15 樋川 絢音


処置室から出て来た 看護士が、通路のベンチに腰掛けていた俺に

「先生が説明されますので、こちらの お部屋へどうぞ」と 声を掛け、処置室から 二つ隣の部屋のドアを引いて開けた。


部屋へ入ると、小さいテーブルと、向こう側に 一脚の丸椅子、手前側には 二脚の椅子があって、手前側の椅子を勧められて座る。


白衣を身につけた医者らしき男が、部屋の奥にある別の入口から入って来て、挨拶されたので、焦って立ち上がろうとすると

「いえ、いいですよ」と 少し笑われた。

麻衣花が処置されている間は、“医者が診てくれてるんだから” と 多少 安心は出来たけど、事件の事や 麻衣花のスマホのこと... いろいろ考え過ぎて、ぼんやりしてしまっていた。


「“腹部が線状に赤く腫れ、出血を伴った” とのことでしたが、血液検査等の所見にも気になるところは ありませんでしたし、急性蕁麻疹を疑っています。

アレルゲンとなるものを食べていなかったり、何かに接触したということがなくても、ストレスや疲れが溜まっている時に出てしまうことがあるので」


蕁麻疹?

あんな形に、切り傷の跡みたいになるか?


「でも、血が出ていて... 」


「確かに シャツに血のようなものは付いていましたが、腹部に傷は見当たりませんでした」


そんな... はっきり見たのに。

俺だけじゃなく、虎太郎くんも美希ちゃんも。


「軽いステロイド剤を塗って、ガーゼを宛てていますが、抗ヒスタミン剤を出しますので... 」


「待ってください、あの... 」


医者は忙しそうで、もう椅子を立とうとしていたところだったけど

「守秘義務って、あるんですよね?」と確認してから、麻衣花の状況を詳しく話した。なるだけ早口で。


失くしたスマホが 殺害された同級生の事件現場で見つかったこと、それから麻衣花に落ち着きがなくなって、腹に赤いミミズ腫れが出来た時に、“破れてしまう” と言って、実際に血が出だしたこと。


医者は無表情で話を聞いていたけど

「今田さんには、大きなストレスが掛かっているようですね」と言って 椅子を立ち

「このまま、少し お待ちいただけますか?」と断って、入ってきたドアから出て行った。


麻衣花は、もう処置室を出ているんだろうか?

普通なら こういう説明は、本人の麻衣花と 一緒に聞くんじゃないのか?

それにもう、虎太郎くんたちも この部屋の前の通路に着く頃だ。

スマホを取り出そうとして、いや、医者が戻るまで待とう とやめる。

受付から ここまでには、電源を切るようにという標識のようなものはなかったけど、なるべく控えた方がいいだろう。


麻衣花のスマホに並んだ黒い文字を思い出した。

ぞわりと 背中の毛穴が縮み、その感覚が後頭部まで昇ってくる。

あの時に虎太郎くんが電源を落として、そのままだ。

電源を入れたら、あの文字は消えているか、それとも残ったままなんだろうか?


ジーパンの後ろポケットに突っ込んだままの それを意識する。

麻衣花の腹に出来たミミズ腫れは、蕁麻疹なんかじゃない。

何の根拠もないのに、確信めいたものを感じた。


「すみません、お待たせしました」


さっきの医者が戻ってきて、向かいの丸椅子に座り直した。

「あ、いえ... 」と 会釈をする。


「今田さんの蕁麻疹ですが、心因性のものという可能性もありますね。

そうなると薬で抑えられたとしても、再発する おそれもあります。

こちらから 心療内科の方へ紹介も出来ますが、どうしますか?」


その方が いいのかもしれない、と すぐに思った。

でも、俺が決めていいことでもない気がする。

「麻衣花は... あの、本人は どう言ってるんですか?」と 聞くと

「処置の最中に、大きな緊張が解けたのか 眠ってしまわれて、私が樋川さんと お話する間に、起こしてもらおうとしたのですが... 」と 言葉を止め

「今は、空きの病室で休まれています」と 続けた。


「家でも、事件のニュースを消した時に、パニックを起こしたように 泣いて怒って、眠ってしまったんですけど... 」


頷いた医者は「ですので... 」と、心療内科を勧めた ということを暗に示し

「呼吸も心拍も安定しておられるので、睡眠の状態には心配ないです。

過眠 というものもあるようですが、私は専門外ですので、診察して診断をつけることは...

どうされますか?」と、もう一度 聞かれた。


麻衣花の 今の状態が心配だ。

それに 心療内科の診察を断ったら、このまま連れて帰ることになるのかもしれない。

また出血して、もし、もっと ひどいことになったら...


「お願いします」と答えると、医者は頷いて

「部屋の前のベンチで待たれてください。看護士が案内しますので」と 椅子を立ち

「それでは」と 会釈をして戻って行った。




********




「麻衣花、起きるかな... ?」


医者と話した部屋を出ると、虎太郎くんと美希ちゃんが通路で待っていてくれた。

同じ病院内の心療内科でも診てもらうことになったことや、麻衣花が眠ってしまったことを話していると、看護士が来て

「まずは心療内科で受付を... 」と案内された。


二階の奥にある 心療内科の受付の前で

「分かるだけで結構ですので」と渡された 問診表に、住所や麻衣花の名前、症状を出来るだけ細かく記入して渡すと、ここまで案内してくれた看護士が

「今田さんが休まれている病室に案内しますので」と、今度は別棟にある三階の個室へ案内してくれた。


看護士は

「起きられたら、先程の受付にお願いします」と、俺等を病室へ残して行ってしまった。

今は、麻衣花が眠っているベッドから少し離れた窓際で、虎太郎くんや美希ちゃんと話している。


「もし起きなかったら、抱っこして連れて帰ることになるのかな?」


「いや、その場合は入院の話が出るかもな。

救急車で運ばれてる訳だし、俺等が出血したのを見たのも確かだしさ」


虎太郎くんが声をひそめて 美希ちゃんに答えた。


「うん... 」


なんだろう?

美希ちゃんが、やたら そわそわしているように見える。


でも とにかく、二人に心配をかけて、病院にまで つき合わさせてしまっている。

そのことを謝ると

「いやいや、違うだろ 絢音くん」

本当ホントやめてよ!

私、絢音くんより ずっと麻衣花との付き合いは長いんだから!」と、美希ちゃんには怒られてしまった。

でも、ほっとして お礼も言う。

心強い。俺ひとりじゃなくて良かった。

麻衣花だって、きっとそうだ。


「だから、ありがとうそれ も やめて」


俺に返した後、美希ちゃんは 隣に立っている虎太郎くんを見上げた。

美希ちゃんが見ていることに気付いた虎太郎くんは、何故か 美希ちゃんに手を差し出して、スマホを受け取っている。

ミントブルーのカバーの柔らかい色合いからすると、美希ちゃんのスマホなんじゃないか?


「あのさ、絢音くん。

麻衣花ちゃんを美希にみてもらって、ちょっと外で話さない?」


あぁ... と、諦めた。また何かあったんだ。

あの黒い文字のようなことが。


「うん」


聞かなきゃいけないよな。逃げられない。

美希ちゃんに 麻衣花を頼むと、虎太郎くんと 二人で病室を出た。




********




「これ... 」


美希ちゃんのスマホの画面を凝視する。

メッセージアプリには、被害者の子からの...


「誰かが乗っ取ったんだろうけどさ」


病院の別棟、一階 奥の売店の近くで、俺に そう言った虎太郎くんの目を見た。

本気で そう思ってるんだろうか?


「麻衣花のスマホに書き込まれていったやつと 同じやつに見えるんだけど」


俺が返すと、虎太郎くんは

「あれは、初期不良なんじゃないかな?」と言い出した。

「液晶のさ。本当は 美希のコレみたいに、メッセージアプリに送信されたけど、スマホが不良品で あんな風にホーム画面に、とかさ」と。


麻衣花が爪を噛んでいるところを見てから、俺も いろいろと言い訳を考えてきた。

麻衣花のスマホが見つかった場所や、もしかしたら被害者の子を誘い出すために あのスマホが使われたんだったら、麻衣花はショックだっただろうし、被害者の子と面識のない俺ですら ショックだった。

だから、何か得体の知れない不安を感じて 怖くなったりもするんだろう と。


でももう、そうとは思えない。

ジーパンの後ろポケットから 麻衣花のスマホを取り出して、電源を入れてみる。

半ばヤケクソだった。虎太郎くんの意見を否定したくなって。

すると、文字には続きが出ていた。


“今田” “来いよ” “戻って来い” “俺はここに居る” “地下の” “血溜まrで” “同じ目に” “合わSてやる” “腹のnか身を” “見Sてyる”...


虎太郎くんは、俺の手にある 麻衣花のスマホの画面を見て、観念したような表情になった。

否定したくなったはずが、後悔に襲われる。


「実はさ... 」


美希ちゃんのスマホのタブを切り替えると、どこかの病院のホームページが表示されている。

渡されて、よく見てみると、“羽加奈南 羽山病院” とある。あの廃病院か... ?


「地図の下の、病院の見取り図まで見てみて」


病院内の見取り図には、赤く丸い点があって、それが移動している。

一階の受付の裏から、地下の 一番奥の部屋まで...


「悪趣味な奴が作ったんだ と思ったんだよ。

いるじゃん、稀にさ。そういう頭も心も空っぽな奴。でも、手が込み過ぎてるんだよな... 」


何を言えばいいんだろう... ?

虎太郎くんが言うように、悪趣味か奴が... という可能性も捨てきれない。

このホームページだけだったら。


でも、麻衣花のスマホの黒い文字や、被害者から美希ちゃんへの執拗なメッセージ、極めつけに 麻衣花の腹に出たミミズ腫れと出血。

“腹を 裂くぞ”

“腹のnか身を 見Sてyる”...


「一度さ、麻衣花ちゃんの番号から、俺にかかってきたんだよ。

絢音くんの家に、麻衣花ちゃんの新しいスマホとSIMが届く前に」


「あの、電話くれた時?」


掠れたけど、やっと声が出た。

頷いた 虎太郎くんは

「出たら、男の声でさ、どう言えばいいかな...

込み上げる喜びを押し殺すように、喉で笑ってたんだよ。すぐ切ったけど」と、ため息をついている。


「俺、こういうの 信じる方じゃないんだよな。

だからって別に 頭から否定する訳でもないけど、自分には遠い気がしててさ」


あぁ、俺も... という意味で頷いた。

霊 といっていいのかどうかも分からないけど、亡くなった人に会ったことはなかったし、そういうテレビを観たり、たまに話で聞くことがあっても、“そういうこともあるんだな” くらいで、まったく他人事だった。


「今 起こってることを、なんていうか、“そういうことだ” って肯定したらさ、どうやって麻衣花ちゃんを助けたらいいと思う?」


虎太郎くんの目を、まじまじと見返してしまった。

“どうやって” って、どうすりゃいいんだ?


俺が、被害者の霊から 麻衣花を?

話し合いには なりそうにない。かといって殴れもしないんだろうし、警察に相談して対処してもらうのも無理だ。


そうか... 虎太郎くんが 何とか否定したがっていた理由が解った。

相手が生きている人なら何とかなるから だろう。


「被害者の子は、何故か麻衣花ちゃんに危害を加えられた と思ってる。だろ?

そうじゃなきゃ、こんなにしつこく “今田を今田を” って言わないと思うからさ」


そうなんだよな... 麻衣花のスマホで誘い出されたから かな?

それで、加害者が自分の顔を見せずに... 例えば、被害者の後ろから 被害者に目隠しをするかどうかして 犯行に及んだ、とか... ?

ついでに、虎太郎くんは気を使ってなのか 口に出さないけど、“今田と あの男を” の “男” は、俺のことなのか?

男の共犯者が居た ってことだろうけど...


「それなら、犯人が捕まったら、被害者の子の気も治まるんじゃないかな?」と 言ってみて、いや... と考え直した。


だからって、気は治まらないだろう。これだけ怨んでいるんだから... と思うと、改めてゾッとする。

相手は 怨んでる。麻衣花は怨まれてるんだ。


「犯人が麻衣花じゃない って判れば、麻衣花に怨みが向かなくなるかもしれない」と言い直した。


「うん、確かに」と頷いた 虎太郎くんは

「美希には、麻衣花ちゃんのスマホに出た黒い文字のことは話してなくてさ、廃病院のホームページも 被害者の子からのメッセージも、誰かの悪質なイタズラだと思ってるんだよ。

それで、麻衣花ちゃんの蕁麻疹?のことは、俺が “ショックで出ちまったんじゃないか?” って、話してて。

あるじゃん、聖痕とか プラセボ薬が効いたりとか」と言っていて、あぁ、あのミミズ腫れに関しては それも... と思い直しそうになったけど、“腹を 裂くぞ” の文字が その可能性を否定する。


「だから美希と、“メッセージとホームページを 警察に見せに行こう” って話してたんだ。

もしかしたら、どれかは本当に悪質なイタズラかもしれねぇし、警察に調べてもらえば分かるだろうからさ」


「麻衣花のスマホも?」と 聞いてみると、虎太郎くんは

「いや」と、首を横に振った。


「現実に起こってるんだけど、非現実過ぎない?

ここまでいくと、俺や美希が 麻衣花ちゃんのスマホの液晶をどうにかして イタズラしたんじゃないか? とも疑われそうな気がしてさ。

美希に届いてるメッセージは ともかく、麻衣花ちゃんのスマホの黒い文字に関しては、たぶん、送信先が割れないんじゃないかと思うし」


そうだよな。メッセージなら、アプリの会社に問い合わせれば、どの端末から送信されたものなのか判るだろうけど、液晶に直接じゃあな...


「とにかく、警察に早く犯人を捕まえてもらうのが 一番だと思うんだよ。

だから、美希のスマホを見せて、駅で見かけた女のことも話してみようと思ってる。

もしかしたら、その女が麻衣花ちゃんのスマホを持ってるところなんかが、どこかのカメラに映ってるかもしれねぇしさ」


虎太郎くんは、どうしても 駅で見かけた女が引っかかってるみたいだ。

俺も 話をしていて、気になったことを聞いてみる。


「いつか... いや、近い内にと思いたいけど、犯人が捕まったとしても、それを どうやって被害者の子に知らせたらいいかな?」


虎太郎くんは 一瞬 詰まったけど、真面目な顔で

「美希のスマホから メッセージアプリを使って、犯人が捕まったっていう ニュースを送信したら?

向こうからは散々 送信してきてるんだし、こっちからの送信も見るんじゃないかな?」と 言った。

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