キャンディアンツ、2



◆2



 バイトを終え、下北沢の町をひとり歩いていく。12時近く、終電が無くなり始めているのに、夏の夜は浮かれた輩でいっぱいだった。この町のそこが好きだし、そこが鬱陶しい。


 大学生が多い。つまり同い年ぐらいの若者だ。


 羨ましいな


 素直にそう思う。


『あんな男が好みなのかァァ?』

 ワームが言った。ほらアイツだよ、と彼が示す方向にいたスーツ姿の男は地面に反吐をついていた。


 んなわけないじゃん。


 突如、男が夜空に向かって叫んだ。

「おれは働き蟻だー!」


 ツレであろう男たちが泥酔した仲間をなだめる。慌てるフェイズは終わり、もうみんな呆れ返っている。


 彼らの横を通り過ぎようとすると、えずいていた男がハッと顔を上げ、ワタシとバッチリ目を合わせた。


「さぞ楽しいだろうな! お前らはさ!」


「おい、やめろよ」


「たった一個の飴玉ごときで馬車馬のごとく働かされる気持ちがわかるか!」


 馬車馬って、働き蟻とどっちだよ。


 ねぇ? ちょっとアイツの喉で踊ってきて、更に吐かせてやってよ。


『ヤなこったァァ! ゲロまみれになっちまうよォ! 絶対やらねェぞォ』


 大学に行けなかったフリーターのワタシに言うのはお門違い。


「かわいそう」

 たっぷりと憐憫をこめて言い放った。


 男はキョトンとしてから、「なっ、なんだと!」と色をなした。


 ワタシもさすがに早歩きでその場を去った。


『あんなこと言って怒らせて、また連れ込まれてヤられそうになっても知らねェぞォ? 次は助けるか分からないってことだァ。男の股間にぶら下がるのなんて、アンナだって嫌だろう?』


 あんなに酔ってたらアンタがいかなくても使いモノにならないでしょ。


『イィィヒッヒッヒッヒッ! そりャァそうかもなァ』


 気が向いて、少し遠回りだけど、いつもは通らない道を行った。


 住宅街、少し唐突な感じで神社が現れる。ワタシは大きな石の鳥居をくぐって、児童公園になっている広場のベンチに腰を下ろした。


 離れたところに大学生らしきカップルが座っていたが気にしない。コンビニで買った缶酒の栓をあけ、半分ほどまで一息で飲んだ。


 はぁ。


『うんんんめェェエ!』

 ワームは飲み口のフチからこぼれた人工甘味料たっぷりの安酒に歓声を上げる。


『ハァァ……知ってっかアンナぁ? 37をかけ算していくとよォ、1000までの3桁のゾロ目を全部とおるんだぜェ』


 知ってる。


『じャァ、数字を英語読みした場合、aを使わなくても999までは数えられるって知ってっかァ?』


 うん。


『物知りだなァ、アンナはよォ』


 妄想虫め。


『だからちげえって言ってんだろうよォ』


「ねぇ。ワタシは疲れてちょっとヤになってる。ワタシのこと好きなんでしょ? 慰めてくれるとかないの?」


『そのままのアンナが好きだぜェ』


「げーっ、なにそれ」


 わざと顔を背けた。そして視線の先、地面にうごめくもの見つけた。


 大きな緑のイモムシがいた。砂粒のように小さな蟻にたかられている。かなりの数だ。イモムシは砂漠に匹敵するであろう地面を必死に這っていた。希望もなく逃げ惑うイモムシを見ながら、ワタシは笑った。


『兄弟よォ……』


 ワームが萎びる様もおかしくて更に笑った。大学生のカップルが一人で笑うワタシに恐れをなしたのか、そそくさと公園を出ていった。


 ひとしきり笑って、何が可笑しいのか分からなくなった。


 確かなことは、ワタシがいつのまにか、イイ性格になっていることだった。


 ぼーっと蟻の行列を眺める。


 足音とビニール袋がこすれる音が近づいてきた。


「こんなところにいたの、アンナ。……ちょ、なにこれ、キッモ」


 小蟻たちの行列をブーツサンダルが蹴散らした。


 顔を上げると、渋谷で会えなかった澄子が立っていた。手にはワタシと同じ、安い缶酒を持っている。堂々としたたたずまいの、薄いサングラスをかけた真夏の夜のギャル。


「澄子」

「よっ」


 彼女は缶酒に口をつけると腰をかがめ、「ぷぅーッ!」と霧を吹いて蟻たちにかけた。


「なにしてんの?」


「毒霧」


「そうじゃなくて、こんなところでさ」


「アンナ、今日バイト昼間だけでしょ? だから遊びに来たんだけど、LIME返事ねぇし、家にはいねぇし」


「バイトがランチ上がりなのは明日だけど」


「まじ? じゃ通信障害かな? あたしには今日だと表示されてた気が」


「通信障害はおととい? つかそれカンケーねぇし」


「おとといだっけ? じゃあ昨日は?」


「昨日もカンケーねぇし」


「なんでもいいから部屋いこーよ。蒸し暑いったらないわー」


「わかったって」


 澄子が来ただけで空気が変わった。


『コイツが澄子かよォ。なんだか居心地の悪い女だなァァ』


 ワームが縮こまった。人間と同じで、苦手な相手がいるらしい。


「ねぇ澄子、これどう?」

 ワタシは左手を見せた。


「なにこれ……?」

 澄子はジッと中指のあたりを見つめる。


『な、なんだよォ……この女ァァ』


「んんっ?!」


『この女ァァ!』


「見えるの?!」


「あ、サングラスが汚れてるだけだったわ」


 ひな壇芸人ならずっこけているところだ。


「ただの左手だけど」澄子はサングラスを服で拭う。「なんなの?」


「実は————」

 ワタシは中指に寄生した醜悪なイモムシについて事細かに話した。


「なるほどねー」

 アパートに着き、電子タバコを一口吸うと、澄子は全て納得したようにもらした。


「どう思う?」

 恐る恐るたずねる。


「うん。あんた、働き過ぎ」


 あっさりした答えだった。


「アンナは根つめて働き過ぎ。前から思ってたけど、リラックスすることも考えないと。なんだか最近アンナ、人が変わってきたよ」


「そうかな」


『働き過ぎだってよォ! イィィヒッヒッヒッヒッ!』


「じゃあこのウザい笑い声も聞こえないんだね」


「聞こえない。見えない。感じない。でも信じてるよ。あんたがナメクジに取り憑かれたって」


『イモムシだバッキャろう!』


「馬鹿野郎だってさ」


「バカに取り憑かれてんの?」


『ちげェー!』


 澄子が信じてくれたことを、ワタシは信じた。


 高3の時だったか、ワタシが友人に「横山流星がドラマで撮影してる」と騙されたことがあった。ワタシは横山流星が大好きな澄子に伝えた。すると澄子は疑いもせず、2時間も自転車をこいで嘘のロケ地に行った。高2の時に幽霊を見たかもしれないと言っても澄子だけは信じてくれた。


 澄子は決してワタシのことを疑わない。それだけ向こうから信じられているし、ワタシも彼女を信頼していた。


 多分だけど、「街がゾンビで溢れかえっている」と伝えたら、すぐさま彼女は手製の武器と防具を身につけ、スーパーマーケットに突入する準備をするだろう。


 だから、「働き過ぎ」と至極シンプルな答えを返されても、ワタシは怒ったりはしなかった。


 むしろ納得した。


 人が変わってきた、という言葉も救いだった。


 前と変わらないと言われていたら、傷口に塩だったし。


『オレぁこの女どうも苦手だからよォ、ちょっくら眠るわァァ。水入らずで楽しめやァ』


 手が普通に戻った。ワームが消えた。


 一過性だけど、澄子はヤツを消してしまった。


「まぁ飲めや、澄子姫」


「くるしゅうない。ところで着替えたいんだけど、あの黒のスウェット貸してー」


「アイツのヤツだからとっくに捨ててるよ」


「よくそんなスパスパと切り離せるよねー。トカゲの尻尾みたいにさ」


「それまた生えてくるじゃん」


「思い出とはそういうものさ」


「捨てられない女め」


 明日の仕事に響かないよう加減して、ワタシは澄子とお酒を楽しんだ。


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