第42話

 

「……我が名は【キマイラ】。魔王が無きこの世界を統べる者だ」


 ひとつの身体に獅子、山羊、蛇の頭を有する魔神は自らをキマイラと名乗った。

 口元では未だに炎が燻り、辺りの気温はいつしか灼熱の大地へと変貌している。草木は焼き払われ、閑散とした平原に佇む様はまさに魔神と呼ぶに相応しいだろう。


「魔神……キマイラ」


 あまりの強大な存在に楓矢は思わず身体を後ろに引く。普段から相手にしていた魔物など比較にならない。本能が逃げろと叫んでいる。


「に……にげ、逃げようぜ二人とーーーー」


 しかし、そんな相手を前にしても剣を構えたままのリアン、そして詠唱を続けるミリアの背中を見て楓矢は言葉を途中で押し殺した。


(あれ……俺、今なんて……)


 込み上げてきたのは情け無さ、加えて激しい自己嫌悪。

 グランライノセスを倒そうと息巻いていた自分はどこに消えた? 苛烈さを増す戦いなど街を出た時には想定出来ていた筈だろう。

 なのに魔神を見た瞬間、逃げようとした自分が居る。馬鹿か、俺は魔王を倒す為に世界に召喚された勇者だぞ。


「くそッ……!」


 震える手を握りしめつつ、リアンから渡されたショートソードに手を掛けた。


「生き急ぐなよ楓矢、相手は魔神だ」

「……あ、ああ」

「まずは距離を取ったまま相手の出方を伺うよ」


 先頭にリアンを据え、後方からミリアが援護に回る。

 剣士と僧侶にとっては基本的な配置であるが、キマイラの攻撃パターンが不明瞭な内は攻めに転じる事は出来ない。先の炎に対するリアンの奇襲も二度は通用しないだろう。

 慎重かつ的確な判断。強者と相対する時はそれらが常に求められるが、楓矢だけはキマイラの圧力に押し負けていた。


(落ち着け、落ち着け俺!)


 震えは未だに止まず虚勢だけで立っているのがやっとだ。


「……勇者くん、少し退いてて」


 それに気付いたミリアは前に出ると、楓矢の前に【シールド】を発動させる。加えて一枚、さらに一枚、合計で三重の【シールド】を展開させた。


「ミリアちゃーーーー」

「ごめんね勇者くん。あの魔神相手だと、守りながら戦えないの」

「!?」

「今は私とリアンに任せて……相手が悪すぎる」


 頬を伝う汗。

 炎による暑さだけでは無い、化け物を前にした恐怖と戦慄からくる汗だ。

 リアンも表情を険しくしたままキマイラに視線を結んでいるが、一瞬でも隙を作れば噛み殺されるだろう。一縷(いちる)の油断が死を意味する。


「素直にミリアの指示を聞いておけ。私も……生きたまま帰れる気がしない」

「リアン……お前」


 目を凝らせばリアンも手が震えていた。

 Sランク冒険者とはいえ魔神を相手にするのは初めてだろう。いくら死線を潜り抜けてきた冒険者であれど恐怖を抱かない訳では無い。

 だが戦線に立つ以上、後ろに控える仲間を残して敵に背は見せられない。リアンは父の教え通り、キマイラを相手にしても怯む事は無かった。


「……騎士団の連中は随分と悠長らしいな。キマイラ、今頃お前を倒す為に精鋭達が集まっているぞ」

「我を倒す? それに精鋭だと?」


 リアンの問いに対し、キマイラは遥か背後を一瞥するとククッと笑った。


「あの連中か。数だけは揃えてきたらしいが、いかんせん弱い人間ばかりだった」

「なんだと……?」

「半分は喰い殺したが残りの半分は逃してやった。魔王亡き今、我という新たな支配者の存在を流布させる為にな」

「まさか……王都の剣士すらも手が出なかっただと!? 高ランクの冒険者もいた筈だ!」

「我にとって人間の判断はつかぬ、ただの肉塊に等しい。辛々逃げた連中も実に滑稽だったぞ」

「……ちッ!」


 騎士団の実力はリアンも把握している。

 本来であれば騎士団と合流した後キマイラを叩く手筈だった。しかし実際はリアンの想定よりも早くに活動を始めており、騎士団とギルド団体は半壊する結果となっていた。


「その中に、巨大なバスターソードを扱う男は居たか?」

「ふん、一々覚えてないと言っているーーーーだろう!」


 山羊の頭から炎が吐き出される。

 リアンに向けて放射線上、足元から頭上へと抜ける様に放たれた熱線は地面を抉りながら襲い掛かってきた。


「こんなものッ!」


 地を蹴って右前方に回避し、転がりつつ体勢を立て直そうと動く。


「甘いぞ人間」


 畝(うね)る蛇の頭が口を開き、今度は横薙ぎに轟々と炎が放たれた。

 炎は上下の動きを抑制するかの様に広がると、畳み掛ける様に頭上より降り注ぐ。


「しまった!?」

「させないよッ! 【フォトンベール】!」


 ミリアの叫びと共に、光の帯がリアンの頭上に具現化した。【シールド】を初級とするなら、この【フォトンベール】は上級魔法に該当する。

 光の帯は折り重なり、やがて頑強な守りを形成。【シールド】より遥かに強固で巨大な加護としてリアンの全方位を囲んだ。炎を受け止めると、光の盾は粒子となって霧散するが、リアンには火傷のひとつも無い。


「ほう、人間風情がやりおるわ」

「……どういたしましてだよ」

「助かった。しかし頭が三つもあると厄介だな」

「うん、私の魔力にもいずれ限界が来る……それまでに何とかしないと」

「…………」


 二人を前に楓矢は言葉を発せずに立ち尽くしていた。


(俺には何も出来ないのかよ! 女の子に戦わせて、ただ見ているだけだなんて……!)


 不甲斐なさから来る怒りに震える。

 だがミリアの言葉を無視して突撃した場合、結果など火を見るより明らかだ。

 きっと俺を守ろうとミリアちゃんは魔力を消費するだろう。リアンだって無茶な攻めをしてしまう筈だ。

 戦力になれないのなら傍観するのが得策なのは事実だ。しかし楓矢はそれを素直に受け入れられずに歯を食いしばった。


(俺にもっと……力があれば)


 拳に血が滲むほど力を込める。

 考えても変わらない。キマイラの攻めに対して、防戦一方な戦況が繰り返されるだけだ。

 現にミリアの魔法で炎は受け切れてもリアンの攻撃は掠るばかり。生き物としての格差。生々しく視覚化された光景に楓矢は絶望した。


「ぐあッ!?」

「リアン!!」


 一瞬、瞬きの間に状況が動いた。

 炎に加え、キマイラは爪による攻撃を繰り出したらしい。

 元々埋められない程の体格差がある。体重を乗せた爪による斬撃は、ミリアの加護すら打ち砕くものだった。


「ちッ、なんて攻撃だ」

「今止血する……動かないで」


 咄嗟の防御でリアンの左腕はザックリと抉られ、夥しい出血が見られる。ミリアがすぐに【キュア】を唱えて致命傷は避けたが、腕の感覚までは取り戻せなかったらしい。


「片手でどこまでやれるだろうな……すまないミリア、攻め時を見誤った」

「ううん、私が魔法で守りきれなかったから……」

「クク、残念だがどちらも間違いだ。お前達人間がどれだけ必死に足掻こうと、我を超えるなど絵空事でしかない。そろそろ腹も減ってきた頃合いだ……お前達の様な人間の女の肉はさぞ柔いだろうな」


 獅子の頭が鋭い牙を見せる。

 形勢は圧倒的に不利。この状況を打破する方法など既に有りはしないと二人は理解した。


「大人しく殺されるものか……せめて首のひとつでも斬り落としてやる」

「うん、そうだね。その前に勇者くんは逃げて」

「な、何でだよ……」

「私達が足止めする。西に向かって走って王都に辿り着けばきっと父さんがいる筈だ。名はヴァン・ハルベルト、きっと力になってくれる」

「お、お前らはどうするんだよ!」

「知れた事、お前が逃げ切る時間を作るまでだ」

「そんな事ーーーー」

「言う通りにして。君は世界を救う勇者なんだよ。こんな所で死んじゃダメ」

「でも……俺、俺は……!!」


 楓矢は膝をつき地面に拳を叩きつけた。

 己の無力さに、情け無さに、それらは大粒の涙となって零れ落ちた。


「何が勇者だよ……何が救世主だよ。目の前の女の子も救えない俺なんかに、どうして勇者の称号を与えた!!」


 天に向かい叫ぶ。

 楓矢はスキルボードを展開し、未だ何の力も与えない勇者の称号に拳を振り下ろした。


「俺は勇者なんかどうでもいい! 今はただ、コイツらを死なせたくないんだ!! 俺の命をくれてやってもいい!! 今だけは、あのキマイラを倒せる力を俺に寄越しやがれェえええ!!」


 キィン!


「……な、なんだ?」


 叫んだ刹那、スキルボードが発光し眩い光に包まれる。

 勇者ランクは30まで上昇すると、スキルボードの光は楓矢の身体をも飲み込んでいった。


「この光は……」

「雄々しくも、温かい光……」


 やがて光から手が伸びるが、楓矢の体を包んでいたのは見た事もない白い装束だった。金の装飾が施された衣服を纏い現れた楓矢。

 その姿はまさにーーーー


「……あれが、本当の勇者の力?」

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