第2話 あなたの未練は何ですか?

「はぁ、はぁ、一体なんなんだよ、あいつらは!」


 僕はえっと……そうだ!確か家でアレをやってたはず!


 なのにどうして目を開けたら道端にいるんだよ!


 と、とりあえず早く家に帰ってこれからの事を考えないと……。


 幸いぐっすり寝たのか体もなんだかすごく軽いし、体力も無尽蔵にあるように感じる。


 最近睡眠をおそろかにしてたせいか、体が重くて体力も無かったんだ。


 まさか睡眠をしっかりとるだけでここまで変わるなんてな。


 よし、明日からはしっかりと睡眠をとるぞ!


「っと、あれ、もう家に到着したのか」


 そんな事を考えていると、気づけばもう自分の家に到着していた。


 ボロアパートのタツミ荘、そこの203号室が僕の家だ。

 僕は錆びて今にも壊れそうな鉄の階段を上がり2階にのぼる。

 その時何故かトントントンという階段を登る時になる軽い音が聞こえなかった気がしたけど、まあ気のせいか。


 僕はいつも鍵を入れている右ポケットに手を入れ、鍵を取り出す。


 取り出す……とりだ……とり……。


「どこだ僕の鍵!?」


 しかし、何故か鍵はそこに無かった。

 どこかに落としたかなと一瞬思ったけど、それも可能性としては薄い気がする。


 落としてもすぐ気づくように鈴もつけて、大きめの熊のようなキーホルダーだってつけていた。


 だから走っている途中に落としたとしてもすぐに気づくはずなのに……。


 はっ! まさか何処かで奪われたんじゃ!?


 そういえば何故か家の外にいたし、誰かに外へ運ばれてその最中に奪われたんじゃ……!


「見つけたぞ! 大人しく成仏しろ!」

「う、うわっ! もうきたのか、あのやばい宗教勧誘! くそ、ええい!」


 僕が少し前の記憶を遡らせていると、もうすでにさっきのやばい宗教勧誘の男女が、ボロアパートの階段を登ってすぐそこまで迫っていた。


 あれ、女の方は浮いているような……。


 い、いやそんなはずはない。

 確かに男の方は作業服のような上下白の格好をしてるのにも関わらず、女性の方はセーラー服。


 状況的に女の方は浮いているけど、僕が見間違えたのは比喩ではなく物理的に浮いているように見間違えたんだ。


 って誰に説明してるんだ僕は!


 というかそもそも人間が物理的に浮くわけがないだろう!

 馬鹿なことを考えてないで、すぐに奴らから逃げる策を考えないと……。



 はっ! そうだ!


 睡眠をしっかりととった僕なら、なんでも出来る気がする。


 きっとこの扉を蹴破ってダイナミック帰宅する事だって可能だ。


 自宅に戻れば隠れながら逃げられるし、いざとなれば武器だって手に入れられる。


 それに最終手段、住居不法侵入で警察を呼べばもうそれで僕の勝ちだ!


 そうと決まればさあやるぞ!


 今すぐやるぞ!


 今の僕には睡眠という覚醒イベントによって手に入れた、無尽蔵の体力と羽のように軽い体があるんだ!


 もう、何も怖くない!


「おりゃぁぁぁぁ!」


 僕は全身全霊のショルダータックルをマイドアにかまし、物理的にオープンザドアをする。


 そうすれば当然帰ってくるのは、ガシャン!という大きな音と、それに見合った強い衝撃だ。


 僕はその衝撃に備え、目をつむり歯を食いしばった……のだけど。


 体に僕の肩には一切衝撃など訪れず、それどころか大きな音すらも帰ってくる事はなかった。


 スルッ……。


 そのかわり僕の体に訪れる感覚は、まるで発酵させたパンのガス抜きを行うかのような、ふんわりとした感触だけだった。


「あ、あれ?」


 どうしたのだろう、僕は帰宅に失敗したのだろうか。


 それとも目の前のドアが実はどこ○もドア的な感じでワープしてしまったのだろうか。


 けれど目の前に広がる景色は、カップ麺の容器でパンパンになったゴミ袋が数個と、捨て方が分からずに放置してある破れた長靴などの不燃ゴミ。


 そう、今僕がいるのは、役目を捨てゴミ置き場へと変わり果てた、見慣れた悲しき玄関。


 そしてそのゴミに群がる無数のコバエどもが、僕の帰宅を激しく迎え入れてくれる。


 ただいま、マイルーム。

 ただいま、マイファミリー。


 だけどすまない、いい加減マイファミリーどもは自立してくれないだろうか。


 っていや、それどころじゃない。

 ついつい現実離れした出来事に、自宅の悲惨な現状を客観視してしまった。


 大掃除の計画はまた後。

 今はその現実離れした出来事を整理する事が大事だ。


 とりあえず、僕が玄関に入ったのであれば鍵は空いているはずだ。


 まずは鍵を閉める所から始めよう。


「あ、あれ?」


 冷静な判断で鍵を閉めようと思い振り向くが、何故か扉の鍵は閉まったままだった。


「あれ、僕鍵なんて閉めてないぞ……?」


 しかし鍵が閉まっているのなら中にも入れない。


「ど、どうして? なんで鍵が閉まってるんだ? ……っ! ま、まさか!」


 そうか、僕は……、僕は……!


 僕はどうやら睡眠をとる事によって、すり抜けの魔法まで手に入れてしまったようだ!


 ああ、なんと言う事だろう。


 僕はとうとう人間を辞めてしまったようだ。


 さよならお父さん、さよならお母さん。


 僕はチート主人公として、これからの人生を謳歌し――


「……え、あれは、僕……?」



 さよならお父さん、さよならお母さん。


 僕は何故か、パソコンの目の前で息絶えてしまっていました。



♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



「見つけたぞ!」

「――っ!」

「あ、こら!」


 見つけた幽霊は何かを決心するように、目の前の扉に向かってショルダータックルをかました。


 その勢いといえば、まるでプロのアメフト選手が殺意を持って人体を壊すようにタックルをするような勢いだった。


 しかし幽霊は質量を持たない。


 その勢いは決して扉に向かう事なく、そのまま扉と一体化するようにすり抜けていった。


「くそっ、すり抜けられたか」

「きゃ、きゃぁ! すり抜けた!? ど、どうするの? コウはすり抜けられるの!?」


 サナは目の前の現象に目を丸くし、怯えたような声でそんな質問をしてきた。


 その目はまるで幽霊でも見たような……って、まあ幽霊なんだけどね、さっきのは。


 でもすみません、あなたも幽霊である事を忘れないでいただきたい。


「いやサナも幽霊だからすり抜けられるよ、そして案内人の俺も、もちろんね」


 俺は怯えてガタガタと体を震わせるサナを無視して、空間に裂け目のような物を開ける。


 この裂け目は空間転移術という方法で開けたものだ。


 輪廻転生の技術の応用で、空間と空間を一直線で結ぶことで物を瞬間的に移動させる事ができる。


「な、なにそれ! あっ、それってもしかして異世界転生で使う空間魔法!?」

「惜しい、これは空間転移術、そんでもって……」


 俺は空間転移術でつなげた仕事道具置き場から、今必要な仕事道具を取り出す。


 案内人の業務上、幽霊が逃走を図る機会に出くわす事は日常茶飯事である。


 しかも相手は幽霊なので浮いたりすり抜けたり、縦横無尽に逃げ回る。


 だからこそ案内人はそんな理不尽な鬼ごっこに勝てるように、サナの言葉で言うチートアイテムなるものを授けられている。


 強制成仏のお札もそのチートアイテムの1つだ。

 そして今回俺が使うチートアイテム、もとい仕事道具は……。


「こういう時はこれを使う! 幽体化スプレー! このスプレーを体にかけると、幽霊と同じように通り抜ける事ができるんだ!」

「おお! まるでドラえ――」

「おっと、それ以上はいけない」

「アッハイ」


 この幽体化スプレーは、見た目こそゴキ○ットのようなスプレー菅の形だが、見た目からは想像ができないほどとんでもない力を秘めている。


 シュシューと体に一振りしてやれば、たとえどんな壁であろうと通り抜ける事が出来る上、通り抜ける壁は自分で選べるというものだ。


 つまりすり抜けるからといって問答無用で床から落ちるないし、幽体化しつつも壁を利用した捕獲だって可能だ。


 さて、幽体化した体でこの扉をすり抜けるぞ。


「お邪魔しま……って、汚っ!」

「キャァ! ゴ、ゴキブリ!」


 ハエも無数に飛んでいるし、ゴキブリもカサカサとゴミ袋をロッククライムしている。


なんだここは、新しい虫専用のアトラクションパークか。


 とりあえずさっさと幽霊を見つけてこの場から立ち去ろう。


 サナがもう死んでいるというのに、今にも死にそうな顔をしてるしな。


「いい加減観念して成仏してくださ――」

「僕……死んだんですか……?」

「……」


 幽霊となった男性は、目の前にある死体に目線を向いたままそう呟いた。


 死体は机にのったノートパソコンの前で、絶望に顔を歪ませてながらパソコンを抱えるように死んでいる。


 死後硬直が強く握りしめられたパソコンは基盤を曝け出していた。


 握りしめている死体には死因に繋がるような目立った外傷はないが、腕には破損したパソコンの破片で傷ついたのか、血の流れていない傷口が出来ており、そこに無数のうじ虫が集っている。


「はい、あなたは死亡しました。原因は……不明ですがあなたはその一生を真っ当したのです」

「はは……真っ当……ね」

「はい、なのでどうか、この世の未練を捨て去り輪廻の輪に向かってください。私はそのサポートを行います」

「そうですか……あなたは宗教勧誘でもなければ頭のおかしい人でもなかったんですね」

「……はい、いたって正常です。」


 一体この男に俺はどんな評価をされていたんだ。


 確かに発言全てを振り返れば、まあ何もいえないのだが、それでも時と場合をわきまえて欲しい。


 つまるところ、もう少しシリアスに会話をしろと言う事だ。


「なら……あなたは死神ってやつですか?」

「は?」


 男性は真剣に俺の目を見つめ問いを口にする。


 まだ勧誘と思っているのかと少し思ったが、この発言は彼なりに死を受け入れての事なのだろう。


 青白く染まった自分の体を見てもなお、その場から立ち去らず俺に質問を投げているのがその証拠だ。


 なら俺も真剣に答えるべきだろう。


「私は死神でもなんでもありません。ただの案内人です。私の案内に従えばあなたはすぐに輪廻転生の輪に乗り、新しい一生を手に入れられます」

「そう……ですか、では案内人さん。早く僕を転生してください。まともな死に方をしなかった、クソつまらない人生から今すぐにでも、おさらばしたいんです」

「……分かりました。ではあなたをこれから成仏させます。ですがその前に……」


 俺はそこで言葉をくぎり、サナに目をやる。

 サナは俺の視線に気付いたのか、ハッとすると小さく頷き意識を男の幽霊へと集中させた。


「あなたはこの世に、未練はありますか?」

「未練? ……まあ、そりゃあ……少しくらいは……」

「ではその未練を解決してから輪廻転生に向かいましょう」

「えっ?」

「改めて問います。あなたはこの世に、どんな未練を残してますか?」



♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 未練とは主に生きているうちに出来なかった事を指す。

 その内容はその人の人生から生まれるものであり、決して同じ内容の未練など存在しない。


 だが、所詮は同じ人間だ。

全く同じ内容の未練は無くとも、根本的に見れば似たような未練を抱いている。


 冴えない男であれば死ぬ前にデートをしたかったとか、金持ちであればきちんと遺産相続をしたかったとか。


 だからこそ、これから先様々な未練を見ればサナも自分の未練を思い出す事ができるかもしれない。


 そう思っての研修でもあるのだが……。

 今回の未練はサナとは無縁のようだ。


「くーーーっ! い、一度やってみたかったんですよね! 豪遊ってやつを!」

「そうですか、未練を無くせそうなら良かったです。あ、確変が来ましたね。いま箱持ってきます」

「ありがとうございます!」


 この男が残した未練は豪遊。


 生前は大層貧乏な暮らしをしていたようで、その日食べるものすら困っていたという。


 だからこそ、生前では貴重な生活費を娯楽費に回す事などできず、今夢中に遊んでいるパチンコも夢のまた夢だったようだ。


「ううう、うるさいなぁ」

「ははは、まあ勘弁してやってくれ。これが彼の未練なんだ。転生前くらい好きにやらせてやろう」

「まあ我慢くらいするけど……本当にいいの? パチンコなんてやらせて」

「ん? どういう意味だ?」

「どういう意味も何も、お金よ。今彼が使ってるお金はどこから出してるのよ」

「あぁ……」


 パチンコを始めてから数時間。

彼はどうやらギャンブルに才がないのだろう。

 既に十万は溶かしているようで、やっときた確変もすぐに終わりまた千円札を投入している。


 まるで札束を湯水のように使う彼に、サナは怪訝な顔を示していた。


「あのお金も仕事道具だから気にしなくていいさ」

「それって、幽体化スプレーと同じって事?」

「そっ、彼が使ってる札束は、黄泉の諭吉っていう仕事道具でね。あのお金を使った結果得られた全ての事象は現世では無かった事にされるんだ」


 黄泉の諭吉。

 名前はふざけているのかと問いたくなるようなものだが、この道具も幽体スプレーと同じように、れっきとした仕事道具だ。


 見た目はただの一万円札で現世でも通用する。

 しかも現実のお金と違い、使っても無尽蔵に湧いてくる。


 だが、悲しいかな。

説明通りこのお金で物を買っても翌日には無かった事にされる。

 買った物は元の位置に戻るし、当然釣り銭も持ち主の元に移動する。


 つまり、たとえ黄泉の諭吉でパチンコを大勝ちしようが翌日には全てパーだから無意味な時間となる。


 まあ勝てそうにない彼にその説明は不要そうだが。


 ちなみに黄泉の諭吉は近々名前が変更される予定らしい。


「なるほど……じゃあ経済とかにも影響はないって事なんだね」

「そういう事。便利だろ?」

「確かにねー。ってあれ? そもそもどうしてパチンコなんて出来てるの? 私も彼も幽霊でしょ?」

「あ、今更そこに気づくか……なんか気になるポイント変わってるな……」


 俺はサナからの質問に答えるため、目の前にある綺麗に積み立てられた箱の塔を思いっきり殴ってみせる。


「きゃぁー!? そんな事したら崩れてっ……てあれ?」


 サナは目の前で起きた事象に首を傾げていた。


 それもそうだろう。

 俺の拳は塔を破壊するでもすり抜けるでも無く、塔にちょこんと触れて停止するだけなのだから。


 もちろん箱の塔はそんな衝撃にはびくともせず、立派に佇んでいる。


「サナも俺も、つまりは幽霊も案内人もこのように現世には干渉ができない。けれどこのイヤリング、もとい現世転生の輪をつければ……」


 俺は周りに人がいない事を確認して銀色のイヤリングを1つ、右の耳につける。


 そして今度は殴るのではなく、1番上の箱を取ってみせた。


「こんな感じで現世に干渉できる様になるって事さ」

「おー! あ、そういえばパチンコ屋に入る前に何か付けさせてたような……」

「おいおい、しっかりと俺の仕事を見てるのか? ……まあいいか」


 俺は右の耳に付いているイヤリングを触って見せて、驚くサナに得意げに説明をする。


 側から見れば意味のわからない独り言を発しているヤバい奴だが、幸い今は平日の昼間。


 人通りが少ないせいか、この会話に意識を向ける人間は全くいないようだ。


「あはは……ごめんなさい……。でも実体化なんてそんなホイホイとしていいの?」

「ああ、問題ない。黄泉の諭吉と同じように、実体化して誰かに見られても、外した瞬間目撃者の記憶から目撃という記憶が抜け落ちる。便利だろ?」

「便利っていうか、ここまで来るとご都合主義っていうか……」

「う、うん、分かっても言わないで欲しかった……」


 俺はある程度の説明を終えた後、感心するサナを放置して、パチンコ球入れの箱を彼の元に持っていく。


 だが行き先はギャンブルの才がない彼の元だ。

 俺が手にした箱はどうやら役目を果たせそうにない。


「あ、ありがとうございます。でも確変が……」

「ははは、確変なんてまたいつでも来ますよ、それでどうですか? あなたの未練は解決しそうですか?」


 俺は彼の隣に箱を置き、横の台に座る。

だが別にパチンコをやるって訳ではない。


 突っ立って話すより、お互い座って話す方が彼も話しやすいと思ったからだ。


「ど、どうでしょう……解決したような、してないような……うう、すみませんお金まで貰っておきながら申し訳ないです……」

「お金なら気にしないでください。それよりもまだ成仏出来ないのであれば、おそらくお金の使い方が違うのでしょう。豪遊の方法を変えましょうか」

「ははは……そうですね、わ、分かりました」


 彼は苦笑いしながら席を立ち、半分にも満たない程度に球が入った箱を持つと、やる気がないパチンコ台から離れて交換所まで向かっていった。


 その後すぐに変わって座った人間が、確変を起こしパチンコ球入れを3つほど満タンにした事は、決して言わないと近くで見ていたサナと誓い合った。

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