第10話 秋雨前線

 …――焼き肉。寿司。ケーキ。もちろん酒。etc。


「なにさ」


「別にぃ」


 顔を上に向け、何かを我慢しているような彼氏さん。


 ククク。


 微かにも、そんな小さな声が、漏れ聞こえてきます。


 その肩が、微かに震えています。まるで笑いを堪えているかのよう。いやいや、なにかを企んでいると、そう思われても仕方がありません。もちろん、単純明快、豪放磊落な海猫さんも、簡単には騙されないようで黙って固まっております。


 そそっ。


 いつものように原稿に向かう海猫さんの前にずらっと並べられた、それら飲食物。


 これらは全ては、海猫さんの大好物なのであります。


 決して、一人では食べきれないほどの量なわけです。


 もちろん用意したのは彼氏さんです。


 先ほどまでの怪しい態度が一転して、


 ニコニコと屈託のない笑顔で海猫さんを見つめます。


 方や、それが怪しいとばかりに、一切、手をつけようともせず、警戒態勢な海猫さん。ともすれば毒でも入っていて無理心中を狙っているのかとも考えてそうです。まあ、いきなり、なんの理由もなく、なんの前触れもなく、意味不明なまま……、


 自分の好物が並べられれば、海猫さんでなくても、いぶかしむのは当然でしょう。


 はてさて、一体、なにが在ったのでしょう。うむむ。


 それは海猫さんも感じていたようで理由を考えます。


 悶々と。


「この前、あたしが送った新人賞は、かすりもしなかったし、あたしやあんたの誕生日とか、記念日でもないし……、本当になんなんの? まったく意味が分からん」


「別にぃ」


 彼氏さんは、そっぽを向いて、わざとらしくも口笛を吹き出します。


 また少しだけ、肩が震えてきて……。


 ククク。


 と小さな声が漏れて聞こえてきます。


「怪しいわさ。明日はワシの命日か?」


 海猫さんの表情も変わらず、むしろ怯えさえも纏い、眼前の好物を睨み付けます。


 ズズズ。


 一回だけ鼻をすすり答える彼氏さん。


「まあまあ、気にするな、海猫。これは買ってきたもんだ。だから毒も入ってない。酒でも飲みながら盆と正月を愉しめ。もちろん、俺のおごりだ。食え食え、ほれ」


「ほれとか言われても、……怪しくて食べられないわ」


 あんたに、そんな事を言われるとさ。


「だから深く考えるな。たまには、お前を甘やかしてやろうかなとか思っただけだ。本当に意味はないから、なにも考えず、食って飲め。俺も食って飲むしな」


 それでも嫌な事をされた野良猫よろしく、じりじりと体を後ろに傾ける海猫さん。


「おお、小生、お前も食うか。いいぞ」


 遂には小生さえも、なにやら怪しげな儀式に誘ってくる、彼氏さん。


 食べたあと生け贄にされかねません。


 恐い恐いなのですわよ。


「てか、たっぷり、あるからな。みんなで食って飲んで騒ごうぜ。たまにはなッ!」


 アハハ。


 なんて笑っていますが、


 いくら、うかつな小生とて、やはり、おいそれとは手が出せません。


 なにしろ彼氏さんは超現実主義者で合理的な方なのです。基本、考えなしで行動する海猫さんとは真逆で損得勘定にも、うるさい方。なんのメリットもなしに他人(……もちろん海猫さんも含む)に飲食を振る舞うなんて事は……、


 たとえ、数秒後に人類が滅亡しようともない、とさえ断言できます。


 それは、


 小生はもちろんの事、海猫さんも熟知していますから、もう本当にヤバいほどに怪しくて、気軽に焼き肉くん達へと手を伸ばせないわけです。しかも俺のおごりとまで言っていますしね。その言葉達が恐いのです。心底。何か在る。間違いなく。


 と……。


「やっぱり明日はワシの命日だわ。一切、間違いなく」


「もう、そんな事ばかり言ってんじゃねぇよ。たまには俺だってな、何も考えずに、お前らにおごりたくなる時もあるんだよ。食わねぇなら、俺が、全部、平らげる」


 そこまで聞いてから海猫さんが彼氏さんの顔を、じっと見つめます。


 ハッと微かな違和感に気づいたかのような表情です。


「お主、めんたまの端の、それは……」


 途端、今まで上機嫌に見えた彼氏さんの表情が一気に暗く曇ります。


「バカ野郎。それ以上は突っ込むな。俺はツッコミなんだよ。突っ込まれるのは慣れてねぇ。そんな事はどうでもいい。とにかく食って飲んで嫌な事は忘れようぜ」


 そうして、彼氏さんは、


 吹っ切るよう、また笑みを魅せます。


 その時は、すでに肩も震えてなく、全身で喜びのようなものを表現していて……。


 でも、逆に、なんだか小生は、少し寂しい気分にもなってしまって、


 それが、なんなのかが分かりません。


「うむっ」


 そこで、うむっなどと如何にも、ひとかどの武将が言いそうな頷きの海猫さん。


 そして、


 全てを悟ったかのよう彼女も吹っ切れたように……、


 何も言わず、何も聞かず、並べられた豪勢な食事と酒を、一気にガツガツと食べて飲み始めます。美味いのう、などと、また武家の方が言いそうな感想を述べて、笑顔で、がっつきます。まあ、ならばとばかり、小生も、ごちそうになります。


 美味い。


 と……。


「本当ならば、海猫の受賞パーティーか、俺の打ち上げかで食って飲みたかったけどな。まあ、でも、それの先取りって事で。食え食え、飲め飲め、沢山あるからな」


 と彼氏さんが言うと海猫さんと小生は口に食べ物を入れたままで、うなずきます。


 うまうまと一心不乱に食べながらも。


 そして、


 なにも考えずに食って飲んで、騒いで、その日は……、平和に暮れていきました。


 何事もなく平々凡々に、でも盛大に。


 ワハハ。


 飲めッ!


 飲めッ!


 食えッ!


 食えッ!


 騒げッ!


 と……。


 でも、そこには哀しい理由が在って……、盛大に騒いだからこそも哀しくて……。


 これは、あとで海猫さんから聞いた話なのですが、彼氏さん、劇場の方から漫才に対してダメ出しをくらい、それどころか、ダメ出しに抵抗して喧嘩になり、どうやら劇場出入り禁止にまでなってしまっていたようです。それを聞いて小生も……、


 ああ、だからなのかと納得しました。


 ただ、あの時点で、お主、めんたまの端にと気づいた海猫さんは、やっぱり、彼氏さんを愛しているんだろうなって、ほっこりすると同時に、ちょっとだけ焼き餅を焼いてしまいました。あの宴会のあと、一応、合体もしたようですしね。おほほ。


 まあ、そんなこんなで、小生が、次に海猫さん達に会いにいった時は、既に……、


 なにかもが普段通りで、平和でした。


 でも、やっぱり、小生は、この普段通りな海猫さん達が大好きなんだろうなって。


 なんてゴチな小生から報告でしたッ!


 丸ッ!?

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