#24 音楽は好きですか

 気まぐれを起こして、幸樹こうきは放置していたスマホの電源を入れてみた。誰とも接触したくなかった。事務所は誰かが射水いみず邸にいるのだから、幸樹が直接連絡を取る必要はない。かつての悪友や音楽仲間も、好奇心から何か言ってくるのではと思うと、怖くてスマホを覗く勇気がなかった。というより、あれから着信音が鳴りっぱなしになってしまったので、恐ろしくてたまらなくなったのだ。テレビもずっとつけていない。例の問題を必ず目にしてしまうだろうからつけるなと、事務所から厳命されたのだ。


 スマホには着信記録やメッセージが嫌になるほど並んでいた。ふと、アプリで篠崎しのざき碧衣あおいからのメッセージが届いているのに気づいた。3日前だ。幸樹は、電話を一切受け付けない設定に変えてから、アプリを開いてみた。碧衣だけは、おもしろ半分で接触してくることはないだろうと、そう思えた。そう信じたかった。香里が近づいて来る気配がないのを確かめて、幸樹はそっと碧衣の名前をタップした。


『コウキくんへ ワイドショーを見ました。ご飯食べていますか。眠っていますか』

『コウキくんが人前でキャラを演じずにはいられないほど悩んでいたのは、このことだったのでしょうか』

『先日の共演の話が急になくなってしまったのも、このためだったのですね。私も突然マスコミに、コウキくんのことをたずねられて、どう答えていいかわかりませんでした。というより、答えられることなんてないのですが』

『本当のことなのかどうかよりも、コウキくんが今どれだけ傷ついているか、どれだけ苦しんでいるか、そちらの方が心配です』

『夫も、私の仕事仲間として、心配しています』

『今の状況で、しっかり食べて休んで、という方が無理かもしれませんね。けれど、いつか立ち上がるためには必要だと思う』

『またコウキくんと一緒に演奏がしたいな。ピアノでもヴァイオリンでも、ほかの楽器でもいい。オーケストラと一緒でもいい。ヴァイオリンの腕は私の方が上だという自信はあるけど、コウキくんの出す音はとてもピュアで、同じ楽器なのに音の質が違う気がして、耳がとりこになって、ときどき嫉妬してしまいます』

『私たちをひきあわせてくれたのは音楽だから。コウキくんがこの業界をやめるというなら是非もないけれど、できることなら、何らかの形で音楽は続けてほしいと思ってる』

『私だけじゃなく、コウキくんの音楽に魅せられた人は、たくさんいるはずです。コウキくんが紡いできた音楽は、それだけの力を持っているし、決して間違ったものでも、つまらないものでもない。そのことだけ、忘れないでほしいな』

『返事はいりません。今、それどころじゃないと思うので。ご飯食べて、ゆっくり休んで。考えるのはその後ね。でないと、まともな考えは出て来ないから』

『返事じゃなくて、コウキくんの答えを、待っています。時間をかけて考えてください』


 ――幸樹は指先でスクロールして、もう一度、碧衣のメッセージを読み返した。

 涙が、スマホの画面に落ちていた。


 どれだけ――傷ついているか。

 私たちをひきあわせてくれたのは音楽だから――。



 恐れていた父と同じ、音楽の道を選んだ。

 父が仕込んでくれた音楽の腕が、道をひらいていた。

 だからこそ出会えた人々がいた。

 音楽はつらかったか? 苦しかったか? 嫌いだったか?

 後悔したことが……あったか?

「幸樹、よく頑張ったな」

 音大に合格した日、そう言って父は、幸樹の頭を撫でてくれた。

 ピアノを弾く手で。幸樹を幾度となく殴り飛ばした手で。

 なによりもあたたかくて――。



 音楽が、そこにあったから。

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