第8話 ケダモノ

「……と、いうことがあったんだよ」


「そう。それは災難。でも書庫では静かにして」



 シャルルの護衛を無事に終えたエボは怪我の療養という名目で休みを与えられていた。調べ物をしようと訪れたのは王城の書庫。エボが話しかける向かい側には子どもが座っていた。


 紺色の髪は床を引きずるほどに伸ばした女の子で、漆黒の瞳は本に向けられている。



「他に誰もいないじゃないか。それにわざわざ向かいに座ったから、お話がしたいのかなって」


「勝手に本を持ち出さないか、見張ってる」


「へぇ、偉いね。お兄さんはエボって言うんだ。君のお名前は? お父さんか、お母さんはどうしたの?」


「……ノルン・イド・エダルリプス。子ども扱いはやめて。私のほうが年上」



 ノルンが髪をかき上げると長い耳が露わになる。「耳長族」とエボが呟くとノルンは眉をひそめた。



「エルフと言って。それは人間が勝手に決めた呼び方」


「あ、ああ。悪かった。訂正するよノルン……さん?」


「呼び捨てでいい……どうしてここに来たの?」


「シャルル殿下に許可を頂いてね。調べ物なら王宮の書庫がいいって勧めてくれた」



 シャルルのことだ。きっと城で騒動が起きたとき、自分がすぐに駆け付けられるようにだとエボは理解している。だから休みにも関わらず、腰には木剣を差していた。


 エボの前に積まれた本をノルンはちらりと見る。



「魔物の本ばかり」


「ああ。色んな場所で漁りつくしたと思ってたけど、流石王宮の書庫だよ。これなんて全体像のわかってない百足蛙むかでがえる翼頭馬とうよくばについて書かれてる」



 百足蛙むかでがえるは山を跨ぐほどの全長が長い魔物だ。頭部はまるで蛙だが、胴体には百足のようにいくつもの足が連なっているらしい。遭遇した者は皆口々に違うことを口にするため、幻覚を引き起こすと考えられている。幻惑の魔物だ。


 翼頭馬とうよくばは頭部の代わりに首から羽が生えている魔物だと推定されている。竜巻の中にいて、その影だけが目撃されるからだ。風の魔物と人は呼ぶ。



「そう。詳しいのね」


「俺の標的は狼蜘蛛だが、九体の魔物すべてに共通する弱点があるかもしれない。魔物に関わるものなら些細なことだって調べる」


「……訂正。やっぱりわかってない」


「わかってるよ。魔物は歩く災害。人は災害の前には無力だって言いたいんだろ」



 災害。そうだ。あれは災害と言う他にない。


 山小屋から助け出されたとき、エボは見た。過ごしてきた山が、野原が、一晩にして焼野原に変わった景色を。あれはまさしく火災の魔物だった。



「災害で思い出した。ノルン。特定魔物被災種族……だったかな。それが書かれている本は置いてないないか?」


「……それ、どこで知ったの?」


「大隊長が口にしてた。確か、獣人がそうなんだとか」



 思い出したというよりは、今日の調べ物のメインがそれだった。エボは特定魔物被災種族という単語を本で見た記憶がない。あれから家の本を再度漁ったが、どこにも記載がなかった。


 文字面だけ見ると魔物に襲われた種族という意味だが、特定という言葉がどうにも引っ掛かる。



「そう。知りたいなら、教えてあげてもいい」


「本当か? 助かるよ」


「条件がある」



 情報は商品。エボはそれを良く知っているので、肯定的な意思で「どんな条件だ?」と聞き返す。ノルンは少し躊躇い、エボの目を見つめた。



「エボの秘密、教えて」



 想定外の条件にエボは目を点にする。秘密を握って口止めするためだろうか。


 賢い手とは思えない。嘘を言われたらそれまで。馬鹿正直に、ばらされて困る秘密を話す人はいない。だが、そもそもエボには知られて困るようなものはなかった。



「別に大した秘密はないな……別の条件でもいいけど」


「誰にも言ってない秘密、無いの?」


「そりゃあるけど、聞いて面白いものではないよ」


「それでいい」



 エボはぽりぽりと頬をかく。別に隠していたわけでもないことだが、義父のテュールでさえ知らない話だ。



「……俺の母さんは、俺を産んだときに死んだんだ。名前も知らない。父さんは自分にだけ教えてくれたものだからって、教えてくれなかったよ。俺は物心ついたときにはいなかったって話してる……それだけの秘密だよ。ほらな、つまらないだろ?」


「お母さんはどんな人か、聞かなかったの?」


「優しい人だったって。でも、出会ったのは森の中で帰る家もなかったそうだ。もしかしたら犯罪者だったのかもしれない。だから俺は、母さんは俺が幼い頃に出て行ったと思わせてる。俺の力が遺伝なのかもって考えたこともあるけど、父さんの話を聞く限りじゃただの人間だよ」


「……そう。それで充分」



 真面目に話を聞いてくれたようでノルンは相槌を打つと、コホンとわざとらしく咳をした。



「今度は私の番……特定魔物被災種族というのは、蔑称に近い。魔物に狙われる種族のこと」


「狙われる?」


「言い換えれば、魔法を宿す種族。魔物は魔力を喰らうから」



 エボは耳を疑った。魔法を宿す種族など聞いたことがない。人間以外の種族は時代の変化とともに廃れてしまった。エボが知るのはただそれだけだ。


 戸惑いを隠せないエボに構わず、ノルンは淡々と続けた。



「土妖精のドワーフ、森妖精のエルフ……妖精に限りなく近い獣人もそう。千年間で尽く滅ぼされた。魔法の宿らない人間や野生動物たちだけが狙われず、今の人間が主体の世界になった」


「ま、待ってくれ。滅ぼされたって、それじゃノルンはエルフの生き残りなのか? 今も魔物に狙われているのか?」


「違う。狙われるのは魔法を宿す者だけ……私は血が薄い。魔法を宿せない。獣人族と同じ。人間と交わったことで、皮肉にも生き残った」


「皮肉って、どうい……あ――」



 獣人族の話のときに聞いた、血が薄いとはそういうことなのかとエボは思案する。そして恐ろしいことに気が付いてしまった。


 人間と交わったという言葉、違和感を覚えずにはいられない。


 つまりそれはそういう扱いを受けたということだ。


 望んでそうなったというのは希望的観測だろう。エボがノルンを耳長族と呼んだとき、拒絶の色があった。特定魔物被災種族を蔑称と言った。皮肉にも生き残ったともいった。


 そこには明確な差別がある。


 ノルンや獣人族たちは、まさか――。



「気づいた? 生き残った種族は。人間はこの事実をなかったことにした。関連する本は禁書として持っているだけで処罰の対象」


「そ、んな……」


「エルフやドワーフも人間を奴隷にしたけど、全員じゃない。魔物に追われる中、私たちはみんな迫害され続けた。人間は皆ケダモノなの」



 ノルンの言葉を嘘だと言うのは簡単だった。


 だがエボには思い当たる節がいくつもある。魔物の被害を受けた自分と、魔物につけ狙われる種族たち。そこに違いなんてありはしないのに。



「エボは私と同じ匂いがする」


「……え?」


「エボのお母さんは、本当に人間? エボは自分が人間と思い込んでない? 人間が憎いって思わない?」



 エボは心臓がバクバクとなっていた。これまで見えていた世界が別物のように濁って見える。


 自分はどっちだと心が揺れる。


 ぎゅっと目を瞑ったとき、瞼の裏で見えたのはあの日の父の残骸。バチンと頬を叩き、エボは深く息を吐く。



「……もし母さんが人間じゃなかったとしても、父さんは人間だ。俺は半分は人間だ。何より元凶は魔物にある。俺のやることは何も変わらない」


「そう。残念」


「ぷぷ。ノルンのやつ振られてやんの。ウケる」


「誰だ!?」



 エボは慌てて目線を隣に移すと、いつの間にか白衣の男が隣に座っている。もじゃもじゃの黒髪に丸眼鏡、白衣から覗くのは皮と骨しかないような腕だった。エボは木剣を抜いて構える。



「そんなにビビんなよ、こっちがビビる。てかよ、人に名前聞くときは何とやらだろ。オマエが噂の猟犬?」


「……エボ・グリムハートだ」


「おお、そういや犬って呼ばれるの嫌だって聞いてたわ。悪い悪い。オレはな、エーギル・レッドクラブ」



 エーギルは両手でカニのようにハサミを動かしてヘラヘラと笑う。



「ちょー有能な王室お抱え研究員だぜ」



 いきなり現れた軽薄そうな男。エボは嵐の到来を予感していた。

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