レタススラッグ、3
◆3
ワタシは夏の明るい夕方を歩いていた。
『面白くねェなァァ』
ワームは依然としてワタシの中指にいた。店を出てから悪態ばかりついている。
そんなに不満なの?
『アンナも忘れてたじャァねェか。あの若店長にオレの同業者がいるってことをよォ。「待ってぇん」だなんて色めいた声だしやがってよォ』
なに? ワタシが他の男と話してるのがそんなに嫌? 嫉妬なの?
『ちげェわ! アイツが無様に転げ回るサマをおがみたかっただけよォ』
どうだか。
勝瀬店長の中にはワームが昨日言ったように、彼の同業者が巣食っていた。形は違えど毒虫であることは同じ。つまりは毒虫の毒が効かない。
アンタこそ焦ってたじゃない? やべ、って顔してたよ。
『ケッ! 忘れてたともさァ!』
ワームが伸び縮みの屈伸運動を繰り返す。
でも本当に良かった。彼に被害がなくて。シナモンパウダーでむせてたけど。
ところで、向こうにはアンタのこと見えてなかったの?
『見えてねぇだろうなァ。完全体じャァあるまいしよォ。アンナもヤツの耳を出入りしていた蟻が見えなかったろォ?』
え、蟻がいたんだ。
『毒蟻だァ。もっともォ? オレと同じ幼体でありながらほとんど消えかけてたよォ』
幼体ってことは…………いや、なんでもない。
今はお腹を満たすことが先だ。
ワタシは前々から気になっていたお店に入った。野菜が美味しいと評判のスープカレー屋だ。1人客ということもあり、店外で待っていた数組を抜かしてカウンター席に通された。
『アンナぁ、入り口に盛り塩があったぜェ。この店オバケが出るんじャァねェのかァ?』
悪いのが入って来ないようにしてるのよ。
『じャァ効果は無ェなァ! 毒女と毒虫の2名様ご来店でーす!』
カウンター席は4席。ワタシは端っこで、左隣は1つ空いていた。
『アンナぁ、ほんとにアイツに気が無ェんだなァ?』
ないよ。
ワタシはメニューに視線を走らせる。
『じャァ今んとこオレが一番だよなァ?』
まぁ、ほかに2人でご飯食べに行く仲の男はいないね。
『んん?』
ワームはキョトンとして、それからニヤァっと笑った。
ってかアンタ、終わったらワタシから離れてくれるんじゃなかったの?
『さみしいこと言うなよなオニオンベイベー。オレにもいろいろ準備があるんだよォ』
準備って?
『思い出作りだよォ、アンナぁ。おッ、このカレー、大豆乗ってるぞォ。コレにしろよォ、コレがイイぃ!』
ご機嫌なワーム。
歪な関係の男友達。
「すいませーん」
店員さんを呼び、注文をすませる。
ワタシは野菜がたっぷりのカレーにした。追加料金で大豆はマシマシにしてやった。大豆だけで暮らせないの? と聞いたら、『それは無理な相談だァ』と彼は答えた。理屈はわからないけど、別れることは決まっているみたいだ。
カレーを待っている間、ワタシとワームはクイズを出し合った。
彼の問題にワタシはだいたい答えられた。
『ココも随分と混んでるんだなァ』
そうだね。
店内は大忙しだった。こうして見てみると、楽しそうなスタッフはいない。
カレーがやってくる。一口目から多幸感が口の中から溢れた。掛け値なしに美味しい。
「うまい、うまい」
スプーンを動かす手が止まらない。
『ウメェ! ウンメェ! イソフラボンだぜェ!』
ワームも大豆を貪り食った。普段、そんなに悪いものを食べているのかしら……なんて、ワタシ由来の悪いものだったんだよね。
『知ってっかァ? 大豆の未成熟なものが枝豆なんだぜェ』
知ってるよ。じゃあ虫のムカデって漢字で————、
『百の足って書くんだろォ? 知ってるぜェ』
そう。ちなみに英語でムカデはセンチピード。センチは百。ピードは足。つまり日本の百足と同じなのよ。面白いね。
『知らなかったなァ……』
他愛ない会話をしながら食事をしていると、離れた席で控え目ながらも鋭い悲鳴が上がった。
『なんだァァ?』
食べる手を止め、そちらを見やる。
マダムの二人組だ。呼ばれる前に店員さんが駆けつける。
「どうされましたか……?」
「ちょっと、コレ……!」
店員さんの顔が一気に青ざめる。
「もッ、申し訳ありません!」
店内の意識がそのテーブルに集まる。
『見てくるわァ』
ワームが左手から消えた。
便利なカラダだ。
すぐ戻ってきた。
『ヒッヒッ! アンナぁ、あのオバさんのサラダによォ、ちっこいナメクジがたくさんいやがったぜェ! レタスにくっついてんだよ。きっと何匹か食っちまったに違いねェなァ! 変わったスパイスねナニかしらってなァ! イィィヒッヒッヒッ!』
レタス…………?
怒りに火のついたマダムたちが凄まじい勢いで店員さんに怒鳴っている。
サラダって、前菜として先に運ばれてきたやつじゃん。
『アンナも食べてたなァ。でも安心しなァ。こっから見てたがそんな不届き者はいなかったはずだぜェ?』
想像してしまう。ワタシの喉や、気管、肉体に溶け込むように横たわるナメクジを。
「お水、失礼します」
前髪の厚い男性店員が、スッとワタシのグラスに水を注いだ。
「あ、どうも」
さっきの店員さんとは違い、彼は落ち着き払った態度で他のテーブルも回る。
胃酸なんかにナメクジが耐えられるとは思えないけど、不快感を押し流すためにワタシは注がれたばかりの水を口にした。
『ん? 待てアンナぁ!』
鼻をついたキツい匂いとワームの言葉のおかげで、ワタシはその液体を多く飲まずに済んだ。
「ガァはァッ!」
それでも喉には、まるで砂混じりのゼリーで撫でられるような痛みがあった。
呼吸するたびに耐えがたい悪寒が走る。
「どうなさいましたか」
水を注いだ男がワタシにたずねた。
「お客様?!」
ナメクジサラダの対応をしていた店員さんもこちらへやってきた。苦しむワタシを前にして冷たく笑う男に強く迫る。
「どうしたんだコレはいったい?!」
「さぁ?」
ふざけんなよ。
ワタシはグラスの水を、とぼけた返事をした男にぶっかけた。他のテーブルの客に叫ぶ。
「これは毒だ!」
トイレへと駆け込んだ。
中のものを吐き出そうと洗面台にかじりつくように屈んだけど、栓をされたような感覚が邪魔をした。
「苦しい……!」
蓋の閉じた便座に倒れるようにして座り込んだ。
これ、ワタシが嘘でもやろうとしていたことか。
顔が熱くなる。目を閉じると、こんな時に地下アイドルをやってるとかいうあの女と、アイツの顔が浮かんだ。
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