第4話 前進

 魔女を名乗るミシャに対して、エボは木剣を抜いて戦闘態勢に入る。剣先はミシャを捉え、ひざ下は脱力し即座の反応を取れる姿勢だ。木剣でもエボの怪力で振れば一撃必殺の刃に成り得る。殺気を放つエボにルーナはその背をぎゅっと握った。



「義兄さま?」


「すまない。妹よ、しばらく口を閉じてろ……貴様、魔女と言ったな。正気か? 自ら悪魔だと言ったようなものだぞ」


「ちょ、ちょっと。怖いんだけど。え、ええぇ……? ここじゃ魔女ってどんな扱いなのさ」


「邪教徒、悪魔に魂を売った背信者。協会の見解で言えば、禁忌を犯した罪人だったかな……魔女は魔法を使うんだろ? 魔物と同じで。魔物から生まれたからだって話もあるが本当か?」


「そんなわけないでしょ!? 邪教とでもなければ罪人でもない!」



 言葉ではどうとでも言えるものだ。エボは木剣を下ろさない。「うーん」と唸ったミシャは裾の広くあいたローブに手を伸ばす。何かを取り出そうとしているのは明確だった。


 まばたきの間にエボは肉薄し、ミシャの首元に木剣をぴたりと当てた。



「動くな。動けばーー」


「え? きゃ!?」



 気づいたときには距離を詰められていたことに驚き、ミシャが飛び退く。聞こえなかったわけではないだろう。反射的に動いてしまったようだ。ただの年相応な女の子の反応に、エボは攻撃を躊躇する。その一瞬の隙をついて、ミシャが木剣に触れた。



 そして――木剣が消える。


 突如獲物を失った両手にエボは目を見開く。何が起きたのか、まるでわからない。消失と同時にミシャが何かを握り、手に収めたのが見えた。



「ちょ、ちょっと! 危ないでしょ!?」


「……これが魔法。本当に魔女なのか」



 エボは唇を噛む。慢心していた。誰にも負けることはないと。銃の発明を知っても揺らがなかった自信が揺れている。


 負けるかもしれない、そう感じたのは初めてだった。


 エボは即座に逃走の算段を立てる。手品の種がわからない上、手数も計り知れない。戦うのは得策ではないと判断した。皮肉にも木剣を奪われて両手が開いている。早さなら自分が上。ルーナを連れて逃げ出すことはできる。


 問題はミシャに通ってきた一本道が塞がれてしまっていることだった。



「そう言ってるでしょ、全くもう」



 近づいてくるミシャに、エボは背後に跳びすぐさまルーナを抱えられるように構えた。しかしミシャは脇を通り過ぎて店へと向かった。入り口で立ち止まり、振り返る。


「ほら」とミシャがエボへ何かをポイと投げる。不意に渡されると人は受け取ってしまうもので、エボは反射的にそれを掴む。しまったと思ったが何の異常もない。手を広げてみると、それはただの石。石は震えたかと思うと木剣へと姿を変えた。


 いや、違う。石に変えられていた木剣が元に戻ったのだろうとエボは直感する。


 先ほどの魔法の種が見えてきたが、エボに喜びはない。あるのは当惑のみ。なぜ手の内を明かすような真似をするのか、なぜ武器を返すのかわからなかった。



「もう襲い掛かってこないでよ……で、何を買いにきたの?」


「何?」


「ここでしか治せない薬を求めるものにしか見つけられない。ここはそうなってるの」



 どうやら本当に思い違いをしていたらしいとエボは悟った。殺気を向けられて、相手が薬を求めているなら売るなんて真似ができるのは善人だけだろう。


 エボは木剣を腰に収めた。膝をつき、財布をそのままミシャへと差し出す。



「……数々の非礼をお許し下さい、ミシャ殿。俺はエボ・グリムハート。少しですが、これはお詫びの印です。それでも怒りが収まらないのであれば、この名を呪っていただいて構いません。ですが、どうか妹は見逃していただきたい」


「え? こんなにいいの? ありがと……でも、呪うって何? また誤解されてない?」


「えっと、私ルーナ・グリムハートです。ミシャさん。すいませんでした、エボ義兄さまの暴走を止められなくて……魔女は名を呪うって話があるんです」


「あたしそんなのできないし……でも、うん。そういう魔法もあるから間違いではないかな」



 間違ってはないのかとエボは顔を顰めるが、一部の悪を全体と捉えてはいけないと思い直す。いい人も悪い人もいる、それだけだ。



「こちらに先ほど――」


「そんな畏まらないでいいよ、エボさん。さんも付けないで。あたし、そういうの苦手だからさ」


「そうですか? わかりま……ああいや。これも固いか。えっと、わかったよミシャ。俺もエボでいい」



 エボは頬をかく。普段から丁寧語で話すのが癖になっているせいか、何故だか照れくさい。



「うんうん。そのほうが話しやすいや。ほら、入って入って」



 勧められるまま二人は店の中に入る。壁を沿うように薬がずらっと並ぶ中心に机があった。椅子は三つあった。ミシャが腰かけたので、エボもミシャも席に着いた。



「それで、エボ。さっき何か言いかけてなかった?」


「ああ。さっきここにエミー……獣人族の女の子が来ただろ? その子に紹介されたんだ」


「なるほどそれで……よかった。また叱られるところだったよ」


「叱られるって?」


「ああいや、何でもない。あはは」



 何か隠しているようだが、あまり踏み込んだ質問をするのもよくないだろう。代わりに何気ない世間話をいくつか交わすと、ミシャという人物がわかってきた。


 この店はたまたま迷い込んできた相手に薬を売ったことをきっかけにして始めたらしい。そういう薬を求める人は悪魔にでも縋る思いだったのだろう。ミシャは魔女と明かして襲ってきたのはエボくらいだと愚痴られる。エボが改めて謝罪すると快く許してくれた。ここで魔女にあったことは内緒にすることを約束し、ルーナが別れの挨拶をしようとしている。


 だが最後にエボにはどうしても聞いておきたいことがあった。






「ミシャ……狼蜘蛛おおかみぐもはどうやったら殺せるんだ」


「狼蜘蛛、火災の魔物だね。難しいんじゃないかな? どうして殺したいのさ」


「父の仇だ」



 瞼を閉じれば、いつだって鮮明に思い出せる。父親だった肉片を軍隊が持ってきた日のことを。


 血の色が、匂いが、肉の間から覗く骨が、目に焼き付いて離れない。



「エボ義兄さん、まだ諦めてなかったんだ……」



 ルーナの何か言いたげな視線に、エボは気づかないふりをする。これだけは譲れない。どれだけエボが訴えても軍は動いてくれなかった。だったら自分だけでやってやろうとずっと手がかりを探してきたのだ。それが今、目の前にある。


 ミシャはにへらと笑った。



「殺さなくても魔物は皆、いずれ消えるよ」


「何?」


「魔物は不死身って言われてるけど永遠の存在じゃない。寿命とはちょっと違うんだけどね……いずれ形を保てなくなる。わざわざ危険を冒す必要はないんだよ」


「……それはいつになる」


「早いものであと三、四百年。遅いものだと千五百年だったかな」


「そんなに待ってられるか!!」



 エボは激昂する。ミシャに向けたとき以上の殺気があった。



「魔物が発生してから千年が経ってるんだよ。それを考えたら早いものだって思わない?」


「思わない」


「どうしてもやるの?」


「……ミシャはさっき難しいって言ったよな。殺せないわけじゃないんだろ?」



 ミシャの笑いかけていた顔が真剣な表情に変わる。ルーナへと顔を向けた後、エボへと視線を戻す。エボが木剣に手を伸ばそうとしたの見て、大きくため息をついた。


 懐から瓶を取り出したミシャは蓋を外し、ぶらぶらと揺らした。



「この瓶を魔物だとするよ。中の液体が魔物の肉体。蓋は開いていて、雨が降ってる。いくら中の水を減らしたところで意味がないの。殺すなら霊体。瓶そのものを壊す」



 ミシャが手を離し瓶を地面に落とし、バリンと音を立てて瓶が割れた。広がったガラス片が震えたかと思うと石ころに変わる。ミシャが石を拾い上げると、今度は石が杖へと変化した。



「霊体を壊せるのは魔法だけ……私の変身の魔法は形を変えることはできても、霊体を攻撃できない。使い勝手はいいけど、できないことも多いの。生き物相手だと弾かれやすいし、壊れたら元の形に戻っちゃうし」


「じゃあ、俺が魔法を覚えれば」


「だーめ。私は教えられないの。かたき討ちしたい気持ちは分かるよ。あたしもそうだから。でも手段がないの。隣にいる妹を大事にしてあげて? その娘にお兄ちゃんまで失わせたいの?」


「ミシャさん。違うの、エボ義兄さんは養子だから……でも、私嫌だよ。エボ義兄さんが危険なことするの。エボ義兄さんは今、幸せじゃないの? 辛い道の方へとどうして行くの?」



 ルーナはエボの服の裾を摘まむ。今にも泣きだしそうだった。諦めると一言いえばきっとその顔は笑顔が咲くのだろう。だが、エボは何も答えなかった。



「……日が暮れてしまったな。そろそろ帰るよミシャ。また来る」


「また来たいって思ってくれるのは嬉しいな。でもね、もうここに来ないことを期待してるよ」



 ルーナを連れてエボは店を出た。すねたような顔でルーナが手を握る。エボはその手を握り返すと、ルーナは笑った。エボは笑顔で返すが、その表情は硬い。



(一歩、前進した)



 エボの胸にあったのはその一つだけ。きっとルーナを裏切ることになる。それだけは分かっていた。


 細い路地を抜けだしていく。吹き抜ける風が生ぬるかった。

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