プロローグ コルネリア、断罪される

 ガタガタとれる馬車のまどわくほおづえき、コルネリアはぼんやりと外をながめていた。

 明るくにぎやかな都ははるか後方に消え去り、馬車は暗くとっぷりとしたやみの中をひた走り続けている。今夜は月のない晩で、どんなに目をらしてもガラスに映るのは自分の顔ばかりだった。

 ふと、ガラスの向こうの自分と目が合う。見慣れたはずの顔は、思わず笑ってしまうほどやつれたものだった。しずんだコバルトグリーンのひとみも、ゆるく波打つ灰色のかみも、貴族れいじようとしてはおどろくほどはなやかさに欠ける。いや、自分はもう貴族ではないのだ。貧しい出からだんしやく家に引き取られ、聖女候補にまで登りめた養女が失態をおかし元の平民にもどるだけ。そうため息をつきながらあごの下で切りそろえた髪に手をやる。これからへいぼんなシスターとして生きていくにはこのくらいの長さが適切だろう。

 固い背もたれに深く座り直し目を閉じる。もう忘れようと思っていたのに、人生が転落し始めたあの日の事が思い出された。




 その告発は、月に一度行われる教皇の説法が終わった直後になされた。

「この場をもつてコルネリア・フォン・エーベルヴァインとのこんやくする!」

 おごそかな大聖堂に王子の高らかな宣言がひびき、コルネリアの全身はかみなりに打たれたようにこわばる。ぎこちなく視線を上げれば、聖堂の上段にはかがやきんぱつみだした一人の男性が居た。スッと通った鼻筋にしいまゆ。その下にあるマリンブルーの瞳はけんかんをこれでもかとふくんでこちらを見下ろしている。

 典礼用のごうしやな白い服に身を包んだ彼──たった今、自分との婚約を破棄したジーク第一王子は一呼吸置く間もなく、その理由を高らかに言い放った。

「こいつが聖女候補などと笑わせる。あくけいやくしたこの女は、ライバルであったジルを精神的に追い込み、自ら死を選ぶまでに至らせたのだ!」

 今、この大聖堂には首都に住まういつぱん市民から、教会に多額の寄進をする貴族、果ては国王までが一堂に会していた。確かに今日、説法が終わった後にとある裁判があるので必ず出席するようにとは言われていた。だが、まさか自分がそのこくになるとは。まるで身に覚えのない話に、手の中がじとりとあせばみ始める。

 この国における聖女とは、神のけいを受けることができるただ一人の女性のことである。しんたくを受け各地を回り教えを説き、新たな薬を作り病気やに苦しむ人々を救う聖女は、人々の尊敬を一身に受ける特別な存在だ。

 そのたましいは代々めぐると言われ、先代聖女がくなったしゆんかんに肉体からはなれた魂は、その日の内に生まれた女の子の肉体へと宿ると信じられている。ゆえに、次の聖女を選出するため、がいとうする少女たちは七年の月日がった辺りから、身分を問わずに首都へ集められるのだ。

 さらに、今回の聖女は何世代かに一度の特別な役割を持っていた。久々に聖女を王家にむかえようという動きがあり、選ばれた聖女はジーク王子と婚約をする流れになっているのだ。今回は日付の変わる直前に先代が亡くなった事もあり、候補者は自分ともう一人、こうしやく家出身のジルだけだった。

 そしてジルがごうの死をげたことにより、自動的に聖女に内定が決まったコルネリアがこれまで婚約者のあつかいをされていたのだが──。


 なのに、その婚約者からこうして一方的に婚約破棄をされている。それだけでも驚くというのに、まさかのジル殺しの犯人だという告発。

 ちかって言うが、コルネリアはジルをいびった事など一度もなかった。彼女がとうから身投げをしたと聞いた時はショックで丸々三日んだほどなのに、どうしてそんなぎぬが。そう反論しようとしたところで、王子は振り返る。そしていとおし気な声で背後にひかえていた女性に声をかけた。

「そうだろう? ヒナコ」

 おずおずと進み出てきた美しい少女に、聖堂内にはほぅっとかんたんの声があふれた。

 こしまでばしたサラサラとなびくくりいろの髪。ぱっちりとした上向きのまつげでふちどられた茶色の瞳。きやしやきしめたら折れてしまいそうな細い腰。道ですれちがったら百人が百人振り向きそうなその美少女は、なみだかべ胸の前で両手を固くにぎりしめている。

 あれはだれだとちようしゆうがざわめく中、王子は驚くべき事を口にした。

みな、落ち着いて聞いて欲しい。このヒナコはなにかくそうジルの生まれ変わりだ! こちらの世界で命を絶った後、異世界『ニホン』に転生していた彼女は、時空をえ今再びこちらの世界に戻ってきてくれた!」

 なぞの美少女がジル本人だという宣言に、聖堂内の空気は大きく揺れた。人々の心の動きをのがさないまま、王子はようようと説明を続ける。

にせ聖女のコルネリアがその地位に収まるのをするため、彼女は異世界を経由してまでこの時・この瞬間に帰ってきてくれた。さぁヒナコ、かつてお前があの女にどれだけひどい仕打ちを受けたか、証言してくれるな?」

 話を振られたれんな少女は、一度クッと息を詰まらせたかと思うと王子の胸に泣きつく。

「ジーク、やっぱりめます! 私、断罪だなんてそんなこと望んでませんっ」

「何を言う、あの女はジルを……前世のお前を裏切って死に追いやったのだぞ! しようも挙がっている。お前の言う通り、ジルの部屋をあらためさせたところコルネリアからのいやがらせの手紙が大量に出てきた!」

 高らかにさけんだ王子が、ふところから取り出した紙束を宙にばらまく。足元にすべり込んできたそれを見下ろせば、思わず眉をひそめたくなるぼう中傷が山のように書かれていた。ひつせきとサインはコルネリアのものによく似せてはいるが、もちろん書いた覚えはない。

 反論しようとするが上手うまく言葉がまとまらない。一方、弱々しくかたふるわせたヒナコは、しんじゆのような涙をこぼしながらしゃくり上げた。

「でも、でもっ、ジルだった時の私がいじめられたのにも何か原因があったのかもって……」

 ここでわっと顔をおおった彼女は大げさに自分を責め立てた。

「ぜんぶ私が悪いんです! 国外追放なんてひどすぎます! お願いです、どうかコルネリアちゃんを『許してあげて』下さい!」

 そこまであっけに取られて見ていたコルネリアは口もきけなかった。許されるも何も心当たりがなさすぎる。そもそも、彼女はいったい誰なのだろう? ジルの生まれ変わりにしてはおもかげ欠片かけらもない。それに、ジルが自分をコルネリア「ちゃん」などと呼んだ事は一度もなかったはずだ。

 だが、大げさに胸に手をあてた王子はここぞとばかりにヒナコの後押しをした。

「おお、なんと情け深い。皆に問う! こんなにも清らかで美しい心を持ったヒナコと、前世の彼女を死に追い込んだしきコルネリア。どちらが聖女にふさわしいかは明白ではないだろうか!?」

 誰かが小さく手をたたき始め、だいにそれは盛大な賛同のはくしゆになっていった。

 コルネリアはそこでようやく察した。これは最初から仕組まれたシナリオだったのだ。教会はパッとしない『残り物』を、さっさと処分し、すいせいのごとく現れた美しいヒロインを新たな聖女に仕立て上げたいのだと。

 どうしてこんなことに。脳がしたように上手く動いてくれない。それでもなんとか打破を、じようきようを変えてくれないかと救いを求めて視線を巡らせる。すると、養父であるエーベルヴァインきようと目が合った。割れるような拍手の中、コルネリアはいちの望みをかけてそちらに手を伸ばす。

「お、お様……たすけ」

 そうだ、「何としてもコルネリアを聖女に」と息巻いていた義父ならきっと助けてくれるはずだ。聖女の出身家となれば成り上がりのエーベルヴァイン家の存在感も増す。その野望を叶えるためにコルネリアを実母から無理やり引きはなしたぐらいなのだから、彼ならきっと──。

 ところが、一度小さくひっと息をんだ卿は、周囲からの冷ややかな視線を感じ取った瞬間、ばやく損得かんじようをした。すなわち、どうすればエーベルヴァイン家へのがいが少ないかを。きたない金で成り上がった元商人は、そくにコルネリアを切り捨てた。

「知らん! ワシは知らんぞ!! 全部コルネリアが一人でやったことだ!! ウチとは何も関係が無いっ!」

 しん……と、聖堂内が静まる。卿はでっぷりとした身体からだで転げそうになりながら、さくを乗り越えこちらにやってきた。

そこなったぞ、この寄生虫のごくつぶしめっ。すずしい顔をしてまさかジル様にそんなご無体を働いていたとは! なぜウチのもんを付けている!!」

「ひっ……」

 手を振り上げられ反射的に縮こまる。勢いよく手を振り下ろした養父はコルネリアのケープをぎ取った。エーベルヴァイン家のもんしようしゆうされた礼装用のがいとうだ。

「貧しい出のお前を誰が引き取ってやったと思っているんだ! 恩をあだで返しおって!」

「ち、違う……誤解です……おねがいはなしを」

「まだ言うか!」

 すがる養女のほおを卿は力いっぱい叩く。細身のコルネリアは簡単にき飛びゆかくずれ落ちた。だんじようから教皇のたしなめる声が響く。

「エーベルヴァイン卿、神聖な場での暴力こうは控えるように」

「へ、へへ、すみません。どうしてもいかりがおさえられなかったもので。おお神よ、お許しください。このむすめと私は、もはや何の関係もないのです」

 ヘコヘコと腰低くぼうちよう席へと帰っていく卿は、最後にたおれているコルネリアの足をっていくことを忘れない。期待するだけだった。養父にとってしよせん自分は上に行くための道具でしか無かったのだ。小さくうめいた彼女は、熱を持つ頬に手をやりながらさとってしまう。

(この場に居る全員が、わたしの有罪を望んでいる……)

 そう、この聖堂でコルネリアは独りだった。言葉を失う彼女に向けて、教皇の無感情な声がけられる。

「さてコルネリア、申し立てることはありますか?」

 あるはずもなかった。いた所でなんくせを付けられ、さらに状況が悪くなるのは目に見えている。この告発の場での中心人物は間違いなく自分であるはずなのに、コルネリアはどこか遠い世界の出来事のように感じていた。

 つらくて悲しいことがあった時は決まってそうしていたように、服のすそを強く握りしめひたすらえる。すると、仕方のないことだと頭の中の冷静な自分があきらめたようにこぼした。自分に何ができる? 何の力も持たないちっぽけな女が、この場に居る全員を説得できるはずなんかないだろう、と。

 じっとうつむいていた彼女は、用意された悪役を受け入れるほかなかった。うなだれる様子に、ほつたんである王子とヒナコは『深くかんだいな心』を演出する。

「心苦しくはあったが、公明正大を信条とする教会においてそなたの悪行を見過ごすわけにはいかなかった。だがなおに認めるならば神のおぼしもあるだろう」

「コルネリアちゃん、私、信じてるですよ! 罪をつぐなったあなたと、いつかまた手を取り合って笑いあえる日が来るって!」

 きゃぴきゃぴとはずむ声にギリリと頬の内側をみしめる。そうでもしなければぞうごんが飛び出してしまいそうだった。

「では、コルネリアから聖女候補の資格をはくだつ。ヒナコ殿どのの恩情により国外追放は取りやめ、シスターとして一からやり直し、おのれの罪をい改めさせることにする。よろしいですかな? 王」

 上段わきでぽけーっと話を聞いていた国王は、いきなり呼びかけられてガタッと椅子いすから落ちた。あわてて周囲を見回し、げんを保つようにうぉっほんとせきばらいをする。

「うむ、そのようにれつな娘はとても我が王家にむかえる事は出来ぬ。こうしてジルも生まれ変わって異世界からもどってきてくれたことだしな、教皇とジークの言う事にちがいはないだろう、良きに計らえ」

「……」

 王の言葉を、コルネリアは無言で聞いていた。

(もう、好きにすればいい)

 聖女候補らしからぬ悪態が心のどこかでかぶ。どうにもならない無力な自分が腹立たしかったが、もうどうしようも無かった。

 最後にうつろな視線を上げるとヒナコと目が合う。彼女はなみだをためて口元に手をあてていた。だが、いつしゆんだけ目を細めにんまりと口角をり上げる。彼女は確かにこちらを見てあざ笑ったのである。

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