重たいため息をついた。これではシスターとして来たのか、メイドとして来たのか分からない。

 その晩はいつすいもするまいとがんっていたのだが、旅の疲れもあってか、結局日付が変わるころには意識を手放してしまった。

 夢は見なかった。見たとしてもとうていかいなものでは無かっただろう。



 翌朝、日の出前にガバリと飛び起きたネリネはいつの間にかねむってしまった事に絶望した。だが、心身共に異常が無いことを確認するとホッとあんの息をつく。きっとけアイテムが効いたのだろう。教皇からじきじきにたまわったものだ、効かないわけがない。

 過ぎたことをやんでも仕方ないと、気持ちを切り替えてテキパキと行動する。シスターの仕事は山のようにある、悪魔調査だけにかまけているゆうはないのだ。

 まずは掃除、手始めに教会全体のよごれ具合をざっと点検し、区画を七つに分けることにした。一日ずつれいにしていけば一週間で無理なく一回りできるはずだ。

 次に、急病人用の備品とリネン類の確認。この国では医者のいない地方は教会が病院もねており、や病気の者が出たらここでめんどうを見る事になっている。ゆえにシスターや神父は最低限の応急処置の知識が必要とされる。聖女候補であったネリネとてそれは例外ではなく、エーベルヴァイン家にて一通りの学を修めていた。

 常備している薬の中で、いくつかダメになっている物があったので、後で本部に手紙を書くことを頭のメモに書きとめておく。

 その頃になるとだいぶ日ものぼってきたので、教会の仕事は切り上げて街へとり出す事にした。朝食の買い出しと、これから必要になるであろう当面の雑貨をこうにゆうするためだ。


 ──だからさ、アレは絶対に聖女候補だった人だよ!

 ところが、商店通りに差し掛かった時、曲がり角から聞こえて来た声にネリネは足を止めた。何もやましいことは無いのだが、出ていくのが躊躇ためらわれて建物のかげに身をひそめる。そうっと耳をまして様子をうかがうと、昨日、あいさつをしたパン屋のおかみが村の女たちに興奮した様子で力説しているのが聞こえてきた。

「教会に新しく来たシスター! アタシゃ一度ミュゼルで見たことがあるんだよ。最初はピンと来なかったけど、でもあんな灰色のかみちがえようがないね」

「じゃああの噂は本当なんかね、ライバルのジル様を陰でいじめてたってのは」

「だってそうでもなきゃ、こんな田舎いなか村になんか来るはずないよ。きっと左遷されてきたんだよ、左遷!」

 ドクン、ドクンとどういやな動きを始める。表向き、コルネリアは自分の力不足を理由に聖女を辞退したことになっている。そうするように提案したのはヒナコで、地方でこうせいさせるに当たって生活しやすいようにとのはいりよらしい。だが、らくの少ないホーセン村ではそこにずいぶんとひれがついてしまっているようだ。そう考えている間にも、パン屋のおかみは口からつばを飛ばしながら続ける。

「きっとのろい殺したに違いないよ! 昨日、あの女と目が合ったんだけどさ、じぃっとそこにっ立ってるだけでニコリともしないんだよ。アタシゃゾーッとしちまったね」

「いやだねぇ、うすわるい。クラウスさんをたぶらかすんじゃないだろうか」

「アタシらがしっかり見張っておかないと!」

 かくはしていたが、想像以上に平穏への道のりは遠いようだ。痛む胸を押さえたネリネは、そっとその場を後にする。まだ店の準備も整っていないようだし午後に出直そう。きっと売ってはくれるはずだ。しかしその腹の底では……。

(わたしがもっと明るい性格だったら、あんな事言われずに済んだのだろうか)

 落ち込みながら教会への道をたどる。キィともんを押し開けると昨日と同じくしげみの前に悪魔が居た。気配を感じた彼はこちらにり返る。

「おはようネリネ、昨日はよく眠れたかな?」

「……おはようございます」

 ニコリともしないで返すが、クラウスは特にげんを害した様子もなく薔薇のせんてい作業にもどった。鼻歌なんて歌いながら楽しそうにする彼に、先ほどまでの落ち込みも手伝ってムッとしてしまう。自分が朝から掃除や点検に走り回っていたのにのんなものだ。

「花はいいよ、すさんだ心をなぐさめてくれる」

「はぁ」

 確かにこの教会には花が多い。だが花をでる悪魔とは何事だろう。この世で最も結びつかない組み合わせの一つではないだろうか。

 パチンとはさみを合わせる音で我に返る。薔薇のつぼみをクルクルと回してトゲを落とした悪魔はこう続けた。

いやしが、今の君に一番必要なものじゃないかな」

「……」

 だれが傷心だと言うのか。違う、わたしは傷ついてなどいない。すべては自分の至らなさが招いた結果なのだ。

 少なくとも悪魔コイツにだけは弱気なところを見せてなるものかとにらみ付けていると、クラウスはこちらにやってきた。そしてネリネがかかえていた空のげかごの中に薔薇のつぼみをポンと置く。見た目を裏切らず、ゆるみかけた花弁からは甘いかおりがれ出ていた。思わずのけぞる姿勢になるネリネを見て、悪魔は小さく笑う。

「まだ信用できないって顔だ。でもね、私はけいやくうんぬんをきにしても君と仲良くなりたいと思っているんだよ」

 何を言おうか迷っているうちに、彼は鼻歌交じりに行ってしまう。残されたネリネは少しだけけんにシワを寄せた。確かに甘い香りはささくれ立っていた心にみるようではあったが……うさんくさい事この上ない。この薔薇も何かのじゆじゆつでは? たとえば、ゆうわくわなとか。

(変な悪魔……)

 しかし、ほころびかけた花を無下に捨てるのもしのびなくて、散々迷った後、つまみ上げた手をできるだけ遠ざけるようにして持ち運ぶことにした。花に罪はない。確か食堂にホコリをかぶっているびんが転がっていたはずだ。

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