8 原沢 美希


「電話、してない みたいだった」


私が麻衣花と電話する間に、“絢音くんと話してくる” と 外に出た虎太が帰ってきた。

テーブルに、買ってきてくれたパン屋さんの袋を置きながら、虎太が言った言葉にゾッとした。

半分以上 そうだろう とは思っていたのに。


「まぁ、あんなイタズラしねぇよな。絢音くんや 麻衣花ちゃんが」


うん、と 頷いたけど、声は出ない。

じゃあ、あれは何だったんだろう... ?


虎太のスマホが鳴ったのは、朝 9時くらいだった。

表示されている番号を見て『あれ? 誰これ?』って言ってたんだけど、私には何となく見覚えがあって。

私が、自分のスマホの電話帳アプリを開いている間に『会社の誰か か、番号 変えた奴かな?』って 通話ボタンをタップして『はい』って出ちゃってた。訝しんではいたけど。


そしたら、聞こえてきたのは 男の人の笑い声で、虎太は スピーカーにしてなかったのに、私にも その声は聞こえて...

それが、“込み上げてくるような笑い” って言えばいいのかな? 嬉しくてたまらなそうな。

喉の奥だけで笑ってたの。クッ クッ... って音を立てて。

もう、ゾッとして 頬にまで鳥肌が立っちゃって。


虎太は、すぐに通話終了ボタンをタップして

『イタズラかよ』って カッコつけてたんだけど、たぶん頭皮まで鳥肌 立ってたと思う。


電話帳で番号を確認した私が

『それ、麻衣花の番号だ... 』って 教えたら、最初は

『えぇっ?! じゃあ、スマホ返さなかった奴が掛けてきたのか?!』って 言ってて、すぐに

『いや... 携帯会社に紛失の手続きしたんなら、返さなかったスマホから発信は出来ねぇよな』って言い直してた。


『あ、もしかしたら。

麻衣花ちゃん、もう端末と SIM届いたのかな?

おまえ、麻衣花ちゃんに俺の番号も教えた?』


教えてないから、首を横に振って

『じゃあ、今の... 』思い出すのも怖くて、“電話” とは言えずに

『麻衣花か 絢音くんが... ?』って聞いてみた。

思い出したくないのに、結局あの “クッ クッ” が甦っちゃったんだけど。っていうか、耳の奥に こびり付いちゃってる感じがする...

また ザワザワッ って 毛穴が縮んだ。


『んなこたぁ ねぇだろー!』


虚勢を張った 虎太も、あの笑う喉の音を思い出したんだと思う。


『麻衣花ちゃん ってか、女に あんな声 出せねぇよ!

いくら おまえでもムリだろ?』って、私に膝を叩かせて

『なら、絢音くんが? それもないだろ。

いつも ちょっとカッコ良くしてんじゃん?

いや、天然 入ってるし、まだ そんなに俺とは親しくないからかもしれねぇけどさ。

親しくなっても、こんなイタズラするタイプじゃねぇだろー』って、元気なく笑ってた。

『はは... 』って。


『俺のスマホが壊れたかな』


ムリ ない? 黙ってたら

『または、麻衣花ちゃんの番号が乗っ取られたとか?』って。

うん、この方が現実的。


『でも、乗っ取ってイタズラ電話?... するの?』


疑問を そのまま口にしちゃったら、虎太は いやそうな目で私を見て、黙っちゃったんだよね。

だいたい、麻衣花には虎太の番号を教えてない。

乗っ取った人は、虎太の番号まで分かる訳なくない... ?


怖かったし、何か釈然としないけど、でももし 麻衣花の番号が乗っ取られたりしちゃってたら、また 絢音くんのスマホから連絡してくれると思う。


虎太に そう言ってみたら

『お、そうだな。

麻衣花ちゃんからか 絢音くんからの連絡 待ってみた方がいいよな』ってことになって、あとは いつも通り。土曜日のね。

私は洗濯機 回したり、虎太には掃除を手伝ってもらったり。


ちょっと早いけど お昼にしようかな って、ちゃっちゃと焼きそば作って、二人で食べながら

『昼の番組って、こんなのばっかりよね』

『まぁなぁ。でも、映画 観るって気分でもねぇよな』って のんびりな空気になってたんだけど、速報が入ったの。


それが、テレビの上部に文字で出るやつじゃなくて、切り替わった画面には ニュースキャスターが座ってて。


... “羽加奈うかな市の山中にある、十六年前に廃院した病院の建物内から” ってところで、二人して

『えーっ!!』ってなっちゃって。市内だもん。ってことは、地域限定の速報ニュースだったのかも。

それで、発見されたっていう被害者が 私の高校の同級生で、もう絶句。


及川くん ていう人。

同じクラスだったけど、そんなに話したことはなかった。

でも、騒がしくもないけど暗いとかって訳でもなくて、何ていうか、良識がある普通の子って感じだった。


私や麻衣花は、高校になってやっとスマホを持たせてもらった組だったから、嬉しくて、クラスの ほぼ全員とメッセージアプリのIDを交換してたんだけど、及川くんは普段そんなに話してなくても、メッセージを入れてみると 普通に返してくれたし、二年の時だったかな? 一年生の すごくかわいい子と付き合ってたと思う。

男子が羨ましがってたから、何となく覚えてる。


人から恨みを買ったり、嫌われたりするタイプでもないように見えた。

ニュースでは、“木曜日から会社を無断欠席して” ... とも言ってて、じゃあ、木曜から何かに巻き込まれてたの... ? って、ショックだった。

定期的に連絡を取り合う相手ではなかったから 当たり前だし、仕方がないことなんだけど、及川くんが怖い思いをしてる間も、私は何も知らずに過ごしてたんだ... って。


『麻衣花に、連絡してみようかな... 』


虎太に相談したら

『そうだな。端末が届いたのか、乗っ取られてないかも分かるしな』って 頷いたから、まず メッセージを入れてみた。

“麻衣花、スマホ届いた?

ちょっと電話 できない?” って。

そしたら すぐに既読がついて、麻衣花から

“うん、絢音に言ってから かけるね” って返信もきたから、スマホや SIMも届いてて、乗っ取られてなさそう ってことも判明してしまった。


『おまえが 麻衣花ちゃんと話す間に、俺、絢音くんに連絡してみるわ。

それとなく電話のこと聞いてみる』


虎太は そう言って、スマホと鍵だけ持って出てた。


麻衣花とは『速報、観た?』っていう話。

『同級生が、なんて... 』って 驚いてショックを受けてて。うん、それは私も同じだったんだけど...


及川くんのことは

『なんか、信じられないよね』とか

『殺人の疑い って、何に巻き込まれちゃったんだろう... 』ってことくらいしか話せなかった。

言葉が見つからなくて。

お通夜や お葬式は、あるのかな... ?

ご家族だけで ってことも有り得るけど... こういうことを私たちが話すのも、及川くんに悪い気がしたから。


だから

『麻衣花、スマホ届いたの早かったね』って、話を変えてしまって。


麻衣花も

『うん。朝 10時半くらいに届いて、やっといろいろな設定が終わったとこ』って言ってて。


朝、10時半くらい かぁ... あの電話があったのは、9時くらいだった。

今 話してる この電話は、麻衣花から メッセージアプリを通さずに、直接かけてきてる。

だから、乗っ取られたってことはない。


『そうなんだ。設定、お疲れさま。

でも、まだ話してて大丈夫? 絢音くんは?』


“虎太と電話中” って返ってくるかな?って思いながら 聞いちゃったんだけど

『お昼ごはん、買いに行ってくれてるよ。

朝から ずっと床に転がってたんだけど、一緒に ニュース観て、私が “美希と話したい” って言ったから、気も使ってくれたみたい』って返ってきて、あぁ、やっぱり あの電話は、絢音くんでもないな って思った。


麻衣花のスマホが届いた時間が時間だったから 当然なんだけど、麻衣花の話し方で分かる。

何かを誤魔化そうとしたりしてない。

じゃあ、あの電話は、本当に何だったんだろう... ?


『美希?』って 呼ばれて

『あっ、ごめん。ぼうっとしちゃって』って返すと、麻衣花が

『うん、そうだよね... 』って言ったから、電話のことの方で考え込んじゃって、及川くんに申し訳なく思った。


電話で話してる間にも、テレビでは 及川くんのニュースがやってて、現場になった廃病院が映されてたり、警察の人たちが忙しく動き回ってたりしてて、なんだか居たたまれない気分になって。

何があったんだろう? って、気にはなるけど、新聞やニュースの記者もたくさん居て、騒いでるように見えるのがイヤで。

凄惨な事件や事故があると、いつもこんな風なのに、いつもとは見方が違う。


また、廃病院の全景が映された時に

『ここの地下でなんて... 』と、ふいに 麻衣花が言った。

同じ番組を見てるみたいだけど、“地下で” なんて言ってたっけ?

いろいろ考えてたから、私が聞き逃してたのかな?


『怖かっただろうね... 本当に』


ぽつりと言った 麻衣花は、“心 ここに在らず” って感じの声だったから、今度は私が 名前を呼ぶ。


『うん... 』


一度、ぼんやりと返事をした 麻衣花は

『あっ、ごめん。やっぱりショックだったみたい』って、やっと独り言じゃなくなった って風だった。


あんまり話してないけど、それからも、話せることが そんなになかったから、お互い

『じゃあ、また掛けるね』

『うん、私も』って 通話を終えたんだけど、麻衣花の様子が気になったから、もう 一度 掛けちゃおうかな... って迷ってたら、虎太が帰って来た。


電話が絢音くんじゃないっぽい って話した虎太は、テーブルに置いた パン屋さんの袋から、ウインナーが載ったパンを取り出して

「朝から、俺等が 二人で勘違いしたとか?」って スマホの着信履歴を見てるけど、そこには やっぱり、麻衣花の番号が残ってる。


「おっかしぃよなぁ... 」


虎太は首を傾げてるけど、私も袋から米粉パンを取り出しながら

「もう よくない?」って言った。

考えたって分かんないし、あの喉の音を忘れたい。


「ま、そうだな。わかんねーし。いっか」


簡単に同意した虎太は

「また 掛かってきたら、その時に何か分かるかもしれねぇしな」なんて付け加えて、パンを頬張ってるから

「ちょっと、やめてよ!」って 米粉パン握り締めそうになっちゃったし。


「あぁ、ごめん。

でもこれ、千切って食うパンじゃなくねぇ?」


うん、違う。“やめてよ” は 電話。

いちいち突っ込まないけどね。


はぁ って ため息ついて、千切った米粉パンを口に入れる。

弾力があるから美味しいんだけど、千切りにくい。でも直接 口でいきづらい。

さっきのこと、突っ込まなきゃいけなくなるし。


虎太が パン買ってきてくれたんだから、コーヒーは 私が淹れるべきよね。

困った。何もする気にならない...


「あ、コーヒー味の豆乳って あったよな?

でかいパックの」


虎太が立って、コーヒー豆乳を注ぎに行ってくれる。

これ、私に気にさせないように 気を使ってくれてんの。いつも感謝してる。

だから、夕ご飯は美味しいものを... って 頑張っちゃうんだよね。

私も仕事はしてるけど、生活費は虎太がみてくれてるし、“今日も お疲れさま” を込めて。


コーヒー豆乳のコップを両手に持って戻ってきた虎太に

「ありがとう」って微笑ったら、虎太も微笑った。ウインナーパンを咥えて... だけど、私には見えてません ってことにする。

感謝はしてるけど、面倒くさいところは面倒くさいんだよね。


テレビでは、ずっと及川くんのニュースがやってる。

さっき観てなかった人のために なんだろうけど、

“山中の廃病院”、“木曜日から会社を無断欠勤”、“両手首を縛られ”... って、ずっと同じ情報を繰り返して。

でも、“地下で” とは言わないな...

麻衣花が何かを聞き違えたのかな? 気が動転してて。


「あのさ、美希」


ん? って、虎太に顔を向けると

「気になるだろうけど、ずっと観てなくても いいと思うぜ」って言った。


「夜のニュースでも取り上げられるだろうし、その時の方が また何かわかったこととか、例えば容疑者とかもさ、情報は増えてるんじゃねぇの?

事件に巻き込まれて亡くなってしまってるから、今日 ご遺体が家に帰って 今日お通夜... ってこともないだろうしな」


「うん... 」


そう。そうなんだよね。

観続けないで、少し時間を置いた方がいいのかも。


「食品の買い物がてら、ドライブでもするか?

もちろん、運転するからさ」


うん って頷く。

もう秋だけど よく晴れているし、きっと虎太は、買い物の前に 海へ行くつもりなんだと思う。

私たちは疲れると、時々 波の音を聞きに行くから。




********




車で虎太と海へ向かってる間も、高校の時に仲が良かった子たちから、及川くんのことでメッセージが入ってきてた。


ほとんどの子は、及川くんのご両親や 及川くんと仲が良かった子たちを心配してたんだけど、そう仲良くなかった子からも入って。

“身近で すごい事件が起こっちゃったね!” って興奮してて、辟易する。

また この子からのメッセージが入ってくるのがイヤで、“ごめん、今日は仕事に入っちゃってて” と、やり取りを終わらせる。

もう大人のはずなのに。他人ひとのことで何かと騒ぐ子だったけど、こういう時までなんだ... ってガッカリして、気持ちも余計に沈む。


でも、海に来たのは良かった。

ぽつん ぽつんと、私たちみたいに散歩に来ていたり、わんちゃんと散歩をしてる人もいて、きれいに晴れていて、波は穏やかで。


波打ち際を歩いてたら、虎太が引く波を追って、寄せる波から逃げてきた。

私は わんちゃんじゃなく、虎太の散歩って気分。

濡れた砂に虎太が付けた足跡は、寄せた波が引くと洗われて消えた。


二時間くらい海に居て、のんびり過ごして。

スーパーやドラッグストアに寄って、必要な物を買って帰る頃には、だいぶ落ち着いてた。

外に出て良かった。本当に。


後部座席に買ったものを積んで、虎太と前の座席に収まると

「帰って飯 作るの、面倒くねぇ?

チキンか何か買って帰る?」って あくびした。


確かに。落ち着いてはきたんだけど、帰ってから何かするって 考えただけで疲れちゃう。

「うん、そうする?」って返した時に、スマホが鳴った。麻衣花からの電話。

虎太は、“出なよ” って頷いてる。


「はい。麻衣花? どうしたの?」って出たら、麻衣花は すごく動転してて

『私の、スマホが見つかった って、連絡がきて。

あの、盗難届を出してから。

ううん、もし出してなくても、連絡は きたのかも... 』って、声を震わせてる。


「麻衣花? 大丈夫?

見つかった って、失くして拾われたスマホのことだよね?」


『うん... 』


麻衣花が 鼻をすするような音を立てた。泣いてる...

電話の向こうで『麻衣花』って呼ぶ 絢音くんの声がして、電話の相手は絢音くんに変わった。


『ごめんね、美希ちゃん。急に』と断った 絢音くんは

『警察から連絡があって 話に行ってきたんだけど... あの、亡くなってしまった同級生の子、いるよね?

麻衣花が失くしたスマホ、どうも その子の遺体が見つかった廃病院に落ちてたみたいで... 』って、信じられないことを言った。

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