第5話 一触即発

 


 王国最強の男に条件付きで恋人になってもらった翌朝。父や兄には話していない。只でさえヒンメル関係で心配を掛けているのに、ラフレーズまでもが恋人を作ったとなると2人の心配は別の要素を孕んで多くなる。極力普段通りに過ごそうと決め、学院にいる際はクイーンからの相談事を確認しようと鞄を持って外に出た。正門の前に待機している馬車が目に入る。近付くと御者が扉を開けてくれた。中に入り込んだラフレーズは前方から飛んできた声に驚愕した。一体何時からいたのか、クイーンが他者を魅了する麗しい笑みを浮かべながらラフレーズを見ていた。



「ク、クイーン様!? どうして」

「だって俺はお前の恋人なんだろう? 学院の送り迎えはしてやらないと」

「そ、そういうものなのですか?」

「そういうものだ」

「……殿下やメーラ様がそうしているとは聞きませんが」

「大人と子供を一緒にするな。俺がヒンメルと同じ対応をすると思うか?」



 年齢だけでいうと世界何処を探してもクイーンと同じ、それ以上の人はいない。近い人もいない。

 思えないと首を振ると「ならいいだろう」と笑われた。本当にいいのだろうか。自問自答して答えは出ない。

 馬車が動き出した。揺れが少なく、椅子もクッションを多く敷き詰められているので長時間座っても苦痛にならない。



「俺が昨日言ったことは覚えてるな?」

「精霊が衰弱する原因を調べる件ですよね」

「ああ。弱った精霊がいたら、俺の所へ連れて来てほしい。ひょっとすると手掛かりになる事を知っているかもしれない」

「分かりました」

「それと、もし危険な目に遭いそうになったらすぐに逃げろ」



 精霊の衰弱原因が不明でも魔術が関係しているのなら、人外の魔術師と名高いクイーンが出れば絶大な安心を得られる。王家の忠臣にして、騎士団団長を務めるベリーシュ伯爵を父に持つラフレーズも幼少期から魔術の特訓はしている。更に魔力操作も上手い。

 学院に到着するまでクイーンと街で噂のスイーツの話で盛り上がった。


 御者が扉を開けた。中にラフレーズ以外の人間がいて大層驚いていた。やはり無断で入っていた。彼に一言謝罪し、中にいるクイーンに「行ってきます」と告げようとする前に何故かクイーンが先に降りた。ベリーシュ伯爵家の家紋が刻まれた馬車からクイーンが出れば、当然だが目立つ。既に目立っている。意図が分からず困惑すると手を差し出された。



「掴まれ」

「で、でも」

「恋人なんだろう? 普段のヒンメルとファーヴァティ公爵令嬢を思い出せ」

「……」



 2人は人目があろうと仲睦まじく振る舞い、少しでも時間があれば一緒にいた。ヒンメルを見返してやろうというメリーくんの発案でラフレーズも恋人役をクイーンに頼んだ。手を掴もうが掴まないがもう後戻りは不可能。意を決してクイーンの手を取った。

 馬車を降りたラフレーズは何故かそのままエスコートをして校舎内にまで入ったクイーンを見上げた。



「入る必要はないのでは……」

「俺から頼んだ手前、一応確認はしておきたくてな。もし精霊の衰弱に魔術が関係しているなら、感知能力で知れる筈だからな」

「あ……」



 成る程、恋人としての役割を果たす傍ら、原因の捜索に乗り出した。瞳に魔術式を刻み、周囲に不穏な魔力の流れがないかを見渡すクイーン。一頻り眺めた後、軽く首を振った。



「今のところはないな」

「何か起きたらすぐにクイーン様にお知らせします」

「ああ。その時は精霊を使え。精霊なら、お前と俺にしか見えない。俺の知ってる精霊に話をつけておくから、昼になったら庭園に行け。庭園の草が好物な精霊がいる」



 初めて知った事実に嬉しくなる。メリーくん以外の精霊とまだ出会っていないラフレーズは昼を心待ちにする。見送りは此処までだとクイーンが手を離した。



「じゃあな。しっかり学べよ」

「ありがとうございます、クイ――」


「ラフレーズ!」



 お礼の言葉を述べた最後にクイーンの名前を紡ごうとしたラフレーズの声を遮ったのは、息を乱し、髪も若干乱れているヒンメルだった。後方からメーラが慌てた様子で走って来る。大方、ラフレーズがクイーンと一緒に登校したのを目撃しやって来たのだろう。

 怒気を孕んだ空色の瞳に虚しさと悲しさ、同時に言葉では表現し難い怒りが湧き上がる。自分はメーラという美しい令嬢を恋人にし、側に置いて毎日を楽しく過ごしているくせに。見下し、放置しているラフレーズが魔王公爵とも呼ばれるクイーンの恋人になったのが気に食わないのか。

 生じる怒りを抑え込み、ラフレーズは冷静を努めた。朝の挨拶をしようとスカートの裾を掴んだ。



「おはようございます、殿下」

「おじ上と何故一緒にいる」

「なんだ、昨日のこともう忘れたのかヒンメル」



 昨日のこと。改めて説明する必要もない。ヒンメルが現れた時はクイーンが音を遮断する魔術を展開したので会話の内容は知らない。だが、あれを見てラフレーズとクイーンが只の関係でないのは知れる。

 茶化すように言うクイーンを射殺せんばかりの眼光が貫く。

 漸くやって来たメーラはヒンメルの腕に抱き付いた。



「殿下、急に走り出さないで下さい! 驚いてしまったではない、」

「今は口を出さないでくれ。僕はラフレーズとおじ上と話をしているんだ」

「殿下……?」



 ヒンメルの身勝手な怒りを受けてラフレーズは真っ向から向き合った。



「私がクイーン様といては駄目ですか? 殿下はメーラ様といつも一緒にいるくせに」



 ヒンメルの瞳の険しさがより強くなった。

 するとメーラが挑発するような笑みを浮かべた。



「あら、女の嫉妬は見苦しいですわよ? ラフレーズ様。殿下に相手にされないのは、あなたに魅力がないからよ」

「たとえファーヴァティ公爵家の方でも、婚約者のいる殿方と親密になるのは如何なものかと思われますが?」

「殿下は自分の意思でわたくしを選んだの。そんじょそこらの浮気と同列にしないでもらえるかしら」

「何が違うんだよ。阿婆擦れ」

「なっ!!」



 意思がどうであれ、未来の伴侶となる相手がいながら別の相手に現を抜かすのはどうなのか。王族、貴族なら、愛人の1人や2人許せというのが暗黙の了解。

 が、本来の相手を蔑ろにして、恋人に夢中になるのは話が違う。

 言葉を言い換えただけで結局している事は同じ。直球過ぎるクイーンの言葉にメーラだけではなく、ラフレーズも言葉を失う。

 見る見る内に顔を赤く染めていくメーラ。照れ、じゃない。悔しさと怒りから。



「この際だヒンメル。改めて言ってやる。ラフレーズは俺の恋人になったんだ。まさかと思うが自分は恋人を作ったくせにラフレーズにはそれを許さないとか言わないよな?」

「っ!」



 周囲のどよめきが強くなった。

 王国最強の人外の魔術師、魔王公爵と名高いクイーン=ホーエンハイム。何代か前の国王の弟。ある理由から不老になった彼の容姿は美の女神があらゆる美を詰め込んだ最高傑作。彼以上の男はまずいない。渡り合えるとしたら国王くらいだ。

 ヒンメルのラフレーズへの冷遇は有名だったが大人達は何故か2人をお似合いだと思っている。冷遇されている自分の何処がヒンメルとお似合いなのか理解に苦しむ。

 肩に手を回され引き寄せられた。大勢の人がいる前で堂々と宣言をするとは予想外にも程がある。「……後で良いことを教えてやる」と顔を近付けられ、囁かれた。顔が近いと頬を染めると胸に刻まれた婚約の誓約魔術が疼いた。前を向くとヒンメルがショックを隠し切れない相貌で呆然とラフレーズを映していた。下に見ていた婚約者が選んだのがクイーンだからか、それとも下に見ていた婚約者が全く自分を見ないからか。はたまた両方か。

 メーラも顔を怒気で赤く染めているもクイーンから冷徹な眼を向けられ体を震わせた。クイーンと真っ向から睨み合えるのもそうはいない。例を挙げるならやっぱり国王になる。



「行くぞ」



 肩を抱かれたままヒンメルの横を通った。過ぎ去る間際、とても小さな声で呼ばれた気がしたが強く肩を抱かれ前を歩かざるを得なかった。生徒達が道を作った。空き教室に入って漸くラフレーズは落ち着ける。まだ赤い顔をクイーンへ。



「あそこまで堂々と言ってもよろしかったのですか?」

「別に良いだろう。コソコソと隠れているよりもお前や俺も堂々としたらいい。そうだ、さっきの良いことが知りたくないか?」

「……知りたいです」

「マリン=コールド、だっけか。あの女があの状況を見てほくそ笑んでいた」

「え?」

「まあ……何もなければいいが……。ところで、これは俺からの提案だ。どうするかはお前の好きにしろ」



 衝撃的な発言をされた。クイーン曰く、本気で恋人を作ったとヒンメルに証明する為に婚約の誓約魔術を解除しろと言うのだ。更に国王にも既に話が通っているらしい。



「リックに事の次第を伝えると頭を抱えやがってな。ただ、ヒンメルがファーヴァティ公爵令嬢と恋人になったのはやっぱり理由があるんだと。教えろっつっても言わないから俺も精霊の件は言わない事にした」

「そうですか……」



 理由

 理由とは、何なのだろう。

 王太子自らが演技として恋人役をしている。いや、あれが演技とはラフレーズには思えない。ラフレーズに向ける感情もメーラに向ける感情も全てヒンメルの本心からだろう。

 ズキリと胸が痛む。爵位だけでいえばメーラが上だ。しかし、ベリーシュ伯爵家は建国当時から王家を支える家であり、忠臣とも名高い。戦争が起きれば真っ先に戦地へ赴き、騎士達の指揮を執るのは父シトロン。兄も父の補佐として、後継として駆り出される。

 そんな2人を尊敬している。



「あの、クイーン様。私が殿下との婚約の誓約魔術を解除して、殿下はどうするのですか?」

「さてな。何だったら、捨ててやったらいい」

「……捨てられたのは私の方ですわ」

「どうだかな」



 演技にしろ、何にしろ、彼が本心から選んだのはメーラだ。

 婚約の誓約魔術を解除するのに頷いたのは、精霊の衰弱した件を捜索するには定期的にクイーンと会わないとならなくなる。お互いの位置情報が常に伝わる婚約の誓約魔術これがあれば、後々不都合も出てくるだろう。何より、解除したことを口外しなければ誰にも知られない。




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